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ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (2)

  • あるマラソンランナーのゴール - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    マラソン大会は何度か見に行った。父親が還暦を超えてからそういう趣味にハマってしまったからだ。12年間のランナーとしてのキャリアで26回フルマラソン大会に参加してすべて完走したのだから立派なものだ。私には真似できない。真似する気もなくて、それでも地元の大会のときにはゴールに出迎えに行ったりしたものだ。1万人から参加する大会ではランナーの群れは怒涛のようで、その振動を見ているだけで酔いそうになる。「ようやるわ」というのが正直な感想で、真っ赤な顔をしたり汗だらけになったりして苦しそうに走るランナーたちの姿には、あまり感心もしなかった。それでも父親がゴールしたときには、「よくがんばった」と讃えたいと思ったし、少しは誇らしくもあった。傍で見ていてもそういった感動があるのだから、人にはこの上ないものがあったのだろう。途中で苦しいと思っても、棄権しようかと考えることがあっても、ペース配分を考え、規定タ

    あるマラソンランナーのゴール - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    Nnwww
    Nnwww 2023/02/01
  • 人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ

    人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
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