自己責任論関連に関するPAGZINのブックマーク (3)

  • 留守中に小沢さんとか曽野綾子が色々ぶちかましていたらしい - あんとに庵◆備忘録

    なんか今日は地震が多い。 そのうちすごいのが来るんじゃあるまいかと思ったので安全点検をした。 で、日は久しぶりにぱそに向かったのでアンテナ巡回先で留守中にどんな話題が盛り上がっていたのか色々読んでいた。 一番受けたのはこれ↓ ▼「ローマ法王の言う通り」プロテスタント団体の抗議に小沢 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091207/stt0912071956004-n1.htm プロテスタント系団体の日キリスト教協議会(輿石勇議長)は7日、民主党部に小沢一郎幹事長を訪ね、小沢氏が11月にキリスト教を「排他的で独善的な宗教だ」と述べたことに対し「発言は見過ごせない。キリスト教は愛の宗教だと知ってほしい」とする申し入れ書を提出した。 小沢氏はその後の記者会見で、自身の発言に関連し「(カトリックの)ローマ法王は『来のキリスト教の教えを正

    留守中に小沢さんとか曽野綾子が色々ぶちかましていたらしい - あんとに庵◆備忘録
    PAGZIN
    PAGZIN 2009/12/19
    「犯罪被害者に自己責任求めるってのは、社会共同体の破壊者だと思う。」
  • 「自己責任」論(2)〜「自己責任」に隠された意味〜 - 弁護士兼務取締役の独り言

    前回のまとめ 前回のエントリー(「自己責任」論〜「自己責任」とは何か〜)では、自己責任を以下のように定義しました。 自己責任とは、他の誰も責任を負わない結果として人が負わされる負担 一方、従来の(世間一般の)自己責任についての考え方は、以下の通りです。 「人が自由な意志に基づいて自ら選択したのだから、その選択の結果についてはその人が責任を取らなければならない」 この2つのニュアンスの違いがお分かりでしょうか。 僕のいう自己責任は「結果に対する全ての責任から他人が負う責任を引いた残りの部分」が自己責任の対象になるのに対して、従来の自己責任の対象は「自らが自由な意志に基づいて選択した行為による結果」なのです。 このニュアンスの違いから、見えてくるものがあります。以下法律の概念を使いながらこの点について書いてみようと思います。 まずは「責任」について整理 まず「責任」という言葉について少し整理

    「自己責任」論(2)〜「自己責任」に隠された意味〜 - 弁護士兼務取締役の独り言
  • 「自己責任」論〜「自己責任」とは何か〜 - 弁護士兼務取締役の独り言

    自己責任って何? これは、大学時代からずっと考えているテーマです。 株で損した場合、それは「自己責任」といわれます。 イラクに入国して誘拐されても、自己責任といわれます。 就職できなくても、自己責任といわれます。 ニートであることも、自己責任といわれます。 いったい「自己責任」とは何なのでしょうか?また、自己責任が問題となるときにはなぜ「自己責任ではない」という意見も同時に主張されるのでしょうか? 僕が今まで考えてきたことについて述べてみようと思います。 一般的な意味での「自己責任」への疑問 「人が自由な意志に基づいて自ら選択したのだから、その選択の結果についてはその人が責任を取らなければならない」 おそらく、これがいわゆる「自己責任」の内容の一般的な説明といえるかと思います。そして世間ではこれは「論理的」であり、また「当たり前」として受け入れられていると思います。 しかし僕はどうしても納

    「自己責任」論〜「自己責任」とは何か〜 - 弁護士兼務取締役の独り言
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