人権に関するPAGZINのブックマーク (3)

  • 「腐った枝」 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 『朝日』の記事; 阿久根市長「腐った枝、刈らないと」 障害者の記述巡り(1/2ページ) 2009年12月22日1時40分 自身のブログに「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」と記述し、障害者団体などから批判を浴びた鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が21日、福岡市内での講演でこの話題に触れ、「木の枝の先が腐れば切り落とす。そうしないといけない」「表現として厳しいが刈り込む作業をしないと全体が死ぬ」などと発言した。 講演後の記者会見で竹原市長は「『腐った木』とは障害者を指したのか」と聞かれ、「違う」と否定。「どういう意味だったのか」と繰り返し質問を受けたが、「答えない」「新聞は言葉狩り」などと言って回答を拒んだ。 講演会は、福岡市内の民間信用調査会社が企画。集まった会社経営者ら約20人を前に、竹原市長は約40分間、マイクを握った。 講演では障害者に関する記述について

    「腐った枝」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「エロゲはフィクションですから、どんな酷いことしてもオッケーなんでえーす」←プゲラw - 消毒しましょ!

    NaokiTakahashi id:hit-and-run なんらかの具体的人権侵害にならない限りは差別表現の自由を認めますよ(留保があるのは、例えば名誉毀損とか侮辱罪とかはありうるから)。コストと言うよりは、表現の自由という基的人権の一部として 2009/12/14 前にも同じようなこと言ってたなあ、こいつわw ■比喩とフィクションは違うと思うよ。 現実のものを対象にした比喩は、レトリックの一種ではあるけど、フィクション創作とは別物だと思うが。 「男はケモノ」は、普通は比喩ととられる(さらに細かく言えば隠喩、英語ではmetaphorね)。fictionとmetaphorは意味が違う。このmetaphorは現実の存在(男)を明確に対象として指している。文脈というなら、それこそ文脈が違うよ。 まあ、現実を指すものとして書かれるフィクションもあるけど(「寓話」だね)、俺がフィクションのそうい

    「エロゲはフィクションですから、どんな酷いことしてもオッケーなんでえーす」←プゲラw - 消毒しましょ!
    PAGZIN
    PAGZIN 2009/12/15
    どこそこ何番地の誰々さんではないから具体的人権侵害にならない、ってのは規制派と反規制派の共通認識だと思うのだけど。具体的人権侵害なんだったら損害賠償でも求めればいいじゃん。
  • あなたは悪くない |二次加害をするのはこんな人

    さんざんと二次被害三次被害にあった者としては、考えざるを得なかったこと。 「どうしてそういうことを言うのだろう」 「どうしてそういう態度をするのだろう」と。 (ひどいPTSDなどさまざまな身体的精神的症状で悩まされている上に、 自責感と罪悪感でいっぱいで苦しくて辛くてたまらなかったのだが、 それにおいうちをかけるのが、二次加害三次加害をする人たちの心無い言動だった。) 結局、人は差別したがる生き物なのだ、と当時の私は悲しい結論を出した。 異質なものを排除したがるのだ、と。 理由を無理にでも探し出し、レッテルを貼ることで、「あの人はこうこうだからこうなった」とする。 そしてその裏には「自分は大丈夫」と安心したい気持ちが大きく潜んでいるのだろう。 弱っているときには、その弱っている状態をすら理由にされることもある。 だが、ダメージを受けると弱った状態になるのは当たり前のことではないだろうか。

    PAGZIN
    PAGZIN 2009/12/09
    「二次加害をしない人というのは、いまは一時的に弱っているだけで、自分と対等の存在なのだ、強さも尊厳も持っている一人の人間なのだ、 ということを思っている人だ。」
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