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2020年1月23日のブックマーク (6件)

  • 千葉から東京へ、野菜行商の歴史伝える「担ぎ台」保存へ JR成田線湖北駅 | 毎日新聞

    千葉県我孫子市のJR成田線湖北駅ホームにある、かつて盛んだった東京への野菜行商を支えた「担ぎ台」(行商台)が、歴史史料として活用されることになった。駅の改良工事に伴い7台すべて撤去される予定だったが、市が保存を要望。JR東日千葉支社は3台をそのまま残し、4台を市や鉄道博物館(さいたま市)などに引き取ってもらうことにした。2台を受け取った我孫子市はイベントで展示するなどして野菜行商の歴史を後世に伝えることにしている。 担ぎ台と呼ばれる台は鉄製で幅33センチ、高さ67センチ、長さ3メートル。設置された時期は不明だが、かつて数十キロの野菜を担いでいた行商の女性たちが列車が到着するまでの間、荷物を背負ったまま一休みできるよう設置された。腰掛けるには高すぎ、今はほとんどの乗客は担ぎ台と知らずに荷物置きなどとして利用している。

    千葉から東京へ、野菜行商の歴史伝える「担ぎ台」保存へ JR成田線湖北駅 | 毎日新聞
    POPOT
    POPOT 2020/01/23
    行商のおばちゃん、見かけなくなって久しいな…。懐かしい。
  • 印男性、自ら飼うニワトリに襲われ死亡 闘鶏に連れて行く途中

    ニューデリー(CNN)  インド南部の村に住む50歳の男性がこのほど、自ら飼育する闘鶏用のニワトリに襲われて死亡した。ニワトリを連れて闘鶏の試合会場に向かう途中だったという。 男性が死亡したのは今月15日。警察の担当者がCNNに明らかにしたところによると、もみ合いになる中でニワトリの爪に結んだ刃物が男性の首に突き刺さった。男性は病院に運ばれたが、脳卒中で死亡した。 南部アンドラプラデシュ州の村に住むこの男性は、地元で開かれる闘鶏の試合の常連だった。試合に向かう途中で、出場させる予定だったニワトリが逃げ出そうとしたとみられる。 インドでは1960年以降、闘鶏が禁じられている。しかし同国の動物愛護団体の理事によると現在も試合は開催されており、明らかな違法行為であるにもかかわらず当局は黙認しているのが実情だ。試合は娯楽目的にとどまらず、巨額の金が動く賭博の対象にもなっているという。 同理事は当該

    印男性、自ら飼うニワトリに襲われ死亡 闘鶏に連れて行く途中
    POPOT
    POPOT 2020/01/23
    ゼルダだ…
  • 【追記】頼むから障害者作業所の商品買ってくれ

    30年度の報酬改定で平均工賃の多い施設ほど一人当たりの報酬が増えるようになりました。(具体的に言うと5000円以下10000円以下15000以下…平均工賃5000区切り) 3障害全て同じ基準です。3障害の施設で平均工賃は当たり前ですが異なります。 私は精神障害者の施設で管理職サビ管で働いています。精神の施設は入院や休みは多く、安定して毎日通える方は一部です。 必然的に通所日数は減り、平均の工賃は少なくなります。内職とお菓子を販売して工賃を捻出していますが、この御時世なかなかお菓子のような贅沢品を買ってくれる人は少ないです。 この日記をみた方はたまにでいいので障害者作業所の商品を買ってくれ。 利用者さんは1万円にも満たない工賃を毎月楽しみにしてくれています。 作業所の商品は経費を除いてすべて利用者に還元するようになっています。 だから障害者作業所の商品を買ってください。 ※追記※ 寝る前にテ

    【追記】頼むから障害者作業所の商品買ってくれ
    POPOT
    POPOT 2020/01/23
    機会があれば買うようにはしている。
  • 廃虚になった映画館がダンスホールに 子どもと楽しむディスコイベント

  • 『このブログを読んで、精神科医になりたいと思う人へ』

    このブログは患者さんだけでなく、その家族や実際に診療をしている精神科医、他科の医師、看護師、コメディカルスタッフ、医学部在学中の学生、あるいは医学部を目指している高校生の人たちも見ていると思う。 今回のエントリでは、精神科医という職業がどのようなものなのか少し紹介したい。 いつかも書いたが、このブログは色々な人たちにもわかる内容に見えるが、一部、実際に診療している人しか理解できないと思われる記事もある。実のところ、あまり啓蒙的なものを意識せず自由に書いている記事もあるからである。 また、最近の記事はなるだけ長文を避けるようにしているが、短すぎると抽象的になり、読者の皆さんにはかえって理解できないようである。(精神科医なら概ね理解できる)どのくらいの長さにするかはいつも思案している。 自分のブログの過去ログを検索すると、全く記憶にも残っていない記事を発見する。同じ内容を書かないように注意はし

    『このブログを読んで、精神科医になりたいと思う人へ』
  • 舞踏家・大野慶人さん逝く 愛に包まれたラストダンス

    舞踏家として生きた大野慶人(おおの・よしと)さんが1月8日、敗血症で息を引き取った。自宅と稽古場「大野一雄舞踊研究所」は横浜市内。舞踏を中断していた1970年代にはシルクセンター(中区山下町1)で薬局の店長を務め、1978年建築の「大佛次郎記念館」(山手町113)の建設運動にも関わった。舞踏再開後、1986年には横浜関内ホール(住吉町4)のこけらおとし公演、1993年の赤レンガ倉庫3号上屋(その後取り壊され現存しない)での「御殿、空を飛ぶ。」公演は赤レンガ倉庫1号2号が保存活用される要因となったり、2006年に映画「ヨコハマメリー」に出演したりと、横浜との関わりは深かった。 稿は、ヨコハマ経済新聞1月11日掲載記事「舞踏家・大野慶人さんがラストダンス 研究生たちと共に」で、最後のダンスの写真を収めた紀あさ(横浜在住・写真作家・ギリヤーク尼ヶ崎黒子)が担当し、その生涯と、最後のひとときをつ

    舞踏家・大野慶人さん逝く 愛に包まれたラストダンス
    POPOT
    POPOT 2020/01/23
    “ 研究生たちは火葬場で、遺族の前で踊り、誓った。「これからも私たちは、慶人さんに教えてもらった美しさと静けさを胸に踊っていきます」”