教師の意外なホンネ@オトナの学級会 @kyokun_edu 例えば子供に「今、必要がないから電気を消してほしい」ときに「電気を消して」と言うか「今、電気が必要かな?」と言うか。ちょっとした違いだが、求める行動をそのまま言うのと、次の行動を考えさせるのとでは、子供の学びは大きく変わる。同じことをするにも考えさせる「ひと手間」は大事だと思う。
教師の意外なホンネ@オトナの学級会 @kyokun_edu 例えば子供に「今、必要がないから電気を消してほしい」ときに「電気を消して」と言うか「今、電気が必要かな?」と言うか。ちょっとした違いだが、求める行動をそのまま言うのと、次の行動を考えさせるのとでは、子供の学びは大きく変わる。同じことをするにも考えさせる「ひと手間」は大事だと思う。
千野 帽子 翻訳「小説列伝」準備中 @chinoboshka2017 先日 #東京マッハ の打ち上げで出た話題。 (1)自分の「体や無意識」が出すサインに鈍感なのはおもに男。知らぬうちに無理を溜めてるから早く死ぬ。自分が不機嫌を露わにするのは原則として意図的なので、みんなそうだと思ってしまい、他人が不機嫌だと敵意と解釈して戦闘態勢を取ってしまう。→ 千野 帽子 翻訳「小説列伝」準備中 @chinoboshka2017 →(2)「体や無意識」が出すサインが気分に直結するしかないのはおもに女。早めに気づいて行動を変えるので長生き。気分が悪いと周囲に当たるので、みんなそうだと思ってしまい、他人の不機嫌にも寛容。→
私の現在のパートナーは出会った当初、キレやすい人だった。 知り合ったときは仕事上の付き合いだったのだが、普段はおだやかなのに何かの弾みでキレてしまう。もちろん最初はビックリした。 正直「このタイプは奥さん大変だろうな」と思った。 彼がバツイチになったのには、それなりの理由がある。と思う。 数年後、そう思った相手と付き合うことになったわけだが、やはり彼がキレる場面はあった。 私はキレられるとシャットアウトした。電話でキレられた場合は、相手がキレ始めて最初のセリフを言い終わる前に電話をブッチ切り。以後電源を切り「キレた人とは話をしない」という態度を貫いた。 キレるのは正直言って甘えだと思っている。そうやっても許してもらえる。という前提において彼はキレていた。仕事のときは、なるべくスムーズに物事が進むようになだめすかし、なんとかうまくやろうとこちらも努力した。しかし、個人的な付き合いになってから
朝の5時半、寝ていた無珍先生が起こされた。 「いいかい、パパは今ドイツに戻る。無珍先生はネエネと日本で暮らすんだよ」 私はそう伝えた。無珍先生は目を見開いた。その目がみるみるうちに潤んでいった。たちまち大粒のナミダがボロボロと流れた。しかし表情はかわらず、目を大きく開けたまま、声も出さずにナミダだけがこぼれ頬を伝い寝間着に染みこんでゆく。一言も泣き声をあげずに、口を結んだまま。私は絶句した。産みの母親を生後二ヶ月半で失い、四歳になって一ヶ月、父親の私も離れていこうとしている。 私は玄関で靴を履きバックパックを肩にかけ、義理の妹がだっこしている無珍先生に向き直った。無言の私、無言の無珍先生。義理の妹も無言のままじっと無珍先生を抱きしめている。じゃあ、オーベン(肩車)してあげようか、というと、無珍先生はいつものようにうれしそうな顔で両手をめいっぱい伸ばしてきた。肩にのると、毎度のことながら私の
都会に住む人間は、その価値を過小評価している。というのが僕の持論だ。そしてそれは東京に6年住んでより強固になった。 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想 http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20130115/1358204323 この記事の感想としては、およそ渋谷に特徴的な衛生問題が多いという事実には同情するとしても、常になにかしらの機会が与えられていることを無自覚だ、という点が地方の人間を刺激するだろう。 子供用の自転車が買えなかったとしても、買える距離に生きているのだ。さすがに子供用の自転車ぐらいは田舎でもみつかるが、嗜好品の類はそもそも手に入るかが怪しい。 今ではインターネットで緩和されたとはいえ、それを実際に目にする機会があるかという点において、それを好きになる機会すら与えられないかもしれない。 表題は、地方出身者を最も怒らせる一言である。 僕は、18歳
うちの家を、まったくの他人が支配してたことがあったという逸話を読んで思ったこと。 リンク先では、「母の友人」としてやってきた正体のよく分からない人が、家族のそれぞれに怪しい働きかけを行うことで、一家が離散寸前まで追い詰められる。 マインドコントロールというと、なんだか怪しげな、複雑怪奇な技法を想像しがちなのだけれど、リンク先の物語で行われていることはたぶん、「君、なんだか評判悪いみたいだね。でも僕は君の味方だから」という文言を、家族の全員に、何度も繰り返していただけなのだろうと思う。 心理的な隔離の効果 上司に当たる人が、組織から誰かをつかまえて、「君、なんだか評判悪いみたいだね。でも僕は君の味方だから」といい含め、組織に戻すと、呼び出されたその人は、他の人を信じられなくなる。他ののメンバーに自分の評判を確認すれば、もちろん「そんなことはない」という返事が返ってくるのだろうけれど、それが嘘
2024年01月 « 1234567891011121314151617181920212223242526272829 » 2024年03月 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472) 他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20100827/1282907901) コメントを残そうかと思ったけど長文になってしまったので、トラックバックすることにした。 とても分かりやすく読みやすい記事なので、是非ご一読を! このブログ記事には長文のコメントもたくさん入っていて、しかも、否定的、肯定的なコメントに分かれています。 このブログやタイトルに
たまにはちょっと真面目な記事でも。あくまで僕のケースですが、とても幼い頃に親を亡くしてしまったがゆえの「呪い」をどうやって解くかのお話です。先にお断りしておきますが、あんまり面白いお話じゃないと思います。不愉快になる人も多いかもしれません。しかも長いです。でも、僕が11年もブログをやっていて、いつか書こうとずっと思っていて、やっと書けたテーマでもあります(それも、まさか解決に近づくとは思ってなかったため書けなかったこのことを)。 呪いって? とは言っても、呪いってなんのことだよ、と思う方がほとんどかと思います。ここでいう呪いとは、まったく記憶にないがゆえの苦しみとでも言い換えられるでしょうか。 僕のケースを詳しく説明します。僕は2歳の頃に母親を亡くしました。心不全だったそうです。実はうちの母方の家系は心臓疾患があるようで、まあうちの母親がそれを知っていたかどうかはわかりませんが、おなかに僕
28歳、コロナで解雇に…住む家も失ったサファリガイドの起死回生 NEW キャリア 2024.02.13
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671 まあ、岩崎夏海さんに比べるとあんまり売れてないのでベストセラー作家を名乗るのはおこがましいのだけれど。 ちなみに、ミリオンセラー>ベストセラー(文芸だと10万部くらいから)らしいので、ギリギリ名乗らせてもらいます。岩崎さんの質問に出来るだけ真摯に応えようと思います。真摯、大事、ってドラッガーも言ってたしね。 何でぼくのことを承認欲求の強い人間だと思うの? これは、そもそもの承認欲求の是非の部分から回答しないと本当の回答にはならないと思います。また、ぼく自身の問題にも深く関わっている為、自分の経験も含めて回答します。 神様に愛され過ぎて手に触れるものが全て黄金に変わってしまうような星の元に生まれついた人間でない限り、文章を書いたり、モノを作ったりする人間にとって、承認欲求というものはガソリ
職場の同僚(女性)から相談を受けました。彼女は現在、交際していないけれど親しくしている男性がいて、彼との関係で悩んでいるとの事。2人の関係は、付き合ってはいないけれど、恋人とするようなことは全てしており、最近、彼が突然冷たくなったらしい。メールを返してくれなかったり、冷たい、会ってくれなくなった。どうやら、彼女と彼が親しくなる前、彼には交際している女性がいたが、その後その女性と別れ、当然自分と付き合ってくれると思っていたのに、思うようにならなかった。「男ってみんなそんなモンなんですか?」といわれて、『・・・まぁ、体目当てとか、釣った魚に餌をやらないとか、そういう目的で近づいた男ならそんなもんなんでしょう』という言葉を飲み込みつつ、何の解決にもならないあたりさわりの無いことを言いました。 今回のエントリーは彼女のことではなくて、少し引っかかることがあったのでかいてみました。それは「都合の良い
私のすっごく浅いBL感は、中学生か高校生のときに読んだ中島梓:コミュニケーション不全症候群(amazon.co.jp)での中島梓(栗本薫)さんの解説であり、小説道場(1)(2)(3)での間接的な説明から来ている。 中島梓さんの個人的内的衝動を言語化したもので、一般化できるものではないのだろうけど、男の目線からの評価が否応なくつきまとうために、それを外す方法として、女がまったく出てこない世界を構築しているという解釈に、ひどく納得したのを覚えている。そして、男性はそういうことがなくてよかったなぁと浅はかに思ったのも覚えている。 ところがどっこい、上記を読んでいた時代とは異なり「イケメン」という言葉が一般的になっているように男性も「女の目線からの評価」が否応なくつきまとうようになっており、それの評価を外すために「リア充」なる言葉をつくって「その基準には含まれない自分」を作り出したのかなぁと感じる
『相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、 id:ekirei-9 理屈はわかるけど具体例がほしい という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。 母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。 学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。 母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入
代替療法関連だったでしょうか、以前どらねこはブログでこんな内容のことを書いた記憶があります。 不安を持つヒトが自身では何もしないでいることはそれだけで苦行である これは自分の経験を踏まえて書いた事ではあるのですが、周囲を観察していてもよく見かけるように思います。 ■ついつい何かしてしまう とるにたらないような事からこれはちょっと・・・と思ってしまうような事例など様々です。取るに足らないと思われる事例としては、こんなのがあります。 −口内炎ができた− あ〜、ちょっとほっぺたの内側赤く腫れてるかな(舌でコリコリ) −しばらくして− 腫れてたところどうなったかな、あ真ん中少ししろくなってるし(サワサワ) −またしばらく− あー、まだはれてるなー(つんつん)あ、痛い! −まをおかず− 無意識に(つんつん) 口内炎出来たときって、舌先で探ったり、ちょっと突いちゃったりしませんか?炎症なので、患部を必
夏休みになると日記の宿題が出て、あれが嫌で嫌でしょうがなかった。 日記が大好きな子供なんて、今でもたぶん、決して多いはずがないのに、インターネットで文章を書く人はびっくりするぐらいに多い。 日記にはない、ネットが持っている大事な機能が「他人の目」なのだと思う。それがどんな形であれ、自分以外の誰かの反応が、できれば賞賛する側に返ってくることで、その人の振る舞いは大きく変化する。 ほめるのは難しい けなされれば人は腐るし、何かの能力をほめられると、時々人は大きく伸びる。「ほめて育てましょう」と言葉にするのは簡単だけれど、実際のところ、誰かをほめるのは恐ろしく難しい。 誰かをけなせばいいのなら、仕事を命じて、マニュアルを渡して、結果が出るまで放置して、規定に足りていない部分をあげつらえばいい。ところが誰かをほめようと思ったら、その人がどんな工夫をして仕事をこなすのか、ほめる人はずっと見張っていな
『愛国心と赤ちゃん願望』でも述べたが、人は「誰からも愛されたい。誰からも受け入れられたい。誰からも特別扱いされたい。誰からも否定されたくない。誰もが自分の望み通りに動いて欲しい。」という願望(幼児的万能感)を、多かれ少なかれ誰でも持っている。食欲・睡眠欲・排泄欲が身体の根源的な欲求とするならば、この願望は精神の根源的な欲求だろう。 この願望は、例えて言うなら自分の心の中の赤ちゃんだ。心という家の中に、大人の自分(理性)と赤ちゃんの自分(感情)が一緒に住んでいるようなものだ。 精神的に自立するということはつまり、自分の心の赤ちゃんのお守りを自分でできるようになるということだ。赤ちゃんの話をよく聞いてやり、落ち込んでいたら抱き締めて慰めてやり、怒りを抱いていたら適切に発散できるよう取り計らう。 たまには、誰かに慰めてもらったり励ましてもらったりと、赤ちゃんの世話を他人に手伝ってもらうこともある
「頭が良い人だと思われたい」という願望を強固に持った人ほど、頭の良さから遠ざかってしまうのではないかと思う。「良い親だと思われたい」という願望を強固に持った親ほど、良い親から遠ざかってしまうように。 なぜなら、こういう人は「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれやすく、自分の感情的な面を認められなくなるからだ。「良い親だと思われたい」人ほど、自分の悪い面を認められなくなるように。 「頭が良い人だと思われたい」という願望は、れっきとした感情なのだ。しかし、「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、この感情を自覚できなくなる。自分の感情的な面はなかったことになり、理屈の下にある自分の感情を掘り起こすより、辻褄を合わせるために正当化の屁理屈ばかりが上手くなってしまう。 「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、自分の感
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