北田論に関するPyotr1840のブックマーク (30)

  • 異分野と格闘へ 新思想誌誕生 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    哲学者の東浩紀さん(36)と社会学者の北田暁大さん(36)が編集委員を務める思想誌「思想地図」(NHK出版)が今月30日刊行される。〈二〇一〇年代の知的な羅針盤を設立する〉とうたい上げた創刊号の特集テーマは「日」。公募で選ばれた1人を含めた平均年齢30代半ばの12人が、マンガから宗教まで日の諸問題を多角的に分析しており、450ページ超の分厚さとなっている。 北田さんは創刊の理由について、「(柄谷行人氏や浅田彰氏が編集委員を務めた思想誌)『批評空間』が終刊する一方、現在の論壇誌は経済などの具体的な問題に関心が向いている。文学や社会学、哲学などを総合し、抽象的な議論ができる“異分野格闘技”の場があっていいと考えた」と話す。 中でも、「国家やナショナリズムは『想像の共同体』にすぎない」とする現代の思潮を乗り越えようとする編集委員ら5氏による討論「国家・暴力・ナショナリズム」は刺激的だ。想像の

  • Webマガジンen

    私たちは日々何かを「信じて」暮らしていますが、なぜ「信ずる」のでしょうか。あるいはなぜ「信じ」たがるのでしょうか。マスメディア、統計、常識、安全、健康、科学・・・・さまざまなレベルの〈信ずる〉を、各界気鋭の研究者に語っていただきます。 北田暁大 きただ・あきひろ −  1971年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。筑波大学講師等を経て、現在は東京大学大学院情報学環助教授。専攻は理論社会学、メディア史 著書に『広告の誕生』『広告都市・東京』『責任と正義』、共著に『子ども・青少年とコミュニケーション』など 私たちの社会は、マスメディアやインターネットが提供する虚実入り乱れたさまざまな情報に取り囲まれている、だから、メディアの受け手(audience)である私たちも、メディアが繰り出す情報を鵜呑みにすることなく、つねに疑ってかからなくてはなら

  • 『限界の思考』を、もう一度(2) - sekibang 1.0

    限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学posted with amazlet on 07.03.12宮台 真司 北田 暁大 双風舎 (2005/10/22) 売り上げランキング: 133000 Amazon.co.jp で詳細を見る 第2章は「文化を記述する方法」。ここではどのように社会学が文化を読むべきか/記述すべきかについての議論が重ねられている。冒頭は北田暁大が上野千鶴子/廣松渉から学んだ態度――弁証法的な止揚を拒絶しつつ、安易な多元主義におちいらないという立場どりの理論的・倫理的重要性について語っている。このあたりは個人的にアドルノとも共鳴して読め、面白かった。「『……が欠けている』という批判はまったくごもっともで、そう指摘さるあなたご自身が、そういう観点から分析をなさればいい。私は、フェミニズムが見出してきたこのふたつの変数を設定することによって問題に取り組んでいく」という

    『限界の思考』を、もう一度(2) - sekibang 1.0
  • 『なぜ人は書くのか』茂呂雄二(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 新しいテクノロジーが登場し、そのテクノロジーが身体化される。その過程でぼくたちは、それまで知らなかったある感覚を経験していくようになる。 キーボード・タイピングはその典型例だ。ある程度習熟してそれなりの速度で打鍵できるようになると、頭のなかとディスプレイが直結され、思考がそのまま文字化されるかのように感じられはじめる。ワープロあるいはパソコンが普及していく1980年代末から90年代前葉にかけて、少なくない数のひとびとがそうした経験をみずからのうちに発見した。それは、なるほど、たしかに日語執筆の歴史のなかでは初めてのことだった。ひとびとは、ワープロやパソコンによって思考が活性化され、それまでとは異なるステージに飛翔しえたかのように感じた。書くという行為が機械化されることによって、なにか頭がすごくよくなり、それまで隠されていた力が急に引き出されるような気がしたものだった

    『なぜ人は書くのか』茂呂雄二(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • Kawakita on the Web - 仲正昌樹氏「北田暁大に告ぐ『諸君!』に出て何が悪い」を読む

    様々な情報を掲載してくれている松浦大悟さんのBlog・不機嫌な日常で、日発売の「諸君!」2006年2月号に、先日のトークセッションおよびその中止の顛末に関する仲正氏の「北田暁大に告ぐ『諸君!』に出て何が悪い」が掲載されているとの情報があったので、近くの図書館に読みに行ってきました。 不機嫌な日常 北田暁大情報:諸君!2006年2月号 北田暁大に告ぐ「諸君!」に出て何が悪い(仲正昌樹) http://daico.exblog.jp/2419821/ 内容は、仲正氏が雑誌「諸君!」で八木秀次氏・小谷野敦氏と鼎談を行ったことで、その中身にかかわらず仲正氏のこれまでの経歴や左翼批判の言説を絡めて仲正氏の立場を「右」と決め付けたがる動きが出てしまったこと、およびトークセッションで北田暁大氏(や企画の双風舎・谷川茂氏)が過大にテーマとしてとりあげてしまったため誤解が生じる「養分」となってしまったので

    Kawakita on the Web - 仲正昌樹氏「北田暁大に告ぐ『諸君!』に出て何が悪い」を読む
  • 2005-11-27

    三省堂店で開催された立岩真也氏×稲葉振一郎氏トークセッションに参加してまいりました。以前ジュンク堂池袋店で開催されたトークの続きとのことで、僕はそれには参加していなかったのですが、話の内容は立岩信也さんの関心テーマと稲葉振一郎さんの著作(『経済学という教養』、『「資」論』)に関することでした。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 「社会の財を分配する正義はどのように根拠付けられるか」という問題に対して、 稲葉氏:(注意:kawakitaが稲葉氏の『「資」論』を読んだ理解なので正確でない可能性があります。) 各人には市場に労働力を提供する人的「資」があると擬制する。各人を人的資という財産権を所有する主体とみなすことで社会権(生存権)を基礎付ける。 立岩氏: 人ごとに労働能力が違うのは当然。労働できるで

    2005-11-27
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

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  • 双風亭日乗 - 仲正×北田トークについて、双風舎からのお知らせ(コメント欄)

    上記トークの反響です。いつもお世話になっている成城トラカレで紹介されていたものを、そのまま転載します。 ◆「Kawakita on the Web:仲正昌樹×北田暁大トークセッション「わかりやすいことは、いいことなのか?―メディア・政治・ロマン主義―」参加」 ◆「言ノ葉:仲正・北田対談」 ◆「鮭缶の日記 :仲正昌樹×北田暁大トークセッション 「わかりやすいことは、いいことなのか?」 ◆「過下郎日記:非モテ雑記 仲正昌樹×北田暁大トークセッション」 まだ正式な告知がされておりませんが、以下のトークセッションを企画しました。 JUNKU 連続トークセッション 宮台真司×内藤朝雄 「精神的売春を強いる社会」 日 程: 2005年12月29日(木) 19:00〜 入場料: 1000円(ドリンク付) 場 所: ジュンク堂書店池袋店 4階カフェにて 定 員: 40名(お電話またはご来店にてお申し込み

    双風亭日乗 - 仲正×北田トークについて、双風舎からのお知らせ(コメント欄)
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    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

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  • akakiTiysque。 - death by hanging.今出てる諸君12月号の表紙を見て目の前が真っ暗になったよ。

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    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

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  • Kawakita on the Web[event] 仲正昌樹×北田暁大トークセッション「わかりやすいことは、いいことなのか?—メディア・政治・ロマン主義—」

    三省堂店で開催された双風舎*1主催の仲正昌樹×北田暁大トークセッション「わかりやすいことは、いいことなのか?―メディア・政治・ロマン主義―」に参加して参りました。 内容は、前半は仲正さんの著作『デリダの遺言』を、後半は仲正さんが参加された雑誌・諸君!12月号の小谷野敦×仲正昌樹×八木秀次鼎談「この世の嫌われモノをどうする! タバコ・フェミニスト・監視カメラ・人権擁護法案…」を起点としての「左派をしっかりさせるための」左派批判といった感じでした。 以下に、語られたすべてではありませんが印象に残ったことをまとめてみました エクリチュール(書かれた言葉)は、常に、すでに「死んだ言葉」であって、それと「話し言葉」との対応関係を求めていく思考をデリダは「音声中心主義」として批判した。 「死んだ言葉」と「生きた言葉」の一致を求めていくような欲望はなかなか潰えず、現代でも違う文脈で何度も回帰して、「生

    Kawakita on the Web[event] 仲正昌樹×北田暁大トークセッション「わかりやすいことは、いいことなのか?—メディア・政治・ロマン主義—」
  • 仲正×北田トーク - 双風亭日乗はてな出張所

    雨模様であり、大澤×見田トークと時間が重なっていましたが、おかげさまで100人弱の方がトークを聞きにきてくれました。来ていただいた方がたに、感謝いたします。 ロマン主義を中心とした議論をすすめる予定でしたが、北田さんからの『嫌韓流』という漫画の紹介を契機に、ネットでも盛んになっている「論破の論理」、そして右派と左派の話などが議論され、たいへん盛り上がりました。 突然のことで驚きましたが、宮台さんには「観客」として参加していただきました。質問コーナーで講師のふたりに詰めよったりと、さらに盛り上がりました。 もうすこし歴史的な部分に踏み込む内容を考えていたのですが、靖国問題や総選挙など、タイムリーな話題が続出したことから、私の想定外の部分が、お客さんにとっては楽しめる要素になっていたと思います。だからトークセッションは面白い! 次回の日程は、ただいま調整中です。第二回が、11月の第2日曜日か第

    仲正×北田トーク - 双風亭日乗はてな出張所
  • 2005-08-15

    chikiは以前、「事柄を明らかにし、議論を発展させwin-win(どちらも得をする)の関係を築くように対話を進めていくのではなく、自己(サイド)の優位と相手(サイド)の劣位を宣言・固定(←証明、ではない)するためだけに議論する。そのためには手段を問わない」という議論の仕方を機会主義(opportunism)として把握し、エントリーを書いたことがあります。「機会主義」は、経済の議論をする際の用語のようなのですが、この場合の《自己利益の追求》の《利権》を大きく捉えた場合、普遍的な議論一般に当てはまると思い、使用しました。 この言葉は結構便利で、BLOGでの炎上騒ぎで、各コメントがこぞって「道徳」などを振りかざしている時など、議論の仕方に「おや?」と思ったり、例えば「言葉の上では正しいことを言っているんだけど、その言葉を書く行為がそれを裏切っている気がするぞ」って時に問題の所在がすっきりしたり

    2005-08-15
    Pyotr1840
    Pyotr1840 2005/08/16
    「機会主義」の論法
  • カーニヴァル化する思想。 - 記識の外

    前回のエントリは、実はこののレビューを書くための準備なのでした。 というわけで、某大院某ゼミの先輩である鈴木謙介の新刊をレビューしてみることにしよう。 まず、書のタイトルにもなっている「カーニヴァル化」および「カーニヴァル」という語についてだが、これは主に2ちゃんねるに顕著に見られるような、現実的な「ネタ」を題材にした主にネット上での集合的盛り上がりのことを指しているようだ。それ以外の事例として2002年ワールドカップなども視野には収められてはいるものの、基的に筆者の関心は2ちゃんねるを中心としたネット上での盛り上がりや、あるいは2ちゃんねる発祥のオフイベントへと向けられている。 ところで、かつて鈴木謙介は、これらの「社会現象」を説明するにあたって「集合行動」という用語を用いていた*1。そして、そこでの鈴木謙介によるまとめによれば、「集合行動」とは下記のように類型化される。 集合行動

  • 2005-08-01

    『仲正昌樹×北田暁大トークセッション』の案内がありましたね、タイミングよくぴぴさんからも北田暁大の『嗤う日のナショナリズム』のレビューがアップされていました。ぴぴさんの不満は例えば、東浩紀は自ら「オタク」である内側からコミットする彼自身の実存的な選択があり、『動物化するポストモダン』を考察する、これしかないという身体的な選択と言うか、止むに止まれぬものがある。それは森岡正博の『無痛文明論』にしたところで、彼自身、無痛文明にどっぷりと浸かっている身体的な甘美と危機感がある。そこから、語っている。だから、体系として穴ぼこが方々に空き、危なかしいが、何か惹かれるものがある。北田さんの分析は鋭く、見事で爽快感さえあるが、読後にもやもやしたものが残る。 ぴぴさんの言いたいのは東浩紀にしろ、森岡正博にしろ、好きなものを研究対象にしているが、北田さんは2ちゃんねるをちゃんとロムしていないんじゃあないか

    2005-08-01
  • 「書評」について - 双風亭日乗はてな出張所

    葉っぱさんのブログで、北田さんのが取りあげられていました。 http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20050801 同ブログを起点にして、『嗤う日の「ナショナリズム」』(以下、『嗤う』)の書評をいくつか拝読しました。それで、ふと、書評って何なのだろう、などと考えてしまいました。 まず、それぞれの書評は、とても的確に北田の特徴を指摘されていると思いました。しっかりと読んだうえで書かれているのが、よくわかります。私自身、同意した部分が多かったのも確かです。 だがしかし……。疑問に思うところも、いくつかありました。今回は、ただ1点にしぼって、疑問点を書いてみます。 その疑問は、書評なのか「個人の評価」なのかの境界が、あいまいな「書評」がある、ということです。 当たり前のことですが、(とりわけ人文系の学者が書く)というのは、著者が身を削り、考え抜いて、「

    「書評」について - 双風亭日乗はてな出張所
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    日記_2024.8.29 鞍馬と貴船 29日は鞍馬と貴船に行ってきました。こんな天気でバイクは無理、でも引きこもるのも嫌なので前々から行きたかった鞍馬と貴船に行くことにしました。ただ、いつ大雨が降っても全くおかしくないので天気がヤバそうなら帰ることにします。普通に日帰りできる距離ですから…

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    Pyotr1840
    Pyotr1840 2005/08/02
    名もなき思想家たちの誕生 東浩紀・北田暁大・鈴木謙介への違和感
  • 『嗤う日本のナショナリズム』(続) - 梶ピエールのブログ

    昨日の反日デモについて考えていて、以前取り上げた北田暁大さんの『嗤う日のナショナリズム』ISBN:4140910240こととのつながりが少し見えてきたような気がした。結局、僕が反発を感じるのはほぼ同年代である北田さんの言説から濃厚に漂ってくる一種の「やりつくした観」に対してなのだと思う。 先のエントリーid:kaikaji:20050331で 例えば2ちゃんねる的シニシズムによる「悪意あるツッコミ」は、一件脈絡がないようでありながら、「朝鮮人」「中国」「部落」「戦争責任」「フェミニズム」といった、80年代的なアイロニズムの雰囲気の元では「重過ぎる」として言及が避けられる傾向にあった「社会的弱者」あるいはそれをめぐる「学校民主主義的」言説への違和感がそのコアとして位置づけられているのは周知の事実である。だが、北田氏のように「メタを指向し続けるパラノイアックな行動原理」によって全てを説明しよ

    『嗤う日本のナショナリズム』(続) - 梶ピエールのブログ
    Pyotr1840
    Pyotr1840 2005/07/30
    『嗤う日本の「ナショナリズム」』評(続) 反日デモを受け「やりつくした感」への反論
  • 嗤う日本のナショナリズム - 梶ピエールのブログ

    ここしばらくのエントリーの流れからいくといかにも唐突のようだが、ここのところ北田暁大さんの『嗤う日のナショナリズム』ISBN:4140910240 のことが非常に気になっている。自分としては彼の示す見取り図にかなり違和感を抱いているのだが、まだなかなか思うようにまとめられない。とりあえずメモ書き程度に書きとめておきたい。 このの内容について紹介するのも今さらの間があるが、僕自身の頭の整理のためにまとめておこう。60年代的な政治主義(「自己反省」主義)、およびその最終形態としての連合赤軍事件に対して、80年代においてはそれらに対する「抵抗としての無反省」という意味合いをもった消費社会的アイロニーが登場し、一旦勝利を収めた。しかし、その常に「ベタなものにたいするメタ」を追求していこうとする自己目的化した運動がいきつくところまで行った後、90年代後半には「60年代的なものへの抵抗」という当初

    嗤う日本のナショナリズム - 梶ピエールのブログ
    Pyotr1840
    Pyotr1840 2005/07/30
    『嗤う日本の「ナショナリズム」』評