レイプゲーム規制問題についてブログでいろいろ読んでみて、女性差別がどうのとか、表現の自由がどのうとか議論されているわけですけど、この手の問題が生じるというか、表現物に対して抗議行動が起こる根本には、社会空間におけるひとりひとりの在り方みたいなものが関係しているような気がします。 社会空間が社会空間として維持されるためには、少なくとも他人同士が互いに「話せば分かる」という間柄でなければならないでしょう。もしも「話しても分からない人」がいたとしたら、その人に何らかの行為をする際にたとえ「その人がそれをされることを受け入れなければならない筋の通る理由」を説明したとしても、その人はそれをされることを受け入れずに反撃をしてくるかもしれません。もしそうだとしたら、「筋の通る理由」を用意することなどまったくの無駄で、それよりも反撃に対抗できる手段を用意することがよほど合理的となるでしょう。互いにそのよう