ロシアが旧ソ連時代の1940年、ポーランドの将校ら2万2000人以上を殺害した「カチンの森の虐殺」の事実を否定しはじめた。今般のウクライナ侵攻でロシアの戦争犯罪が非難されるなか、自国の負の歴史を書き換える意図がある。(カチンで、小柳悠志)
ウクライナのキーウ(キエフ)地域の国境施設がロシア軍の空襲で破壊されたている。[写真 ウクライナ内務省フェイスブックページ] ロシア軍から実際に去勢など残忍な拷問を受けたというウクライナ兵捕虜の証言が伝えられた。 ロシアに抑留され両国の捕虜交換で解放されたウクライナ兵の精神的問題を治療する心理学者アンツェリカ・ヤツェンコ氏は17日、英紙サンデー・タイムズとのインタビューを通じ戦争の惨状を伝えた。ロシア軍に捕まった25歳と28歳の2人の男性の話を伝えながらだ。 ヤツェンコ氏は被害男性らが初めて自分と会ってから1カ月間はどんなことを体験したのか口にすることすらできなかったとし、「もし地獄があるならば、『そこ』は地獄よりもさらに最悪だろう」という話をしただけだといった。 その後彼らの話を聞いたヤツェンコ氏はトイレに行って泣きに泣いたとし、「これまでこんなにぞっとする話を聞いたことがない」と話した
ウクライナでは、ロシアに包囲された南東部マリウポリの製鉄所から100人以上の市民が避難しました。一方で、市内周辺には「ロシア側が“選別センター”なるものを設置して、避難した人たちを捕らえている」という情報があります。「避難バス11台が消えた謎とは」、「“選別センター”で何が?」、「ロシアが『戦争』宣言?“第3次世界大戦”か」の3つのポイントについて詳しく解説します。 3日、ロシア軍に包囲されていたウクライナ南東部マリウポリのアゾフスタリ製鉄所などから避難した市民たちの「第一陣」が、約200キロ離れたザポリージャに到着しました。到着したのは127人で、製鉄所だけでなく近隣で合流した人たちも含まれているといいます。 国連などによると、今回、製鉄所から避難したのは101人でしたが、中には製鉄所から脱出できてもマリウポリに残ることを決めた人もいたということです。 避難した最年少の子供は、生後6か月
ロシア軍による侵攻が続くウクライナ南東部のマリウポリの市当局は28日、露軍の包囲が始まった3月1日からの27日間で子供約210人を含む約5000人が死亡したとする推計を発表した。ウクライナメディアが報じた。 人道危機が深刻化する同市の状況についてウクライナのベネディクトワ検事総長は「ジェノサイド(大量虐殺)に当たる」との認識を示し、露軍を強く非難した。ウクライナメディアによると、マリウポリでは包囲前に約14万人、包囲後には約15万人が避難に成功したが、今も市内には約17万人が取り残されているとみられる。このほか、市当局は市民約3万人がロシア側に「連行」されたと訴えている。市の推計では住宅や病院、学校などの約9割が露軍の攻撃により何らかの被害を受け、約4割は大破したとみられる。市内では今も戦闘が続いており、正確な死者数は確認できない状態という。 ベネディクトワ氏はマリウポリの状況について「こ
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