形式と構造のことばとしての「数学」 数学とはことばの世界である、などというようなことを前回の記事でかなり強く主張したわけだけれども、じゃあぼくが数学をどれほど理解しているのかというのはまったく別の問題になる。 乏しい知識で語っちゃう浅はかさをお許しいただきたいのだが、20世紀は数学にとって激動の時代だった。なかでももっとも広く知られ、数学の範疇さえこえて多大な影響をおよぼしたのがクルト・ゲーテルの「不完全性定理」だろう。 不完全性定理の発端となるのはダフィット・ヒルベルトによる「数学という体系そのものを数学しよう」という試みだった。ヒルベルトは19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した大数学者で、「無限ホテルのパラドックス」という無限と有限の概念に関するこれまた有名な思考実験でも知られているのだが、この件に関してもパラドックスが重要なテーマとなっている。 ヒルベルト自身は数学の完全性を信
このことは、いわゆる虚時間が本当は実時間で、われわれが実時間と呼んでいるものは、われわれの想像が構成したものにすぎないことを示唆しているのかもしれない。 実時間では、宇宙は時空の境界をなす特異点にはじまりと終わりを持っており、そこでは科学法則は破れる。だが虚時間では特異点あるいは境界はない。だとすると、虚時間と呼ばれるのが本当はより基本的なもので、実時間と呼ばれているものは、われわれが考えている宇宙像を記述する便宜上、考案された観念にすぎないのかもしれない。 しかし、私が第一章で述べた見方にしたがえば、科学理論とはもともと、われわれが観測を記述するためにつくった数学的モデルに他ならず、われわれの精神の中にしか存在しないのである。だから、どれが実は“実時間”であり、“虚時間”であるのかとたずねるのは無意味だ。どちらがより有用な記述であるかというだけのことである。 スティーブン・ホーキング、『
「パウリの排他原理」で有名な理論物理学の偉人ヴォルフガング・パウリはひどく実験が下手な科学者だった。あまりにも実験が下手すぎたので「実験が失敗するのはパウリのせい」というジョークも生まれ、これは「パウリ効果」として広く知られて複数の逸話がいまでもよく語られている。 なかでも有名なのは、ゲッティンゲンの研究所における爆発事故だ。実験中におこったこの事故で研究員はまずさきにパウリを疑ったが、かれはその日はとある街を目指して列車に乗っていた。しかし調べてみると、事故が起こった時刻、パウリを乗せた列車はちょうどゲッティンゲンに停車中だったことが明らかになったという。 ※【たわごと日和。】第1回 「発想」はどこからやってくるのか……羽生善治の「大局観」とAIによる「演算処理」 理系の研究室では日夜フラスコが揺られているのか? この話はさておき、ぼくは関西に住んでいるのだが、先日、学生時代に妹のように
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