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ブックマーク / noon.serio.jp (16)

  • 自分がくだらない人間であると言うブロガーほど信用できない生き物はいない (セックスなんてくそくらえ)

    別に「くだらない」に限ったことではない。 同じように「無知」や「文章が下手」や「アルファブロガー」といった、あらゆる自己卑下の形式に当てはまることではあるのだが、この手の人間の手口というのはいつでも見え透いている。 つまりこの手合いは、実のところ、自分は当は馬鹿でも無知でもないと思っているのである。 いや、自分は頭が悪いですから、自分はくだらない人間ですから。 そう平然と言う人物の口には薄く笑みが浮かんでいるのを、あなたは目撃したことがないだろうか? 自分を「無知」であり「馬鹿」であり「アルファブロガー」であると、「謙虚に」認めて見せるまさにその瞬間、その自意識は密かに無傷のまま保たれる。 自分が真にくだらなく、愚かで、無知な人間であるという、その矮小なプライドにとってもっとも受け入れがたい、かつ動かせない事実。 自己卑下をパフォーマンスして見せることにより、そういった受け入れがたい事実

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    REV 2007/07/26
  • 雷をはらんだ雲の下で (セックスなんてくそくらえ)

    打ち合わせを昼過ぎに終えて巨大なビルを出ると、外は真夏のような光にあふれている。私はおろしたてのワイシャツのボタンをゆるめて、日がじりじりと照りつける中駅に向かって歩き出す。今朝まで降っていた雨のせいか、空は青く澄んでいる。私は普段はノートパソコンThinkpad1124を入れている革鞄を右手から左手に持ち直す。企画書と納品物しか入っていない鞄は軽い。あまり人のいない昼過ぎの道を渋谷駅への向かって歩いていく。背の低いビルの向こうに、巨大な入道雲が浮かんでいる。その白い体が光を浴びてただ静かに浮かんでいるのを、私は立ち止まってぼんやりと見た。 入道雲のことは英語でサンダーヘッドというらしいことは、高校のころあるノルウェー人のクラスメイトから聞いた。おそらく雷をはらんだ巨大な頭、という意味だろう。熱帯に住んでいるとそのイメージがよくわかった。太陽光線によって毎日のように炙られ、熱せられ、蒸発し

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    REV 2007/06/16
    |描写が素晴らしい文章。
  • ペプシ・アイス・キューカンバー (セックスなんてくそくらえ)

    毎日のように買っておいてなんだが、この飲み物を考えた人間は頭が相当おかしい。 まずネーミングのセンスが馬鹿だ。アイス・キューカンバー。氷胡瓜。とてもではないがキュウリをべたことがある人間が名付けたものとは思えない。キュウリだけならまだしも頭にアイス。購買者を舐めているとしか思えないこのセンスがまずすばらしい。 そしてこの色。人工着色料以外にありえないエメラルドグリーンのこの液体。この色にしようと決めたのはいったいどこの誰なのか問い詰めたいところだが、この色に関して「カラダに悪そう」とか言って否定的な意見を述べた同業者を見かけた。お前は何を言っているんだ。ペプシはカラダに悪くてナンボである。カラダにいいペプシなんぞ飲む価値なしであり、この色を選んだセンスにも脱帽だ。 またこの味。キューカンバーと銘打っておきながら無果汁と堂々と書いてあるのに脱力するが、この色でかつこの名前なのだから、そもそ

  • よそ者たちの国、デング熱に関する記憶 (セックスなんてくそくらえ)

  • 知性なき「はてな」(2)―乞食より貧しいはてなブックマーカーたちの精神 (セックスなんてくそくらえ)

    あるブログの書き手のあまりにひどい言語障害、そしてそのようなブロガーが書き捨てるエントリに盲目的に追従する、頭が悪いとしかいいようがない数多くの読者の姿。 この二つが渾然一体となってかもしだす、なんともいえない雰囲気こそが、ブロゴスフィアという人生劇場の醍醐味であり、その舞台で日々行われる悲喜劇を、軽いめまいと頭痛を覚えつつ眺めるということが、私たち現代に生きるものの楽しみである、と言えないこともないだろう。 そしてそのような光景は日常茶飯事である。 さて、日私noon75が皆さんにご紹介したいと思うのは、次のようなブログである。 不謹慎な箱男: ホームレスになってみよう。 世に曰く 「乞は三日やったらやめられない。」 らしい。 そいつが当かどうか試してみてぇ! ということで、6/7~6/9にかけて新宿において2泊3日のホームレス生活をやってみた。 そしてこの人物は、事にも

  • 決別できない過去のために (セックスなんてくそくらえ)

    所用があって昔の女に手紙を書いた。送信ボタンをクリックして、送信の進展バーが進んでいくのを眺めながら、まったくもって思い出というものはうっとおしいものだと思う。とっくの昔に忘れたと思っていた観光地で聞いたカッコーの鳴き声、蒸気機関車の響き、手で触れた冷たい水、資料館の漱石の遺稿、客のいなかった旅館の床のきしみ、チェックアウトしたあと女が傘を忘れて自分が代わりに取りに戻ったことなど、突然思い出されてきて、まるで阿呆のようにこうして椅子に座っている。この世界に生きるあらゆる人間がそうであるように、誰しもが個人的な痛みや悲しみを抱えており、むろん私もそういった凡庸なる人々の一人でしかなく、そこから逃れられると思うのはただ滑稽である。椅子に座ったままぼんやりと日用のエントリの空白の入力画面を見ながら考える。ブログの画面の反対側には、おそらく人の数だけの一瞬の孤独があり、薄く青い悲しみがあり、自意

  • ブログをくだらなくするたった一つの方法 (セックスなんてくそくらえ)

    あなたはこんなことを知っていただろうか。 毎日更新されるようなブログに掲載されている99.999999%のエントリは、誤字、脱字、ほのめかしだらけで、内省のカケラも見あたらない、愚にもつかない内容の文章であるという事実が、統計によって明らかになっているということを? そしてあなたはこんなことを知っているべきではないだろうか。 自分のブログを何があっても毎日更新し、読む価値のない、書く価値のない、誰も読まず、そして誰の心も動かさない三流テキストを毎日のようにネットに公開することで、ブロゴスフィア全体の品質を落とすことができるのだということを? さらにあなたはこんなことを知っているべきではなかっただろうか。 開放されたコメント欄やトラックバック欄に群れをなして集まるかわいらしき子犬のようなアクセス乞、白痴コメンテーター、顔も名前も文才もない、圧倒的大多数のネットにしか居場所のない人々の、何一

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    REV 2007/06/04
    ブログから、誤字脱字・誤謬・誤解・誤読・粘着、その他諸々をなくす方法がある。ブログを消去してIDを抹消することだ。WANの回線を引っこ抜くともっと良い。
  • 知性なき「はてな」―本の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ)

    あなたの経歴を知っているわけではないが、少なくとも現代の先端を走る技術者はほとんど書籍には頼らない。なぜなら書籍がでるころにはすでにその技術はコモディティ化しているからだ。 もはや技術のスピードはがでるようなスピードでは進化していない。もちろん普遍的な技術もあるのでそういったものは書籍に頼ったほうが効率が良いだろう。だが最先端を進むには、普遍的な技術プラス新しい技術を見る目が必要なのだ。 あなたの記事を読んでいると、とてもここ最近のインターネットの事情について詳しいとは思えない。もう少し勉強してから批判をしてみてはいかがだろうか

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    REV 2007/04/11
  • ブログ七つの大罪 (セックスなんてくそくらえ)

    ブログにおける七つの罪、あるいはブロゴスフィアの愚かさと罪を体現している七人のブロガーたちについて、僕は語ってみたいと思う。幼く、若く、男を知らない処女のようなウブなインターネットの中で、まともにものを考えるということはどういうことか。たやすくセミプロライター同士の派閥争いの道具として利用され、自称ジャーナリストたちの野心を実現する広告塔となり、性欲をもてあます男たちの女を買うための売春ツールに堕してしまう、まったく自分がしていることに無自覚な、無邪気で純粋なブロゴスフィアのために、僕は書いてみたいと思う。 だがしかし、これは僕らがいつか来た道だ。僕らの愚かさはさほど変わっておらず、新しい技術によって僕たちの姿が変わったかのように誤解するのはさらにバカバカしいことである。ブログ七つの罪。傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴、色欲と一般的に呼ばれる七つの罪についていま考えることは、かつて来た

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    REV 2007/03/23
  • ザ・ラスト・メンヘラー (セックスなんてくそくらえ)

    「メンヘラー」という、意味のわからない日語がある。Mental Healthの略語として使われているらしいが、それにしても意味不明な言葉だ。ネットにおいてはこれが軽度の精神病を罹患している者の総称として使われているようである。いや、もう少し言うと、これは「なんちゃって精神病」であり、「仮病精神病」であり、「身体の具合が悪い理由を考えるために精神病を持ち出す心と頭の弱い一般人」のことを指すらしい。たしかにそう考えると、このメンヘラーという言葉のもつバカらしい響きがよく説明できるように思う。当の精神病がどのようなものか知っている者にとって、このような言葉で自らを呼ぶ人間というものは、ただ不愉快な存在でしかない。 さて「セックスなんてくそくらえ」の読者は、noon75のブログがいわゆる心と頭の弱い人々にも愛読/粘着されていることをよくご存知かと思う。なぜかはわからないが、僕の書く文章にはこう

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    REV 2006/12/24
  • ブログにおける腰抜けの5つの特徴 (セックスなんてくそくらえ)

    現実でも似たようなことが言えるはずだが、基的にはギャラリーの視線によって勝敗が決するブロゴスフィアでは、自分がいかに腰抜けではないか、いかに勇気があって、いかに知性のある人間かということを、常に読者にアピールする必要があり、なぜかというと読者と言うものはバカであり、マヌケであり、エントリの最初の一行だけを読んでコメントする輩が全体の99.99パーセントを占めるからである。 またこのような他人の視線にさらされるブログにおいて、腰抜けでフヌケでヘニャチンで小心者な人々は、自分の腰抜けぶりをさらけ出しては生きていけないのであって、ナイーブで繊細でセンシティブでワンダフルな感性を持っている彼らは、自衛のために様々な逃げ道と言うものを考案し、つまり自分が腰抜けではないかのように見せかけるために、様々なテクニックを駆使して今日も平凡な日々を過ごしているようである。 ざっとブログを見渡した限りでは、次

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    REV 2006/12/18
    クリリンタグをつけると、その芸風はもういいと言われそうな気がする自意識過剰
  • プラスチックの涙 (セックスなんてくそくらえ)

    痛みが存在しないという痛みが、僕らを苦しめている。 ブログに限ったことではなく、いわゆる大衆作品、または漫画、アニメ、ドラマ、はてなブックマークの人気エントリには、安っぽい偽物の死と悲しみに満ち溢れている。そこに描かれた事実はもはや身を切るような苦痛であることをやめた、ただの消費されるコンドームであり、百円ライターであり、fromdusktildawnであり、どこにでもあるありふれた、何度でも反復されうる、凡庸で退屈な悲しみであり、絶望であり、テープに録音された無味乾燥なオーガズムの喘ぎ声のようにもはや聞き手のペニスを条件反射的に半勃起させるだけのまがい物であり、快楽の影でしかない。 愛する者を失った痛みという、それそのものは切実であるはずの悲しみもまたパッケージ化され、商品化され、テンプレート化され、誰でもそれについて書くことができるように薄められ、毒抜きされ、気の抜けたコーラのようにぼ

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    REV 2006/12/16
  • 「女性ブロガーに告白されました」の狂気 (セックスなんてくそくらえ)

    たまに女性ブロガーから理解不能のコメントが届く。  会ったこともなく、言葉を交わしたことすらなく、セックスもしたこともない女性からのメッセージである。 ネットで文章を書いている、身元不明、性別不詳、職業無職かもしれない自称男性ブロガーに熱烈なコメントを一方的に送りつける輩というものがいて、それはしばしば女性であるように思うのだが、なぜそういう主張をするかというと僕には、男性ブロガーがある女性ブロガーに恋文を送りつけたとか、そういうことは寡聞にして一度も聞いたことがないのであって、あるとすれはどちらかというと嫌がらせとして、やらせろ、だの、まんこを見せろ、などというのだが、男たちはそれを好きな女のスカートをめくるような遠い憧憬の念を持ってやるのであって、女性ブロガーのような直球勝負の熱烈さというものは、まず男には真似できないものだと思われる。ある意味、その思い込みの激しさというものは、ほ

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    REV 2006/11/24
  • 罵倒商売はじめました (セックスなんてくそくらえ)

    ブログを書き始めて数ヶ月が過ぎたころ、新人ブロガーのあなたはちょっと調子に乗ってしまい、ついうっかり勝てるはずのない有力ブロガーに議論を挑んでしまって、ぼろぼろに言い負かされてしまった……そんな経験はありませんか? 悔しくてたまらないけれども、正面からでは勝てないこともわかっている……。 だからといって、匿名で相手のコメント欄に粘着したり、誰も読まない自分のエントリで相手の悪口を一人寂しく書いたり、はてなブックマークで健気に吠えてみたりしたとしても、あなたの傷ついた心はまったく癒されず、むしろますますやさぐれるばかりなのではないでしょうか? そんなあなたにおすすめしたい、「ブロガー罵倒サービス」。 あなたの憎いあのブロガーを、あなたに代わってnoon75が徹底的に罵倒します。 お問い合わせは罵倒相手について詳しく記した上で、100,000,000はてなポイントをnoon75のはてな口座ま

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    REV 2006/11/17
  • デートにジーンズを履いてくる女を愛さない理由 (セックスなんてくそくらえ)

    ジーンズという土方の作業着をデートに着てくることは、ますます多様化する社会の一つの形式として認められるべきものなのかもしれないと思わないことはないが、例えばつまりインド女と付き合っていればサリーを許容しなければならないという言い方も可能であるし、「ありのままの自分、飾らない自分」といった三流大衆紙にありがちなコピーを無邪気にそのまま鵜呑みにし、「当の自分」が存在すると思ってしまっている数多くの愚かな人々にとって、ジーンズという服を着て「ありのままの」自分を演出したがるウブで世間知らずな女たちという存在は、こういったセックス体験も少ない愚かな人々が女に対して抱く幻想をほどよく満たしてくれる、まったくもって都合のよい存在なのだろうなと思われるが、現代の日社会においてこれから付き合おうとしている、あるいは付き合って間もない男と女の関係性において、女のためにまともな事の場所を準備しようと様々

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    REV 2006/11/14
  • 言葉の汚さについて (セックスなんてくそくらえ)

    ブログに「汚い」言葉を堂々と持ち込んだセックスブロガーnoon75である僕は、たとえばブロゴスフィアで散見される露悪的な表現、人の感情を逆撫でする目的で書かれた、いわゆる煽りのための文章というものは、実に幼稚で、書き手の品性の欠如を哀れなまでに露呈させてしまう、失笑と苦笑の対象でしかない、と思うわけであるが、さて、僕の書く言葉、たとえば「まんこ」や「セックス」や「射精」が汚い言葉であるという批判が、僕がブログ「セックスなんてくそくらえ」を始めたときから存在しているわけで、ここで考えなければいけないのは、そもそも汚い言葉というものが存在しているのか、という疑問であり、逆にいえばまんこほど美しい言葉が他にあるのか、と僕は問いたいのである。女の股の間についているしっとりと湿った女性器、愛すべき女たちが股を開くのは男たちに優しさと誠実さを感じたときであって、男にとってはあらゆる手練手管を使って嘘を

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    REV 2006/11/08
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