輪廻をモチーフとして人間の意志の問題を極限まで問いつめた文学作品としてよく知られるものに三島由紀夫の『豊穣の海』4部作がある。本多繁邦(だったかな?)という一人の人物を通じて4人の登場人物の輪廻を極めて精緻な筆致で描き扱ったこの作品は、自由意志はあくまで個人に属するものであるのだという近代的人間観の彼方にあり、その帰結として必然的に個人の生命の唯一性・絶対性に疑問符を投げかけている。即ち、個人の生命はその個人のものでありつつも、その因縁においては個人のレベルを遙かに超え、全ての生きとし生けるもの、森羅万象を貫いて存在する根本法則に連なるものであるのだ。この時、私は私でありつつもより始源的な生命としては宇宙そのものでもあり得るのである。このような梵我一如を前提としかつまた理想とする東洋的生命観は、リルケが「私自身の死」と言ったような、またハイデガーが『存在と時間』で示した近代的個人をベースと