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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/column (8)

  • イラクはどこまで解体されるか

    6月10日に北部モースルが陥落して以降、イラク分裂の危機が現実性を持って語られるようになった。「イラクとシャームのイスラーム国」(ISIS)勢力は、北はモースルからティクリートまでを、西はファッルージャからバグダードに向かうルートを制圧し、さらに東方のディヤーラ県まで勢力を拡大している。ISISの制圧地域が地理的に「スンナ派地帯」だからというので、「イラクの宗派別分裂」が言われるのだが、事態はより深刻だ。なぜなら、分裂は地理上の問題ではなく、現政府が一つのまとまった国家領域としてのイラクを守ろう、という意思と能力がないことが、露呈されたからだ。 モースルが陥落した際に、これを守るべきイラク国軍はさっさと逃げたと、前回のコラムで述べた。イラク国軍や警察は、イラク国民をではなく、自らの宗派や民族を守ることにばかり、専念しているのだ。それだけではない。マーリキー首相をはじめとして、政府要人たちの

  • イラク:モースル陥落の深刻さ

    恐れていたことが起こりつつある。 アルカーイダすら「絶縁」するほどの過激派、「イラクとシャームのイスラーム国」(ISIS)が、イラクで攻勢に出、イラク第3の都市、モースルを手中にいれたのだ。 ISISは、すでに今年初めからファッルージャなどイラク西部で拠点を築き、イラク国軍と抗争を繰り返していたが、6月に入ってバグダードの北125kmにあるサマッラーに攻勢をしかけるなど、活動範囲を急速に拡大していた。それが、10日には北部ニナワ県県庁所在地のモースルを陥落したのである。 ISISの武装勢力はモースルの市庁舎や空港など要所を制圧し、同市を守るべき警察、軍は軍服を脱いでほうほうの体で逃走したという。庇護を失った市民は市外、県外に逃げまどい、その数は45万人にも上ると言われるが、隣接するクルド自治区では殺到する難民に固く門戸を閉ざして、騒動に巻き込まれまいと必死だ。 イラクの治安は、2011年末

  • エジプトの「不愉快な現実」

    エジプトが混沌としている。 断月明けの祝日が終わった直後の8月14日、軍は一斉にムルスィー前大統領派の強制排除に乗り出し、1週間で800人以上の死者を出した。衝突はその後も各地で続き、外出禁止令が発出され、20日にはムスリム同胞団の最高指導者ムハンマド・バディーア氏が拘束された。その前日には、ムバーラク元大統領の保釈可能性が浮上している。これはいったい何だ? 2年半前に転覆した旧体制を復活させることなのか? 混乱しているのは、事態の展開ではない。それを見つめるエジプト、および中東の知識人や活動家たちの言説である。7月の軍クーデター以降同胞団系のメディアは閉められているので、エジプト国内メディアのほとんどが軍に支えられた暫定政権支持派だろうが、その同胞団に対するバッシングは、凄まじい。同胞団=テロリスト、ファシスト、独裁、といった常套句が溢れ、「同胞団は終わった」と主張する。 すでに暫定政

    RPM
    RPM 2013/08/22
    今のエジプト情勢って考えれば考えるほど「どうすりゃいいのかわからない」事例だなぁ。どこも「暴力反対」みたいな当たり障りのない正論しかいえないという。
  • エジプト 反革命か革命の継続か

    軍と大衆デモによってムルスィー政権が引き摺り下ろされた7月3日以降、エジプトで起きていることをどう見るか、国内外の議論は二分されている。それは「反革命」か、「革命の継続」か、という議論だ。 二年半前、「1月25日革命」で当時の長期独裁政権たるムバーラク大統領を辞任に追い込んだのは、雑多な勢力からなる大衆デモだった。無党派の若者層を中心に、旧左翼、リベラル、イスラーム主義勢力と、さまざまな人々が結集した。その圧力を背景に、政権内エリートだった軍がムバーラクを見限る形で「革命」は成功したわけだが、その後の選挙、憲法制定といった民主化過程で、ムスリム同胞団が権力を獲得した。異論反論はあれど、一応議会選挙と大統領選挙を経て成立したのが、ムスリム同胞団のムルスィー政権だったのである。 反ムバーラクの一連の運動を「民主化」への試みだったと考えれば、不完全ながらも選挙に基づく議会制民主主義を確立して、ム

  • 相手の国を知らずして攻撃して

    アメリカやイギリスがイラクを攻撃してから10年。 イラク国内では、いまだに爆弾テロが絶えません。米軍は、「イラクの治安はイラクの国軍と警察で維持できるようになった」として撤退しましたが、これが逃げ出す口実であったことは明らかです。 アメリカによる攻撃で、多数の犠牲者が出て、いまも出続けるイラク。アメリカによる攻撃が間違いだったことは、すでに歴史が証明していると言っていいでしょう。 ただ、では残虐なフセイン大統領の独裁が続いていてよかったのか、と問われると、なかなか答えにくいものですが。少なくともアメリカの攻撃の前や後にやるべきことがあったことは確かでしょう。 誌4月2日号の「予見されていたイラク戦争後」は、そんなアメリカの失敗を改めて整理しています。 米軍侵攻の3週間前、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、こう講演していたそうです。 「解放されたイラクは近隣諸国の模範となり、自由の持つ力を見

  • 日本の治安が最高なのは共同体パワーのおかげ

    今週のコラムニスト:レジス・アルノー 〔12月26日号掲載〕 私の知る限り、大都市なのに安全な街は東京だけだ。東京にいるときは昼も夜も安心し切っている。04年に今の家に引っ越したが、引っ越し早々に家の鍵をなくしたので鍵は掛けず、ノックすらせずに出入りしている。スクーターを駐車してその場から離れるときもヘルメットはシートに置いたままだ。「泥棒が怖くないのか?」と聞くフランス人の友人には、私のヘルメットを盗むほど切羽詰まっている日人がいたら、同じ人間としてヘルメットくらいくれてやるさと答えた。自転車にも鍵を掛けない。それでも無くならないのだから当にうれしくなる。 私は今では3人の子供の父親だ。フランスより麻薬がはるかに手に入りにくく、子供たちが盗まれる側にも盗む側にもなる心配が少ない国に暮らせて幸せだと、毎朝しみじみ思う。 オレオレ詐欺のような犯罪はあるが、フランスに比べればまだましだ。フ

    RPM
    RPM 2013/01/08
  • 政治家を育てる質問

    12月16日の衆議院選挙投票日。テレビ東京の開票特番「池上彰の総選挙ライブ」を担当しました。 放送中から思わぬ反響をいただき、テレビ東京にはいまも再放送やDVDの発売を求める声が寄せられているそうです。 テレビ東京の人たちはもちろんのこと、外部スタッフが総力を挙げて制作・放送したものですから、当然の評価とはいえ、その一翼を担った私も嬉しく思います。 いつも「いい質問ですね」が口癖の私としては、視聴者に「いい質問ですね」と言ってもらえる内容を目指したからです。 ただ、党首や候補者への私のインタビューは、ジャーナリストとして当然のことをしたまでで、これに関する評価は面映ゆいものがあります。 というのも、たとえばアメリカテレビ政治番組なら、政治家に対しての容赦ない切り込み、突っ込みは当然のことだからです。 日なら「失礼な質問」に当たるようなことでも、平然として質問をしますし、質問を受けた側

    RPM
    RPM 2012/12/25
    各方面が全力でリスク回避を計った結果、普段はテンプレの質問しかできない反面、失敗や失言して溺れる犬になったら全力で叩くようになった……という感じだろうか。
  • 全米一怒れる男ウィネバゴ・マン

    年末にはマウント・シャスタという山にスキーに行った。 シャスタをニューエイジの人たちはパワーストポットだと信じていて、3000メートル超の山頂からの雪解け水は霊水としてもてはやされている。 が、そんな聖地にアメリカ一口汚くて怒っぽい男が住んでいる。 人は彼を「ウィネバゴ・マン」と呼ぶ。 ウィネバゴとはアイオワ辺りのアメリカ原住民の部族名で、アイオワにある大手キャンピングカーの社名でもある。だからウィネバゴはキャンピングカーの代名詞にもなっている。 そのウィネバゴ社の商品解説ビデオが80年代からアンダーグラウンドで流通していた。新型キャンピングカーの新機能やセールスポイントを紹介するビデオ宣材だ。なぜ、そんな退屈そうなビデオがアングラで? NG集、使われなかったアウトテイク集だからだ。 モンティ・パイソンのジョン・クリーズに似た、巨体に禿頭、口髭で目つきの険しい男がカメラに向かって説明する。

    全米一怒れる男ウィネバゴ・マン
    RPM
    RPM 2011/01/10
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