タグ

ブックマーク / accelerator.hatenadiary.org (2)

  • TRPGにおける不能性の取り扱い〜セカイ系の視点から〜 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    最近TRPGにおける感動に関していくつかの論考が書かれています*1。これは今まであまり話あわれていなかった話題だと思うので、みなさんの意見を楽しく拝読しました。途中から玄兎さんが悲劇とPCの能力の話をし始めたのですが、実は偶然にも社会は存在しないという論文集を読んでいて同じようなことを考えていたので特に面白かったです。みなさんの意見と同じところも違うところもありますが、僕は僕で一つ考えてみたいと思います。 3タイプのストーリー展開 最近、社会は存在しない――セカイ系文化論*2を読んでいます*3。そこに収録された論文の中では比較的簡単に読める長谷川壌の「セカイ系ライトノベルにおける恋愛構造論」はイリヤの空、UFOの夏から灼眼のシャナ、さらにはとらドラ!あたりまでの恋愛構造を包括的に議論したもので、創作にも生かせるようなアイデアがつまっていました。 セカイ系の物語ではよく世界の危機に立ち向かう

    TRPGにおける不能性の取り扱い〜セカイ系の視点から〜 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
    Rikerike
    Rikerike 2016/01/06
    不能感というか無力感か…TRPGで良くある「(悲劇という)運命を変える」の真逆を行くようなものだもんな/私が思いついたのは「今起こる悲劇は回避できるが、これから起こりうる事に対しては何も手が出せない」とか
  • ゲーム内の常識に逆らうプレイング - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    先日、CSTの優れたデザイン - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むについて話しました。今日はその続きです。 前回ではCSTでゲーム内の常識、所属組織の目的に沿ったプレイングとゲーム内の常識よりもキャラクターやプレイヤーの感性にそったプレイングを対比させました。ただ、長くなるので前の回では省略した話題があります。まおゆうの魔王VS勇者の構造とあの丘の向こう側というのも。この対立構造をしているのではないかということです。元々この話の提供者である紅茶さんが指摘したのはこのことでした。 まおゆうというとちょっとTRPGから離れてしまったという印象もあるかもしれません。しかし考えてもみてください。わりと昔の作品でSW RPGのリプレイ、スチャラカ冒険隊シリーズがあるではないですか。あれもファンタジーの世界での常識に反して、”モンスターは生まれからして邪悪なのかどうか”を取り扱っており、ゲーム

    ゲーム内の常識に逆らうプレイング - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
    Rikerike
    Rikerike 2015/08/28
    グランクレストだと、設定的にやりやすそうな感じっすね
  • 1