最近ね、というか、もうこれはずーーーーっと昔から感じていたことなんだけど、ゲイの人ってこの世に男さえいればいいのかな、ってね、そう思うことが多々あってさ。もちろん、今はわたしの身の回りにはゲイの人がたくさんいるし、それこそ「親と年齢が違う双子だー」と言い合っているほど仲がいいゲイの人もいるよ。けどね、ゲイ全体として「ああ、女なんてどーでもいいんだな」って思う場面があるのよね。 例えば。ゲイのブログのトラックバックセンターがある。けど、そこに登録しようとするとセクシャリティーの選択肢に「ゲイ」「バイ」「FtM」「分からない」しかなくて「レズビアン」がない。だから、そういうところに登録したくても、登録さえできない。 で、今、ちょっと随分昔の本から読み直している、と言うこともあって、すこたんソーシャルサービス(旧すこたん企画)の伊藤さんと梁瀬さんが書いた「男ふたり暮らし―ぼくのゲイ・プライド宣言
薄情者の私は普段から「おめでとう」という言葉を機械的に使っていたので分からなかったけど、なるほど、これはいろんな意味を込めて言える言葉なんだなぁ・・・。 前回書かなかったけど、私は「結婚おめでとう」と言う時、自分の言葉が結婚にまつわるイデオロギーに回収されてゆく事に抵抗がある。「結婚おめでとう」がいつのまにか「いづれ人は異性と結婚すべきだ」だとか「結婚できない人は負け狗だ」だとか、そういうメッセージとして受け止められる事は、私にとっては望まぬ事・・・。だからやっぱり結婚などの文脈では使いづらい言葉なのだけど、一方でそうしたメッセージに縛られず自分なりの思いを込めて祝いの言葉を送ると言う事も可能なことを、考えさせられました。それは実行困難な面もあるだろうけれど、たとえば人生を祭り事と捉える人みたいに、些細な事にしろ何にしろひとつひとつの人生の変化をただ喜び祝うというのもアリだよな、などと思う
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