ブックマーク / swingbooks.jp (17)

  • ヨーロッパに原発PR施設を見にゆく 2/2

    ヨーロッパまで原発PR施設を見にいってきた話のつづき。 こちらはベルギー国境にちかいフランスのショーズ原発。標識にしたがってすすんでいったら、従業員用の駐車場までたどり着いてしまった。こんな近くまで来ちゃっていいのかな、というくらいの接近度だった。ちなみに東電の柏崎刈羽原発のPR施設には、ここと姉妹原発(?)として提携したというプレートが設置されている。 これはルクセンブルク国境にちかいフランスのカットノム原発。PR館の背後に冷却塔が4基生えていた(上の写真では3基しか写っていない)。日の原発では冷却塔はまず見かけないが、こちらの原発は内陸部にあるためか多くのばあい冷却塔をそなえており、かなり遠くからでも蒸気があがっているのが視認できる。 こちらはストラスブールより100kmほど南にあるフェッセンハイム原発ちかくの「エネルギーの家」という名のPR施設。その展示を見るかぎり、日のそれのよ

    ヨーロッパに原発PR施設を見にゆく 2/2
  • ヨーロッパに原発PR施設を見にゆく 1/2

    ヨーロッパを三週間ほどうろうろしてきた。主として原発PR施設を見るためだ。そのいくつかを駆け足かつ順不同でご紹介したい。 日にあるような電力事業者が宣伝と説得のために設置しているものだけでなく、建設されながら稼働することなく別の用途に転用されたものもあった。これらがとても興味深かった。 これはウィーン郊外にあるツヴェンテンドルフの元発電所。週に一回見学ツアーがひらかれている。ウィーンから鉄道・バス・徒歩で出かけていき、マイケル・ムーア的に押しかけみたいにして参加させてもらった。 見学するのは、よくあるような模型ではなく、実物である。実物を見学できるところは世界でもほかにあまり例がないのではないか。それゆえ当にいろんなことを考えさせられた。写真は、制御棒を出し入れする装置(だったとおもう)を下から見上げているところ。 ツヴェンテンドルフ原発はオーストリア最初の原発として建設されたが、国民

    ヨーロッパに原発PR施設を見にゆく 1/2
  • 川内原子力展示館

    昨秋に能登の志賀原発周辺のPR施設を見てきて以来、しばらく中断していた原発PR施設を見にゆく旅。なんとか日程を確保できたので、鹿児島にある九州電力の川内原子力展示館を見にいってきた。 薩摩川内市から川内川沿いの道(鹿児島県道43号)を西へ。途中、向かいあって立てられたスイシン派とハンタイ派それぞれの立て看板が門柱、あるいは狛犬のようにして来訪者を出迎える。 川内原発の敷地は鉄条網と監視カメラ付きのフェンスでくまなくガードされており、軍事基地のようである。展示館は池のほとりにたっていた。池をはさんだ対面に、川内原発の原子炉建屋がみえた。 敷地内は手入れが行き届いている。原発建設以前、このあたりは海沿いの荒れ地だったらしい。 入館すると、制服に身を包んだ二人の受付嬢が応対してくれる。どこから来たかを来館者表に記せという。書くと、パンフレットとボールペンをくれた。 展示は二階。 実物大の原子炉格

    川内原子力展示館
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2013/04/29
    鹿児島にある九州電力の川内原子力展示館。
  • 志賀原発周辺のPR施設

    3週間ほど前のこと。能登半島へ行ってきた。北陸電力志賀原発の周辺にあるPR施設を見にいってきた。 ここにも複数の施設がある。よく知られているのが北陸電力のアリス館志賀だ。近くには、石川県のやっている能登原子力センターもある。事業者と自治体、それぞれのPR施設という、各地にみられる組合せだ。 どちらもそれなりにお金をかけてつくられ、運営されている。そのお金の出所をたどれば、前者は電気料金であり、後者は税金、ということになろう。 アリス館のほうは、青森県の東通原発のPR施設トントゥビレッジと同じようなコンセプト。おとぎ話のモティーフにして親しみやすさを演出しようと狙っている。子どもウケの安易な姿勢が見え見えである。そのことを誰よりも早く直感的に見抜くのは、ほかならぬ子どもたちであろう。子ども向けに図書の貸し出しをしているが、利用実績はほとんどなさそうだった。 能登原子力センターは、丘の上にたっ

    志賀原発周辺のPR施設
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/12/08
    事業者と自治体、それぞれのPR施設という、各地にみられる組合せ。
  • 浜岡原子力館へ行ってきた

    浜岡原子力館へ行ってきた。 愛機ディフェンダーひるね号で新東名を爆走し(といってもせいぜい時速80kmだが)、島田金谷ICで降りた。ちなみに新東名を走るのは二度目。カーブも勾配もゆったりしているので、ディフェンダーのような非力な車にはありがたい。 先日乗った大井川鉄道の横を走っていたら、向こうからC56が黒煙をあげながらやってきた。良いことがありそうな気がしてきた(そうでもなかった)。茶畑を小一時間走ると、浜岡の街に入る。市街地に隣接して、浜岡原発はある。 夏休み期間中のためか、家族づれでにぎわっていた。少なからずおどろいた。 建物はかなり大がかりである。「門」という字のような形をしており、上は展望台になっている。登ってみると、原発の敷地が一望できる。写真も撮影可能だ。敦賀ではカメラを向けようとしただけで警備員がとんできて駄目だしをくらうほど厳しかったが、ここはどんどん撮影してくださいとい

    浜岡原子力館へ行ってきた
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/08/28
    浜岡のばあい、いま現在のイチオシは「防波堤」であるらしい。
  • 送電線

    大飯原発3号機が再稼働した。「電力不足」をちらつかせつつ半ば強引に再稼動にもちこんだ。既成事実を積み重ねるという、あいかわらずの手法。「伝統」のほうは健在らしい。 報道によれば、すでに7日の時点で電気出力100%に達しており、明日9日未明には103%にあげてフル稼動、つまり定常運転の状態に入るのだそうだ。 写真は5月に現地を訪れたときに撮ったもの。原発で発電した電気を大消費地へ送るための送電線である。原発と都会は地理的には隔てられているかもしれないが、送電線によって物理的につながってもいる。 場所は青戸入江とよばれる湾内である。写真の右手が北。そこに大飯原発がある。発電された電気は右手から左手(南)へ向かって送られるはずだ。 稜線の向こうから半身を乗りだしている巨大な鉄塔の姿は、1954年の映画『ゴジラ』におけるゴジラ登場のショットを想起させなくもない。 こちらの写真は、ほぼ同じ場所を北か

    送電線
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/07/11
    原発と都会は地理的には隔てられているかもしれないが、送電線によって物理的につながってもいる。
  • 大飯原発PR施設「おおいり館」

    すべての原発が停止している状況がまるで「あってはならないこと」であるかのようにして、あれよあれよというまに、なし崩し的に再稼働が決められた大飯原発。そのPR施設「おおいり館」は、若狭湾周辺の他の施設に比べても、かなり立派でゴージャスである。 写真のドームをもった建物がそれ。原発そのものは背後の山の向こう、送電線(受電線かもしれないのだが区別がつかない)が落ちてゆく先にあって、敷地外からは見えない。 原発のご尊に至るためには「おおいり館」入口の脇にあるトンネルをくぐってゆく必要がある。だがそこには警備員が二人配置されており、ぼくのような一般人は入れてくれない。そればかりか、カメラを向けただけで制止される。トンネルしか写らないのに。 「おおいり館」に入るとツアー形式で案内される。説明のおねえさんが付きっきりで解説してくれる。最大の「売り」は原子炉格納容器の1/3模型である。模型といっても巨大

    大飯原発PR施設「おおいり館」
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/06/25
    60歳すぎくらいのおじさんに「どこから来た?」と声をかけられた。千葉からです、と答えると、なぜかおじさんは一瞬絶句した――。
  • 若狭湾の原発PR施設群を見に行ってきた

    ふと思い立って、若狭湾周辺に展開する原発群のPR施設を見に行ってきた。 よく知られているように、若狭湾周辺には原発が集中している。高浜、大飯、美浜、敦賀といった原発群に、高速増殖炉もんじゅや、廃炉作業中の新型転換炉ふげんもある。それらの多くにはPR施設が付置されている。それが今どうなっているのかを見ておきたいとおもったのだ。 電気事業連合会のウェブサイトによれば、若狭湾周辺にある原発関係のPR施設はつぎの8箇所である。 エル・パークおおい「おおいり館」若狭たかはまエルどらんど美浜原子力PRセンター敦賀原子力館原子力の科学館あっとほうむ日原子力研究開発機構アクアトム日原子力研究開発機構エムシースクエア高浜発電所ビジターズハウスこのうち、高浜のビジターハウスは事前予約が必要のため今回はパス。もんじゅの近くにあるエムシースクエアも実質的には閉鎖されていたらしく、未訪問。また現地で初めて知った

    若狭湾の原発PR施設群を見に行ってきた
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/06/03
    敦賀半島の北西岸、遠景に写っているのが高速増殖炉もんじゅ――。
  • 9カ月後の石巻を歩く 2/2

    被災したクルマが集められていた。救急車もあった。それぞれの車体には、引きあげた日時がきちんと書き込まれている。震災当日から半年以上もたった日付が記入されている。こういう地味でつらい仕事を、誰かがこつこつとおこなってきたのだと、あらためて知らされる思いがした。 屋根がもげていたり、窓ガラスが割れていたりするものがある。黒焦げになっていたり、ぺしゃんこにつぶれていたりするものもある。いちばん端には、やはり被災したスバル360が一台、ぽつんと置かれていた。 遠くの工場の煙突から、白い煙だか水蒸気だかが猛然と吐きだされていた。 自動車が行き交う幹線道路を北へ、すなわち日和山のほうへ向かって戻るような格好で、歩く。道路は応急的に盛り土し、そこにアスファルトを敷いたものであるようだった。車両優先で、歩行者のことまでは考えられていないらしく、歩道などはない。通行車両の邪魔にならないよう、路肩の砂利の上を

    9カ月後の石巻を歩く 2/2
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/12/24
    徹底的に日常が破壊されたかに見える光景のなかに、再び日常が芽吹いてもいた。
  • 9カ月後の石巻を歩く 1/2

    SSDでのレクチャーの翌日、ひとりで石巻を歩いてきた。東北の、「被災地」とよばれる地域を訪れるのは初めてである。ボランティアや復興支援といった立派なことではまったくない。ただ歩き、ただ見てきた。それだけだ。 雪降る仙台から仙石線に乗った。 途中不通区間があるため、松島海岸駅から矢駅までは代行バスに乗り換える。バスは仙石線ぞいの国道を走った。乗客は多くはない。大半は地元の方のように見受けられた。黙って雪の車窓に目をやっていた。電車は1時間に2、バスは1時間に1。その待ち時間も含めて、仙台から石巻まで2時間半かかけ、到着したのは正午前だった。 石巻も雪がちらついていた。 石巻駅前にピンク色の大きな建物が建っている。市役所である。元はデパートで、撤退後に市役所が入ったのだそうだ。駅前には、キャリーをひきずったスーツの一団(他の行政からの支援だろうか)や、デイパックを背負った一団(ボランティ

    9カ月後の石巻を歩く 1/2
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/12/22
    ただ野がひろがっているばかり。
  • ロードサイド的、郊外的

    ロードサイドの風景の写真を撮ってきた。散歩がてらに近所をちょっと歩くと、こうした光景はいくらでも見つかる。というか、似たような風景は日じゅうの「郊外」にあふれている。 はっきりいって、わざわざ写真を撮りたくなるような風景とは呼びにくい。それが、ふつうの感覚だろう。そのせいなのか、撮影をしていると、道行くひとや自動車で通りすぎるひとたちから「こんなところで何してんだ? このオッサン」的な視線をばしばしと浴びせられる。もうたいがい慣れたのだが。 ロードサイド的というか、郊外的なものについては、20世紀後葉ではもっぱら批判の対象であった。逆に近年では、ここにこそ可能性があると称揚されることが多い。 『アトラクションの日常』で論じたように、ぼくもロードサイド的、郊外的なものの今日的な重要性にあらためて注意を払うべきだと考えている。 ただし、それは、それらを単純な批判や称揚の対象として、つまりそれ

    ロードサイド的、郊外的
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/12/14
    ロードサイド的・郊外的なるもののが重要なのは、ひとえにそれが現にわたしたちに与えられた条件、「現実」であり「現在」であるから。
  • ミニマム、シンプル、ファンダメンタル

    先日のレクチャーでは、これまで取り組んできたワークショップについて話をした。 やっているワークショップはたくさんある。その中から今回は「デジタル・ストーリーテリング」と「自己紹介ツールを発明する」という二つのワークショップを中心に紹介した。前者は作品のみウェブで公開しているが、後者はほぼ初公開だ。そして、そうした実践的な取り組みから、拙著『アトラクションの日常』へとつながるメディアと身体という問題系をどう見出してきたのか、その道筋を簡単にお話しした。 よく考えてみれば、明学に赴任して以来じぶんがやってきたワークショップの実績をまとまった形で発表したことは、一度もないのだった。かつてのメルプロジェクトの仲間たちであっても、いまのぼくが何をやっているのかは、たぶんよく知らないだろう。 学会のような場所で発表するという手もあるのだが、ぼくの知っている学会は、残念ながらそういうものを受け入れるよう

    ミニマム、シンプル、ファンダメンタル
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/12/07
    「自己」なるものの声を聴き、そこに向きあい、問いなおす。
  • 映画と乗り物とコミュニケーション

    先日執筆した原稿のなかで、「コミュニケーション」という言葉について、ちょっとだけ触れた。 この言葉は、いまでは、情報や思想を交換する行為やそのための手段や媒体という意味で、一般には理解されているだろう。(媒体のニュアンスがより強調されれば「メディア」と言われたりするかもしれない。) ところが、このような用法にかんして、ウィリアムズはひじょうに興味深く、かつ重要な指摘をしている。英語のcommunicationは、17世紀末から20世紀前半まで、今日でいうtransportation(物質的運輸)という意味も含んでいたというのだ。 ちなみにcommunicationの原義は「共有すること」である。鑑みるに、この用法が存立しえた基盤には、何かを共有するには物質的な移動が不可避にともなうという認識があったことが示唆される。 裏返していえば、物質的移動なしに何かを共有する仕掛けとして、20世紀的マ

    映画と乗り物とコミュニケーション
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/09/11
    communicationの原義は「共有すること」である。
  • 引きうけること、まかせること

    なんだかあわただしい一週間だった。うち3日間はゼミ合宿。ひじょうに充実したものとなった。ゼミ生たちはよく議論し、よく考え、よく悩み、そしてよくべてよく飲んだ。足りないのは睡眠くらいであっただろう。密度の濃い3日間だった。これでそれぞれの方向性はある程度かたまった。あとは一歩ずつ進んでいってくれればよい。 昨日は昨日で、いくつか会合があった。そのなかで、こんな話を聞いた。ある学者が最近つぎのような意味のことを書いていた、というのだ。 すなわち、引きうけて意見を述べるのではなく、まかせておいて文句を言うのが「日人」なのだと。 原典をあたったわけではないので、当に誰かがこんなことを書いていたのかどうかは確かめていない。でも確かなこともある。それは、誰がいったにせよ、この指摘は卓見だ、ということである。

    引きうけること、まかせること
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/08/21
    引きうけて意見を述べるのではなく、まかせておいて文句を言うのが「日本人」。
  • オールフリーから妄想する

    近所の酒屋さんに見たことのないアサヒの糖質ゼロのビール(ビールふう飲料というのか)がおいてあった。糖質ゼロ、アルコール分も4%と低め。1買って飲んでみた。味は、良くも悪くも、とくに印象に残らなかった。 カロリーゼロなどを売りにしたビールが流行っているようだ。サントリーのオールフリーというのは、アルコールさえ入っていない。ノンアルコールビールというやつ。だったら麦茶にしておけばよさそうなものだが、そうもいかないらしい。 そんな話をうちでしたら、《あ》と子どもたちが、どうせ「オールフリー」と名乗るなら、値段も「フリー」にしたらいいではないかと言いはじめた。なるほど、そりゃそうだ。お代はいらないよ、オールフリーなんだから、といって、どんどん配ってしまえばいい。 もちろん商品をフリーで配っているだけでは、企業はたちまち潰れてしまう。であれば、どうすれば成り立つかを考えてみる必要がある。 そこで、

    オールフリーから妄想する
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/08/01
    値段も「フリー」にした場合の思考実験。
  • 流言や風評とは何か

    さるところでインタビューをうけた。以下はそのときしゃべったことのメモ。 流言や風評はなぜ生じるか。 流言や風評とは、ひと言でいえば、事実的な情報の不足もしくは欠損を、ひとびとが想像によって補おうとすることによって生じる集合的な現象である。 逆にいえば、事実にもとづく情報が十分に与えられていると感じられている状態においては、流言や風評が繁茂するような事態は生じにくい。 流言や風評とは「状況理解」のひとつのあり方だといえる。したがって、流言や風評について、それが事実とどれだけ違うかという観点だけで論じることは、あまり実りがあるようにはおもわれない。 とはいえ、事実というより想像に過度に依存した「状況理解」は、実際の状況からかけ離れたものになりがちであり、それがさまざまな問題を引きおこす要因となる。 1923年の関東大震災では、「朝鮮人が暴徒化した」というデマが流れたことがよく知られている。これ

    流言や風評とは何か
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/07/11
    人間という生き物は、じぶんをとり巻く状況の「意味」が曖昧で空白な状態のまま、長く堪えられるようにはできていない。
  • 戸塚でリスを見た

    週に一度、戸塚にかよっている。横浜キャンパスで1/2年次の授業するためだ。 駅からは毎回歩く。職員バスもあるが、よほどのことがないかぎり、乗らない。 徒歩で通学することを、学生たちは「登山」とよぶらしい。じっさい、キャンパスは山の上にある。この時期、歩けば暑い。汗が流れる。 そうして、ふうふう言いながら、約30分かけてたどり着いたキャンパスで、今週はリスを見た。 ふと顔をあげると、リスがいたのだ。以前に木の枝の上にいるのを見かけたことはあった。だが今日はちがった。目の前のレンガの舗道のうえをこちらに向かって走ってくるところだった。 リスはぼくの存在に気づいたのか、急制動した。上体をおこして、こちらのようすを見た。たがいに目があった。全身は青味がかかった灰色。尻尾は太い。 写真を撮ろうとiPhoneをとりだそうとした。だが、あいにくビーチボーイズを聴いている最中で、カメラアプリを起動するのに

    戸塚でリスを見た
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/07/09
    リスは、上体をおこして、こちらのようすを見た。たがいに目があった。全身は青味がかかった灰色。尻尾は太い。
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