ブックマーク / tahi.hatenablog.com (49)

  • 言葉を、言葉が越える。 - 最果タヒ.blog

    2020年は、詩集三部作『死んでしまう系のぼくらに(韓国語版タイトル:恋じゃなかったものは星)』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』『愛の縫い目はここ』の韓国語版が発売された年でした。정수윤(チョン・スユン)さん訳で、마음산책(マウムサンチェク)からの刊行です。(死んでしまう系〜だけは、韓国では「死」の言葉の印象が少しコミカルになるとのことで、新たなタイトルを考えてほしいと依頼され「恋じゃなかったものは星」というタイトルをつけました)。この韓国語版に書き下ろしたあとがきの原文を、以下にアップしておきます。 言葉を、言葉が越える。   最果タヒ 詩は言葉でありながら、言葉ではないものとして、人の奥底に触れるように思います。言葉にすることができる感情や思考などほんのわずかで、多くのものが言葉にならないまま、川のように意識の底に流れ続けている。それらは、もしかしたら「わたし」と言えるものですらなく

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  • 飽きてOK - 最果タヒ.blog

    ‪ずっと書き続ける作家を、読み手がずっと好きでいるのはむしろ難しいことだと思う。だから、好きじゃなくなったとか、昔の方が良かったと言われるのはすごく、すごく自然なことだ。さみしいはさみしいけど。互いに変わっていくし、その方向性まで同じことなんてほとんどないよ。ただ、自分の好みじゃなくなっただけだと思うのに、「最近のテーマは無理してる」とか、「読者に無理に合わせすぎ」とか、こちらが間違っているみたいな言い方をされるのは、なんでなんだろう、って悲しくはなる。わたしは書きたいように書くし、書いたら書いただけ言葉は蓄積されていくから、変化は自然発生的に起きていく。私はその変化に驚かされるのが楽しいから、まだ書き続けている。変わらないなら、新たに書く意味もないし、退屈すぎる。むしろ、作り続ける人間が、過去と変わらなかったらそれは偽りだと思う。好きだと言ってくれていた人たちが「今のはそんなに」っていう

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/06/12
    何もかも好きでなくても、最新もすべて好きでなくても、相手の変化を受け入れられなくても、「好き」と思ったときの「好き」は、ずっと永遠です。
  • 大丈夫、嫌いだよ。 - 最果タヒ.blog

    誰のことも嫌いだな、と思うことは時々あるし、そういう日のために私は昔誰もいない図書室に立ち尽くしていたのだと思う。誰のことも嫌いだけど、誰も私のことを知らないと、に囲まれるとよくわかる。百年以上前の海外、死者の。嫌いだからって焦らなかった、私には私しか結局はいないから。 嫌いな気持ちに対してどれくらい「いいんだろうか」と不安に思うのかが、世の中的な、精神の成熟度を表すのかなと最近は思う。でも、嫌いだからって攻撃しようとは思わないし、蹲って「嫌いなんだよごめんね」と独り言言うような感じだから、私はずっと焦らずにここまできたし、これからもこのままがいい。 別にこんなことを書いてどうしたいんだろうと思う、愛が生活を満たすことや愛で人生をどうこうするという話を聞いていると時々とてもくだらないと感じて、何を当たり前な事を言っているんだろう、と思う。だいたい人はほとんどが当たり前のことしか

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  • 「詩」は恥ずかしいのか? - 最果タヒ.blog

    詩は恥ずかしいのか、という話をマツコさんと有吉さんの番組でやっていて、詩が恥ずかしいとか歌詞は恥ずかしくないとかそういうことではなくて、それを書く人次第でしょ、というのがマツコさんの意見だった。私は詩人をやっていて、詩でごはんをたべているけれど、詩を恥ずかしいと思ったことは正直なくて、「詩人です」と自己紹介するのもなんとも思わないんだけれど、しかし「恥ずかしい」と思われる可能性はよく知っている。「詩人」を社会から浮いた存在にしてしまっているのはなんなんだろうな、とは時々思う。 言葉というのは誰にも書けて、だからこそ誰でも「書く」ということを笑ってしまえる、という空気はたぶんあるよね。詩人という仕事だけではなくて、言葉を書くということを仕事にする時点で、やっぱりどこかそうした空気には触れることがある。で、それは恥ずかしいことだからとかそういうことではなく、それぐらいその人たちの心に近い部分、

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2016/11/18
    好きなだけ、好きなこと、言えばいいのだ。
  • 私をきみの黒歴史にして。 - 最果タヒ.blog

    わからなくなりたい。あのころ大好きだった映画音楽が、今見るとどうしていいと思ったのかちっともわからない、みたいなことが溢れるような人生でありたい。おいしいとおもっていたファーストフードが受け入れられなくなったり、逆にあのころ大嫌いだったものが美味しいと感じられたり、そういうことの繰り返しで、細胞よりももっと明らかに私という存在は生まれ変わり続けるなんてふざけたことを思っている。今、好きだと思ったものが、そのうち大して好きじゃなくなるんだろうという予感とともに、なにかを好きになっていくのは居心地がいい。なにもかもは使い捨てだと思う。なにもかもは使い捨てでいいと思う。ときどき、昔から好きなままのなにかが現れて、「うわっ」と驚くぐらいでいい。 どうしてあんなに夢中になれたのかわからないと、友人が過去の映画について話していて、それはもう少し昔はもっともっと困惑に満ちた台詞だったし、確実にきみ

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2016/08/29
    人間は過去の蓄積。
  • 宇多田ヒカルのこと - 最果タヒ.blog

    私は宇多田ヒカルのことをちゃんと、一度書いておくべきだ。appleTVのSiriに「宇多田ヒカルをかけて」と伝えて、それから5分後に急にそう思った。宇多田ヒカルがデビューした時私は小学生だった。音楽なんてそんな詳しくなくて、ツタヤというシステムもまだ把握していなかった。流行を追うことにほとんど熱心ではなくて、スキー旅行だとかそういうもののときにバスでかかる音楽を聴いて、今はKinKi Kidsという人が人気なんだ、とか、SMAPという人がクラスメイトの話題になることが多いとか、そういう把握のしかたをしていく。宇多田ヒカルという人は、そんな私の子供時代に登場した。そして私が初めてアルバムを買ったアーティストだった。 私が書いた詩のなかに、こんな一文がある。 「宇多田ヒカルを聴いて、思い出すのが校庭の匂いなら、きみの幼少期は最高なもの。」 (詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』収録) たぶん

    宇多田ヒカルのこと - 最果タヒ.blog
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2016/07/10
    「宇多田ヒカルを聴いて、思い出すのが校庭の匂いなら、きみの幼少期は最高なもの。」
  • 友達はいらない - 最果タヒ.blog

    7月は小学校の時の友達の誕生月で、ふとした時に思い出すけれど、その子とはすっかり縁が切れてしまっている。人とながく付き合うというのはそれだけでも大変なことで、奇跡だって言えるのかもしれないけれど、ぶつんと切れた縁だって、それはそれでいいものだと思うのだけれどどうなのだろうな。彼女の性格だとか顔だとか、もうすっかり忘れてしまって、あのへんに家があったとか、それぐらいしか思い出せない。寂しいという言葉をここにあてはめるのは、なんだか傲慢だとも思う。もう会うことも話すこともない、友人だったひと、という存在は、閉館してしまった故郷の美術館みたいに、私の中できらめいている。 ひとというのはさようならしていくのが自然の流れだと思うし、永遠になかよくしていられるというそういう勘違いで得られるのは安心でも、平穏でもないような気がする。しんどいよ。一人で生きていけるとかそういうことは別に思わないんだけれど、

    友達はいらない - 最果タヒ.blog
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2016/07/05
    遠くなっていくことも、近くなっていくことも、好きな分量で決めてしまっていい。
  • 共有するための言葉。 - 最果タヒ.blog

    の知名度が以前よりは上がって、多分ちょっとだけ人の目に触れることが多くなったのだけれど、それまでは、当にそれまではまったく、私は「サブカル」って言われたことがなかった。たとえ同じであっても、『空が分裂する』なんて単行の時はサブカルとは言われなかった。私はその言葉に何とも思わないのだけれど、でも、今言われるようになったということだけは、へえ、おもしろいな、と思う。他人にある一定のタグ付けをおこなわれるということは、つまり目に入っているということ、分類分けをする対象だと思われていることで、最近までそれはなかったことを知っているから、内容よりその事象が面白い。大森靖子さんの歌に「サブカルにすらなれない歌があるんだよ」という歌詞があるけれど、その通りだった。私はつい最近までサブカルにもなれていなかった。 もともと自分につく形容詞にぴんときたことがなくて、急に「セカイ系」っていわれるようにな

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2015/11/08
    大多数の人は語る言葉をさぐるより、誰とでも共有できる言葉を選んでしまう。あたりまえだよ、共有したいんだから。
  • 時間は一本道じゃない - 最果タヒ.blog

    アイドルやポップカルチャーにおけるスターとか、そういう人って基的に10代後半〜20代前半が最盛期であって、だいたい20代後半には伝説になっているわけで、たとえば私は今20代後半だけれど、同世代のテレビスターって言ったらやっぱり松浦亜弥さんとか上戸彩さんとか新垣結衣さんとかになるわけですよね。もう、のぼりつめていることは明らかで、これからの時代だぜ!っていうかんじはしない。でもこの人たちが、活躍していたテレビとかの世界において、たとえばドラマで聴く音楽(テーマソングではなくてBGMぐらいのかんじ)って調べてみるとちょっと古いんですよね。すでに解散しているバンドの音楽が散々使われていたりとか。私が高校〜大学生ぐらいのときってコント番組とかバラエティーで、ブランキーを聴くことが非常に多くて、でも当時すでにブランキーは解散していたわけです。で、なんでかっていったら、ちょうど彼らがイカ天でて、それ

    時間は一本道じゃない - 最果タヒ.blog
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2015/08/05
    でも時間制限は別にない。
  • 削れ、ペンを。削れ、命を。 - 最果タヒ.blog

    自分以外の誰かに、なりたい、という感情が昔からわからない。その人自身になりたい、その人のようになりたいというほどの憧れに、身を焦がしたことがない。なんだか「生きる」こととは程遠く思えるのだ。誰だって自分の100%の代弁者とはなり得ないはずなのに、どうして、誰かの言葉を借りようとするのだろう。自分がどれほど薄っぺらくつまんなくても、同じ世代の子達が登場する歌や物語に共感して、その通りと頷くだけでいいわけがなかった。好きなべ物・小さな癖、ちっぽけでも自分自身しか知らない、自分にしかわからない部分が自分には必ずあって、言葉でも映画でも音楽でも語りきれない存在が、自分なんじゃないのだろうか。そう、信じていたかった。簡単に「わかる」と、「共感できる」と、言ってしまうことで自意識が満足してしまうのが怖かった。大して特殊な感性を持っているわけではないかもしれない。けれど、私は自分の言葉を放棄することが

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2015/05/25
    例えればきっと、私は鉛筆で、世界は鉛筆削りみたいなものだろう。
  • 詩集が出ます。ので、詩の話。 - 最果タヒ.blog

    自分の詩は、巣立っていくものだと思っています。 だれかが読んでそれに対してなにか思いを抱いたとき、やっと完成するような気がしています。自分の詩は、そのために書いているとすら思います。だから、詩は、半分は読んでくれた人のもの。私が、「読んでもらうこと」にこだわるのもそのためです。 もちろん、読んでもらうことが、詩の絶対的な価値を決めるとは思っていません。色んな考えがあるし、詩があります。でも、私の詩においては、読まれることで、読んだ人の手元で、やっと完成されると考えてます。読んでもらえなければ、意味がない、とも。 詩には具体性が少ない分、読んだ人なりの解釈があって、ぜんぶばらばらで、どれも正しいとか間違っているとか言えなくて。そしてそれらこそが、私にとって大切なもの。私は自分の作品が好みではなく、書いていて楽しいけれど、書き終わった作品に対しての執着はあまりない。だからこそ、誰かが読んでくれ

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2014/08/11
    「死んでしまう系のぼくらに」(リトルモア)。たくさんの人に届きますように!
  •  瞳の中にいる、時間の亡霊。 - 最果タヒ.blog

    どんな作品も、どんなに心を打った作品も、つきつめれば私にとって関係ない存在で、自分の存在より大事になんてならないってことが、私の作品も他人にとってはいつまでもそうなのだ、軽い存在であり消耗品なのだ、という実感になり、それはすごく、いい。 夏の終わり頃に、詩集がでます。たぶんきっと。すてきなになると思います。いまはまだ、中身もちゃんと確定はしていなくて、それでもその予感があります。twitterやタンブラーで載せてきた短い詩たちも厳選して載せる予定です。ら・ら・接しやすいになるとおもいますので、詩集よんだことなーいって人にも普通に、他人事のようにおすすめします。ずんちゃかずんちゃか。 インターネットがぼくらを古くする。情報だけすいとって、それを時間の波にほうりいれる。

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2014/06/15
    インターネットがぼくらを古くする。情報だけすいとって、それを時間の波にほうりいれる。
  •  あなたのために作ることはないけれど、あなたのおかげで作れています。 - 最果タヒ.blog

    言葉というのは基的に、色や音や形や、そうしたものと一緒に存在している。町を見ても、言葉だけが単独で存在することはめったになく、何かとともにある姿が自然なのであって、だから、言葉を扱う仕事をする私が、デザインとかWEBとか、そういうものひっくるめた言葉のありかたをプランニングしようとするのは極めて自然なことだと思う。 言葉が、言葉だけの姿で存在するのは、だけじゃないだろうか。わたしはほんとうは言葉だけの世界がいちばん好きだけれど、でも世の中はそうではないし、そうではない世の中に生まれて存在しているのが言葉だし、ならそのありのままの言葉を、そのまま扱いたいと思った。別に変わったことや、新しいことをしたいとおもったわけじゃなくてね。 詩ューティングや、最果タヒ.jpでの、私の言葉とデザインの共存や、これからはじまるデザインと言葉の試み・作品は、そうしたことの始まりとして、やっていきたいし、そ

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2013/12/18
    新しいことをしよう、とか、変わったことをしよう、とか、そういうことを考える時点で古い人間だし平凡な人間なんだと思う。
  •  無駄を無駄としか呼べなくなったら、きみの人生は「無駄」です。 - 最果タヒ.blog

    タワーレコードに久しぶりに行ったら、すきなおんなのこの新しいアルバムの発売日で買ったりしたのが先週。わたしはだいたいのことはどうだっていいし興味なんてないし、だからどうだっていい無駄なものがすきだし、音楽とか漫画とか、なんのためになるのかを考えることすらばからしくなるものを、なによりも大事にできることが、豊かさではないだろうかな。こころの。 詩ューティングというゲームを作りました。 とてつもなくものすごく、かっこいい、たのしい、大好き、な詩のサイトです。 http://tahi.jp/shooting 言葉を読む為には殺されなければならないし、生きるには読めないし。 なんてことも考えれますが、考えずに、楽しく遊んでくれたらいいんです。 そのうち新作も。そのうち。 18日月曜日は、読売新聞夕刊に詩がのります。関東地方と山梨静岡だけだとおもいますが。他の地域の方は取り寄せとかもできるはず。サー

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2013/11/17
    なんのためになるのかを考えることすらばからしくなるものを、なによりも大事にできることが、豊かさではないだろうかな。こころの。
  •  まどかマギカ映画。新編感想だよ。「好きな子が神様になっちゃったら、本当辛いね。」 - 最果タヒ.blog

    まどかまぎか見てきたよ。どう語ってもネタバレになる映画だった。というわけで、以下はネタバレしているはずです。未見の方はごらんにならないでください。ぜったいにね! エヴァ破のときは、あまりに展開が悲しくて、じたばたしてしまったわたしだけれど、今回はじたばたはしなかった。そりゃあ、とんでもない展開であったことは確かだし、このストーリーが、異常とも言える数の人間に観られていることがなによりも変な感じがした。ほむらちゃんは結局、あの草原でまどかが語った音、「当はそんなことしたくなかった」という言葉のために、ああいうことをしたのだろう。そしてそのときが、彼女の完全な絶望の始まりだったのだと思う。自分の「まどかを助けたい」という願いが、まどかを実際には不幸にしてしまったということ、その確信がもたらされた瞬間だった。魔法少女は自らの願いをのろい、魔女になる。孵化の途中であったほむらの、魔女化が、決定

     まどかマギカ映画。新編感想だよ。「好きな子が神様になっちゃったら、本当辛いね。」 - 最果タヒ.blog
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2013/10/31
    それが愛だって、いうのが人類。
  •  ネットは河で、きみは石。 - 最果タヒ.blog

    ネットで公に何かを発言することは、だれかの自己表現の踏み台やソースになりにいくことだよ。コミュニケーションなんて期待しちゃダメだし、むしろそういうのが楽しくないと辛くなるよ。 ネットでの発言に対して、発言者とコミュニケーションするために発せられる発言者宛ての反論も勿論あるけど、一方で「みなさん、こんなこと言ってる人がいますけどぼくはこう思いまーす」という、別の第三者に向けた自己表現をする為のソースとして使われることもある。返事なんてない。派生があるだけ。 わたしはそういう、すべての発言が「湖に落とした小石」のように、波紋を生むだけで、跳ね返ってはこないインターネットが好き。

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/09/08
    すべての発言が「湖に落とした小石」のように、波紋を生むだけで、跳ね返ってはこないインターネット。
  •  すてきな凡庸の十代。 - 最果タヒ.blog

    「表現する人に、完成度とか、世界観の深さとか、そういうのはいらないから、ずっと、未完成でぶかっこうで、いろんな影響を受けてきたことを隠しきれなくて、それでも棘みたいにはみ出してくる、自意識のするどさみたいなもの、幼さみたいなもの、見せていてほしいって思うのはわがままなんだろうか」 「わがままだよ」 昔、十代のころはみんな大体おなじよーな悩みとかいら立ちを抱えていて、そういう凡庸な部分をもっているからこそ、どんなに尖った感性の人でも、どこかで一般の人が共感できるものを作れてしまうんだって、書いたことがある。尖った才能があっても、それだけじゃあ、作品は人に届かないと私は思っていて、そこにはわずかにでも「凡庸さ」が必要なんじゃないかって。凡庸さが共感を呼ぶし、才能が記憶に残る。そんなかんじ。どっちが欠けても、他人に届けるには不十分で。たとえば、凡庸さが共感によって受け手の心のドアを開けて、才能が

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/09/04
    でもいつか、とにかくいつか、「あのころもっとたくさん作っておけばよかった。駄作でもなんでもいいから、たくさん作っておけばよかった」って思う日がくるのは、88%本当。
  •  しょうらいのゆめは絶対に叶わない。 - 最果タヒ.blog

    子供の頃はだれも信用ができなくて、だからすべてができる大人になりたかった。隕石がおちてくることを世界の組織に内緒にされるのが嫌で、世界の中枢にいるような研究者になりたかったし、医者の掌に親や大事な人の命をのせざるをえないのが嫌で、医者になりたかったし、他人が決める流行に流されるのが嫌で、流行を作る側になりたかった。それらすべてをかなえることが無理だって知った時、社会はみんながそれぞれ部品になって、おのおのの役割を担うという意味を理解したし、それが支えあうということなのだと知った。さて、そんな私がどれか一つだけ役割を担うならどうしようと思ったとき、だれもが必要とはしていないけれど、そういうのがあってもいいよ、と軽く思っていそうな、「書く人」を選んだことは、たぶんいろんな意味があったのだろうと思う、私の中で。

     しょうらいのゆめは絶対に叶わない。 - 最果タヒ.blog
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/09/02
    子供の頃はだれも信用ができなくて、だからすべてができる大人になりたかった――。
  •  疲労がすべての感情の最たるものかもしれないね - 最果タヒ.blog

    古いか否かでいえば、苦しみを吐露しないことを美徳とすることも、苦しみを吐露することを泥臭いと知りながらも吐露してしまうという美徳も、どちらも古いようにおもう。というより、もはや後者は成立しなくなっている。美徳を吐露することは泥臭い、という先入観が人から消えつつあるからだ。昔は、苦しみの吐露に対する「美しくない」「泥臭い」という感覚が多くの人に存在しており、だからこそ「泥臭い」とわかっていながらも批判されながらも、耐えられず吐露せざるを得ない所に「苦しみの吐露」の別の美しさが生まれていた。けれど、今では「苦しみの吐露」の美しさは世の中に浸透して、昔ほど異質でもなく、批判される存在でもなくなった。「泥臭い」という自覚も批判も少なくなり、「わかっていながらも耐えられなくて吐露する」という状況が成立しなくなってる。そんんな今になって、泥臭いという自覚も他者からの批判もなく、はじめから「美しいこと」

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/06/17
    人の感情が美しい時代自体が、終わった気すら時々する。
  •  きんかんにっしょく、略して「きんにく」 - 最果タヒ.blog

    太陽すらも直視できない目だなんて。なんだか屈辱的ね。結局人類はただの、地球の副産物でしかないのよ。 生物を重んじるのは、生物だけなのよ。これこそがナルシシズムなのよ。 はじめからだれも信じないほうが傷つかない、というのは嘘で、信じて裏切られて、他人によって傷つくか、誰も信じられない自分によって傷つくか、そのどちらかでしかないよーな。どうやったって傷つくんだから、予防のことを考えるぐらいなら、治療について考えたほうがいいよーな気がする。 「事実は小説より奇なり」というけど、虚構だと「ご都合主義」とか「突拍子がなさすぎる」となってしまう展開が、現実で起きた場合には「奇跡」としてもてはやされるのだから当たり前のことだと思った。現実は物語として破たんしているし、だからこそ、現実での「できすぎた物語」は許されるのかな。

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/05/20
    太陽すらも直視できない目だなんて。なんだか屈辱的ね。