ブックマーク / blog.livedoor.jp/abu_mustafa (7)

  • 中東の窓 : ムスリム同胞団弾圧(若干の感慨 補足)

    ムスリム同胞団弾圧(若干の感慨 補足) 2013年08月18日 15:38 エジプトチュニジア 先日エジプトのムスリム同胞団に対する弾圧に関し、若干の感慨を書いておきましたが、そういえば同じように穏健イスラム勢力と喧伝されたチュニジアのナハダとの比較を書くのを忘れていました。 チュニジアのナハダ中心の政権もエジプト同様に、世俗派から大きな反発を受け、その政治は必ずしも順調ではありませんが、少なくとも近い将来軍のクーデターで倒されることは考えられません。 それにはおそらく3の要因があるのではないかと考えていますが、最大の要因はチュニジアの軍とエジプトの軍の性格の違いです。 中東戦争を4回も戦い、その他消耗戦争等多くの対外戦争を戦ったエジプト軍と違い、チュニジア軍は対外戦争はしていませんが、その性格は純粋に国防の職務に専念し、国内政治に巻き込まれた(もしくは自ら入り込んだ)歴史はありません。要

  • 中東の窓 : ナイル川水問題(エチオピアのダム建設)

    ナイル川水問題(エチオピアのダム建設) 2013年05月30日 14:17 エジプトアフリカ エジプトはナイルの賜と言われるますが、そのナイル川の水を巡って、エジプトとエチオピアに対立が生じています。 エチオピアに源を発する青ナイル(もう一つはビクトリア湖だったかからの白ナイル)が、ナイルの源流で、その毎年の洪水が下流に豊かな土砂を運んでエジプトの農業をはぐくんできたことはよく知られています。 このナイル川の水はエジプトの生存にも直接かかわる問題であるだけに、これまでも関係国間で対立や問題が生じ、国際会議でその取り分などがきめられてきましたが、かって英国の保護国時代の協定(確か1902年)が当時の力関係を反映してエジプトに確か水量の55%を認めていることに、ナイル川流域のアフリカ諸国が不満を有していて、2011年かにはナイル川流域国会議を開いて、よりアフリカ諸国に有利なものに変えようとした

    SavingThrow
    SavingThrow 2013/05/30
    ”巨大ダムに水をためる間、エジプト及びスーダンは多くの水を失う可能性。両国はこの経過期間について協定を結び、専門家が水の流れを監視し、貯水にかける時間を15年以上とすることを要求するだろうと見ている。”
  • 中東の窓 : 水危機に対処するイスラエル・ヨルダン協力

    水危機に対処するイスラエル・ヨルダン協力 2013年04月25日 13:48 イスラエルヨルダン 21世紀の最大の資源危機は水だと言われ、特に中東では既に方々で水資源の争奪戦が始まっていますが、25日付けのhaaretz net 及びhaaretz紙を引用した24日付のal mayadeen net は、ヨルダンの水問題責任者が、ヨルダンとイスラエルの直面する水危機に対処するため、ヨルダンはイスラエルとの協力による「2海運河プロジェクト」を推進することにコミットしていると確認したと報じています。 この男はヨルダン渓谷公社書記長で、彼は最近アシュドッドの会議でヨルダンのプロジェクトへの参加を確認したとのことです・ このプロジェクトは、イスラエル、ヨルダン、パレスチナ(PA)の協力プロジェクトで、ヨルダンがアカバで海水淡水化プラントを稼働し、そこからできる淡水をイスラエル南部に供給し(海水は

  • 中東の窓 : アルジェリアのテロ事件

    アルジェリアのテロ事件 2013年01月21日 14:43 アルジェリアビンラーデン アルジェリアのテロ事件は多くの日人が犠牲者になったという点でも衝撃的な事件でした。 未だ犠牲者の正確な数さえも判らない段階で、何らかのコメントをするのは、全く時期尚早とは思いますが、取り敢えず思いついたところを書いてみると次のような所です。 勿論アルジェリア軍の行動に多くの問題があったことは間違いない所と思いますが、国際社会(欧米のみならず国連安保理も非常に強い調子で、テロを非難した)の反応に比して、日国内の反応(マスコミのみならず、当初の政府の反応も含めて)がテロリストを非難するよりは、アルジェリア政府批判に重点が置かれていたことは、テロ問題に関する日の特質的反応かと言う気がしています 現場はサハラ砂漠の南部ですが、サハラでは90年代の内戦とも言えるテロ時代(10万人が死亡したと言われる)にも、厳

  • 中東の窓 : シリア情勢(取り敢えずのコメント)

    シリア情勢(取り敢えずのコメント) 2012年08月22日 20:49 シリア中東関連 シリアでは邦人女性報道家が亡くなられたこともあり、マスコミでもシリアが大きく取り上げられ、このブログにも多くのコメントがあったほか、電話インタビューを受けるという光栄もありました。 日々の動きについては、アラビア語のネットから取りまとめ、毎日お届けしていますが、このような状況に鑑み、コメント等で質問またはご意見のあった点についての私の意見などまとめておくのも、意味があるかと思い、以下思いつくままに取りまとめてみました。 おそらく、以下はこれまで何度か書いたことと重複しているところも多いと思うし、いずれにしても報道からしか現地情勢をフォローできない田舎の隠居爺さんである私の個人的意見に過ぎませんから、忙しい人はぜひパスしてください。 ・かなり時間が過ぎたので、記憶されていない方も多いかと思いますが、現在の

  • 中東の窓 : アラブ民族主義について(チュニジア)

    アラブ民族主義について(チュニジア) 2011年10月22日 18:29 中東関連チュニジア 確か一昨日だったか、よく言われるアラブ民族主義にチュニジアのベンアリは属さないと言うことを書いて、若干の解説は後で書きますとしておいたのですが、昨日アラブ民族主義について、解説とも言えないような勝手なことを書いておいたので、忘れる前にチュニジアについても一言だけ書いておきます。 アラブ民族主義の定義とかその性格については昨日の一文をご参照ください。 チュニジアのベンアリが政権を奪ったのが1987年で(いわゆる宮中クーデターで、その後は初代大統領のブルギバをモナスティールと言う彼の生地の邸宅に体の良い自宅軟禁にしていた)、その時間軸からしても、ベンアリがアラブ民族主義の一人ではないことは明らかです(要するに、もうこの頃はアラブ民族主義は燃え尽きた残滓でしかなかった) それ以上に、ベンアリが引き継いだ

    SavingThrow
    SavingThrow 2011/10/27
    "親欧米(特に親仏)で基本的には社会主義とは無縁の経済政策、地中海に開かれた文化を唱えアラブ統一等という思想とは無縁でした。ベンアリは余りイデオロギーとは関係のない単なる独裁者であったと思います。"
  • 中東の窓 : アラブ民族主義の(最終的)没落

    アラブ民族主義の(最終的)没落 2011年10月21日 16:40 中東関連リビア 今朝の大ニュースは勿論カッダーフィの死ですが、朝日等も随分大きくアラブ民族主義がどうのと書いていますので(朝も書いた通り、チュニジアを含めるのは間違いだが)、整理の意味で、アラブ民族主義について簡単な解説(などと偉そうなものではなく、単なる覚え書きみたいなもの)を書いておくのも、一つの墓標銘としての意味があるかと思います。 但し、記憶のママに書くので、間違い等があったら詳しい方訂正してください。 次に墓標銘を書くのはアサドになるのでしょうか、サーレハになるのでしょうか? アラブ民族主義と言うのはナセル大統領がその代表だが、1950年代からアラブ世界を風靡した思潮です。 基的には、世俗主義のアラブ世界近代化へのイデオロギーですが、その主要な点は ・アラブ統一(アラブの文化、文明の覚醒、アラビア語の重要視等を

    SavingThrow
    SavingThrow 2011/10/27
    "アラブ民族主義。50年代からアラブ世界を風靡した世俗主義の近代化イデオロギー・アラブ統一(文化・文明の覚醒、アラビア語の重要視)・欧州の植民地主義排斥・社会主義的手法での近代化・経済開発・社会的公正。"
  • 1