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ブックマーク / www.hucc.hokudai.ac.jp/~k15696 (3)

  • 自己所有権テーゼ論駁

    自己所有権テーゼ論駁 柏葉武秀 はじめに われわれは自分の身体を好きなように使ってよいし、その結果手にするであろう果実(典型的には 所得)を自身のものとしてよい。そのさい、他の人々や社会といった「自分以外」のなにものかに負 うところはないし、それゆえ干渉される筋合いもない。このような直観は、素朴ではあれあるいはそ れだけ一層、根強いように思われる。かかる直観を「自己所有権」としてまとめあげ、解明に乗り出 したのがG・A・コーエンである。 コーエンによれば「自己所有権テーゼ」とは以下のようなものである。 「各人は自分自身の身体とその諸力を道徳的に正当な仕方で所有する主体であり、したがって (consequently) 彼らが自分の力を他者に対する攻撃に向けないかぎり、 、 各人は望むとおりにその 諸力を行使する(道徳的にいって)自由をもつ、というのものである。……、自己所有権テーゼに よれ

    Schuld
    Schuld 2006/08/20
    現代倫理学研究 平成17年度科学研究費補助金(基盤研究(B))「応用倫理学各分野の基本的諸概念に関する規範倫理学的及びメタ倫理学的研究」研究成果報告書、2006年3月、135-145頁(論文3の日本語版) PDF/Adobe Acrobat
  • 都築論文

    道徳判断の「実行可能性」と「非記述的意味」 都築 貴博  はじめに  以下の小論では、 「道徳的相対主義(moral relativism) 」をとりあげる。ここにいう 道徳的相対主義とは、 「規範的 normative) 立場としてのそれではなく ( 」 「メタ倫理学 的(meta-ethical) 」立場としてのそれである 。規範的な道徳的相対主義は、自分と は異なる諸価値を受容する人々に対してどう振る舞うべきかに関する理論であり、 メ タ倫理学的な道徳的相対主義は、 道徳判断の意味、 真偽、 正当化可能性に関する理論 である。 メタ倫理学的な道徳的相対主義は、 「道徳的枠組 moral framework) に対す ( 」 る道徳判断の意味や真偽の相対性を指摘し、 また、 自分の 「道徳的枠組」 に立脚した 道徳判断は他の 「道徳的枠組」 の構成員に対しては正当化可能でないと論ず

    Schuld
    Schuld 2006/05/07
    北海道大学大学院文学研究科哲学倫理学研究室『現代倫理学論集』2001年 PDF/Adobe Acrobat
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    Schuld
    Schuld 2006/05/07
    現代倫理学研究 論文等
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