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ブックマーク / technique.hateblo.jp (2)

  • 2007-01-15

    「『文庫増補版・サブカルチャー神話解体』(筑摩書房)がまもなく出ます」(宮台真司) ルーマン的、ギデンズ的の「二重の再帰性」が、めちゃくちゃクリティカルです。 以下、個人的なメモ。 対人恐怖や社会恐怖も、「自他の関係性を考えつめすぎること」と捉えれば、再帰性の枠で考え得るのではないだろうか。 ▼醜形恐怖や赤面恐怖は「自分がどう見えているか」を強迫的に気にしているし、対人恐怖の多くは「迷惑をかけてしまうのではないか」という加害恐怖にあたる。 関係性を考えつめすぎる自意識は、関係をかえって破壊してしまう。*1 宮台氏は徹底して「自意識」をターゲットにメッセージを出しているが*2(「再帰性の徹底」の実演)、「ダメな自分」の自意識を反復するだけでは、事態改善よりはむしろ自滅を招く(「自分は遺棄されるだけ」)。 自意識や再帰性を徹底するのとは別の、固執の展開が要る。 ▼呼び出される「固執のリソース」

    2007-01-15
    Schuld
    Schuld 2007/01/17
  • 2004-10-29

    僕がここ最近、「能動性と受動性」、「自発と強制」 などと言って考えていた話が、そのまま 「自由と不自由」 に重なる事に気付いて、だいぶわかりやすくなった。*1 ひきこもり当事者は、 「閉じこもる自由」を求めるとともに、 → すなわち、 【降りられないのは不自由だ。 「降りる自由」を!】 「閉じこもるしかできない不自由」を壊さねばならない。 → すなわち、 【「降りるしかできない不自由」から、「乗れる自由」へ!】 ―― この両方だから、複雑で曖昧で、難しい。 これ、「どうして引きこもりが責められるか」、「どうして一般の人と話がかみ合わないか」を整理するのに役立つと思う。 というか、これまで僕が考えてきたことがほとんどこれで整理できそうな気がする。 どう戦えばいいかも分かる気がするので、ちょっと考えてみる。 *1:以前すでに考えていたことなんだけど、そのときは重要性に気付けなかった。 人生に対

    2004-10-29
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