また、悲しい事件が起こった。 京都府長岡京市の開業医がALSの義母に告知をせず、死に至らしめた件 告知したかどうか、インフォームド・コンセントが十全に行われていたかどうかだけを問題にするのは、問題の一側面だけの指摘である。より大切なのは、呼吸器をつけていれば生きられる人を、「本人の自己決定」を根拠にしてであっても生きられないようにするという問題であり、私はそのことをも問題であると考えている。本人には、死にたいという欲望はあるにせよ、欲望は一枚岩ではないはずだ。さらに、もっと問うべきは、呼吸器をつけながら生きることを否定的に考えてしまう私たちの価値観ではないだろうか。 私は昨日、メガネのフレームを壊してしまった*1。私はメガネがないと生活できない。「メガネがなく、見えないから私は死にたい」と言ったら、きっと周りの人は私を変な目で見るだろう。そのときほとんどの人はメガネや、壊れたフレームを修理