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ブックマーク / nekoprotocol.hatenadiary.org (15)

  • 小樽名物「ポセイ丼」に対抗する名物料理を考える。 -

    海鮮丼の名前に海神ポセイドンの名をつけるなんてかなりのこだわりだなと思った。 これに対抗できるのは世界樹の名を冠しあらゆる山の幸を投入した「ユグドラ汁」くらいだろう。 アンティパストには猿肉を贅沢につかった饅頭「ハヌまん」、デザートには焼き菓子「アスタルト*1」などどうか。 あるいは貪欲の象徴でもあり、かつ名前からしてスイーツの王様っぽい「アマイモン(別名マモン)」でコースの締めとするのもよいかもしれない。 *1:ウガリット神話の

    小樽名物「ポセイ丼」に対抗する名物料理を考える。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/10/24
    いちごのチョコ菓子アポロンを推薦します!
  • じゃあここがはてな村の中心です。 -

    我こそははてな村民です って、なんで誰も言わないんだろう。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/another/20071011/1192120392 確かに。 そんで、結局はてな村はてな村言うひとははてな村を定義しやしないし、定義が難しくてもせめてidをひとつふたつ挙げるくらいやってくれればと思うのですけどそれもしてくれないし、ただただバカみたいにキモいキモいとかおれははてな村じゃありませんしかいってくれなくてすごくつまらないので、じゃあ今日からここがはてな村の中心です。はてな村キモいという発言はすべてここを指しているものとします。そのさげすむようなつめたい視線はすべておれに向けられていると思うことにします。さあさあ、じゃんじゃんキモがれ! あざけるような視線を向けてみろ! ああっ♡ もっと。 補足:エントリに込められた意図をエキサイト翻訳→MML記法により音

    じゃあここがはてな村の中心です。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/10/13
    はてな村? やめておいた方がいい、何人もの勇者が行ったが帰って来た者は1人もおらん。
  • いま感じている悲しいとか楽しいとかキモいという気持ちを否定しない -

    いま目の前で仔が死んでいく様子を見て悲しいと思ったり、ディアボロの大冒険をやって楽しいと感じたり、揚げ足取り議論を見てキモいと思ったりすることがすくなからずある。 特にネガティブな感情の「キモい」あたりは、キモいと思うおれがキモいんだキモいとか思っちゃいけないんだこんな感情消さないといけないんだなんてことになりがちで、ただそうやって感情を押し込めて論理やらなにやらで自己解決に走るとたいていあとがつらい。 そうじゃない。キモいという感情は物でそれは疑っちゃいけないものなのだ。 ただし、そのキモいという感情を生み出した心のルールがどうやって自分に組み込まれたのか、そこは疑ってよいのだと思う。 その「疑うための道具」の一つが創作なのだと思う。とりわけSFはもっとも使い勝手のよい道具だと思う。*1 私がSF(っぽい)創作を書くのが好きな理由はそこです。 *1:SFとか創作とか言わなくても、思考

    いま感じている悲しいとか楽しいとかキモいという気持ちを否定しない -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/10/04
    気持ちのいい考え方だにゃ。
  • 意味師 -

    死に瀕した老人がベッドに横たわっている。そのそばで意味師が話を続ける。 「……あなたが7才のとき拾ってやれなかったあの仔ですが、実はあの後……」 意味師は死にゆく人間に人生の意味を説く。 もちろん、宗教のような抽象論・一般論で人生の意味を語るのではない。その人間個人の全ログを、拡散した情報ミームの逆算から精緻に調査し、彼や彼女が不条理や不明瞭を感じていたすべての事象について、その意味を、その必然を説いて聞かせるのだった。 「……これがあなたの人生の物語のすべてです。その人生はあらゆる面で意味のあるものでした」 意味師がお定まりの締め口上を述べると、ベッドの老人は穏やかな笑みをうかべ満足そうに死に逝く。 だが意味師は死出の旅人を気持ちよく送り出すためだけに人生の意味を語るのではない。 ぐったりしたままの死体をベッドから抱き起こし椅子に座らせ頭を固定する。シェービングローションを頭に丁寧に塗

    意味師 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/09/26
    すごい
  • 今のネットビジネスはネット人格をターゲットにしている。 -

    ネカマしかりアヴァターしかりブロガーしかり、えてしてネット上の人格はリアルの人格と同じではなく、美化されていたり、そうありたいという願いが反映されていたり、欲望に忠実だったりする。 現代のネットビジネス屋はそのあたりを認識しているというか、要するにネット人格の向こう側にいるリアル人格をターゲットとするのではなく、ネット人格をターゲットとしているのである。 その理由の一つは「ネット人格は当人の抑圧された音がいくらかなりとも反映されており、リアル人格よりもその人間の質に近しい。そこにつけこめば金になる」という前向きの理由であり、もう一つは「ネット人格の向こうにあるリアル人格をマーケティングリサーチしようにもアプローチが難しい」という後ろ向きかつ致命的な現実からそうせざるをえないのだ。 そこで現代のマーケターは複数のネット人格を行動分析する。 ログやIP、発言に含まれるリアルの情報、方言・特

    今のネットビジネスはネット人格をターゲットにしている。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/09/15
    なるほど。
  • おれたちは女性の「高校のころの写真」を見たときのベストな回答を捜し求めている。 -

    女性の「高校のころの写真」というのを見たときにどう回答するのがベストなのかというのをずっと考えている最近のおれなのだけれど、乙女心をこれっぱかしも理解していないおれですら 「かわいいなぁ。あ、や、いまはいまでかわいいよ」 がバッドアンサーであることくらいはわかるのであった。いまはいまで、て。 かといって 「かわいいー。あれかな? おれたちに娘が生まれたらこんなかわいい高校生になるんかなー」 とかだといろいろでしゃばりすぎというか、結婚とか子供とか発言していいか悪いか見極めないと命取りになりかねない。 とこうなると、ベストとまでは行かなくともベターな回答は 「このころからかわいかったんだねー」 あたりが、過去を肯定しつつ目の前の彼女をも褒めていていいのかなと思いつつ、そもそも「高校のころの写真」を見せてくれるような親密な間柄の女性がおれにはいないのでどうでもよかった。世界など滅べばいい。

    おれたちは女性の「高校のころの写真」を見たときのベストな回答を捜し求めている。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/09/12
    あからさまに外の風景とかその地名とかに触れてみるとか。学校だったら天気に関してのみ触れる。
  • 都会での打ち水大作戦に警鐘を鳴らしたい。 -

    この時期恒例の大都市圏での打ち水大作戦ですけれども、ちょっと待ったをかけたい。 都会での打ち水はおもった以上に危険だからだ。 でもだって都会である。 都会といえば人間の心根は腐りきっていて、その負のメンタリティは路上にもあふれかえっている。 そこに打ち水だ。パシャリ。路上に水がはぜる。 もちろん水はなんでも知っている。 H2Oは路上の負のメンタリティを吸収する。 そして照りつける夏の太陽とむせかえる熱気で水は蒸発する。 分子構造の薄汚れた水は怨念の蒸気となって大気中に蔓延することになるのである。 それだけならまだしも、その怨念蒸気はビルにあたって上昇気流となる。 すると地表近くの怨念が薄くなり、周囲の怨念がそこへ一気に流れ込む。 怨念が怨念をよび、その気流はついには竜巻となる。 それもただの竜巻ではなく、負のメンタリティをまとった怨念トルネードなのだ。 その被害たるや想像を絶する。 とりわ

    都会での打ち水大作戦に警鐘を鳴らしたい。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/07/28
    これは打ち水の祟りじゃ… いいか、打ち水に気をつけるんじゃぞ… うちみz ぐほっ…/ はっ、ありがとうっていいながら水まいたら、綺麗な都知事になるんじゃね!?
  • 「19歳はババァ」もんだい。 -

    制服に身をつつんだ15,6歳の美少女どもが「19歳ってババァだよねぇ」などとのたまう一方で、三十代のおれから見たときのプラス3歳の女性のストライク感ったらないので、この非対称性はいったいなんなんだろうと考えるに、どっちもウソじゃないんだと思う。美少女彼女どもの発言もおれの感情もどちらも当なのだ。 ようは二者間の年齢差ってパラメータが両者の数値が大きくなればなるほど比率が小さくなるってことに起因するのだろう*1。15歳から見て19歳はたしかにババァなのだし、三十代のおれにとってプラス3歳は魅惑のチキルームに過ぎるというだけのことなのだ。 いや、そんな単純な数字上の比率の問題だけではないとも思う。 小二にとって小三はまさに神がごとき存在だったし、0歳から1歳への成長はいうなればまったく別の生物への飛翔・進化ですらあるし、高度に発達した90歳は93歳と見分けがつかないし、そしてこの感覚の根

    「19歳はババァ」もんだい。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/07/10
    ホッホッホ、女性はいくつでいらしてもレディで、マドワゼールで、お嬢さんなのですよ。
  • イソップ童話「よくばりな犬」からおれたちが学んだこと。 -

    よくばりな犬からおれたちが学ぶのは、犬が愚かしいということでも、欲張りがよくないということでもない。 器官は機能ごとに特化すべきということである。 ようは、「吠える」と「肉をつかむ」を口だけで行うからああなる……肉を取り落とすのだ。もし肉を手でつかんでいたなら犬も安心して吠えられたはずなのだ。 そしてこれは人間が言葉を発達させたことにも呼応する。 人間は二足歩行を獲得し、両手に「掴む」動作を担当させた。 口にはもっぱら「しゃべる」動作を行わせることで、言葉を発達させたのである。 だがこれで進化を終えていいのか? 人間のコミュニケーション能力をより高めるために、口には「しゃべる」動作を選任させるべきではないか? つまり「べる」ことや「なめる」ことから口を開放してやれば、より人間は高次のコミュ的存在になれるのではないか? おれがそんなことを考えている様子を、近くの犬たちが見ていた。 彼らは肉

    イソップ童話「よくばりな犬」からおれたちが学んだこと。 -
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    SeiSaguru 2007/07/07
    素晴らしい!
  • 近頃「リア充」という言葉について考えている。 -

    その昔、ネットで元気な子をバカにするのに「ネット弁慶」って言葉があったと思うのですけど、今はあんまり聞かない。もしかするとこの言葉、利用されつくして破壊力が落ちてしまったのかな? いや違うか。 「ネット弁慶!」って揶揄は「いやおれネット弁慶じゃないし。リアルもこのままだし」って切り返しがしやすいので、ネット元気ッ子を潰すのに使いづらいことがわかってきたのだと思う。 ネット元気ッ子を潰すにはもっと外堀を埋めてから追い込んでやらないといけない。じゃあ、ネット元気ッ子だって一人の人間、一日24時間しか持たないはずだ。ネットに相当なリソース割いてるに違いないから、きっとリアルは充実してない。そういう憶測の上で、ネット元気ッ子の心を遠まわしにざわつかせるために、「リアルが充実してる人はネットなんかやらない」論理を張った。 そしてこの言いまわしは効果を発し、「ネット弁慶!」よりも「リア充」をよく見かけ

    近頃「リア充」という言葉について考えている。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/06/27
    リア充がネット弁慶に対する言葉であることは知ってるけど何の略なのかがわからにゃい。充実? 重視だと思ってたんだけど、字が違った。
  • id:Agguy0cさんの記事を読んで思ったこと。ブログ/日記に書くということ。 -

    俺の何が正しくて、何が至らないのか、教えてください。 http://d.hatena.ne.jp/Agguy0c/20070620/1182330684 この記事と関連二記事を読んだだけです。まず私はid:Agguy0cさんの問題に対して私が同僚だったらこうするというのはありますが、的外れなアドバイスになる気がするので具体的・詳細には触れません。 ここで私が唯一気になったのは「客・リーダーとのやりとりを文字おこしする際に、読みやすくするためかあるいはなんらかの装飾のために付加したであろう《ある情報》が、後にご自身で読み返した際に客・リーダーへの不審をより強化してしまいやしないか?」ということです。 ぶっちゃけていうと、「www」と「[笑]」の記述です。 いや実際に客なりリーダーなりが嘲笑していたのかもしれません。それはわかりません。 ただこういったシーンで人が笑うとき、それはコミュニケーシ

    id:Agguy0cさんの記事を読んで思ったこと。ブログ/日記に書くということ。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/06/22
    同意、というか、片っ方からの情報っていうのはどんなに頑張っても一方的になってしまうにゃ。それは頭に置いてよまなきゃとは思う。
  • ブログに感情を吐露すると、本当はそんな感情じゃなかったのに最終的にある感情に収束する。 -

    ブログに感情を吐露すると、当はそんな感情じゃなかったのに最終的にある感情に収束する。 (アリガチな考え方だけれど)おれは「感情⊃言葉」とおもっているフシがある。言葉は感情のすべてを表しきれないっていう思考停止なアレ。さらに、おまえの日語は不自由・へたくそなんだよと言われることが多いせいでなおさら、ああおれがブログに感情を焼き付けた時点でそれは当の感情の劣化コピーなんだなぁと思い知るのだ。 そして言葉というもののメリットでありデメリットでもあると思うのだけれど、言葉にした時点で複雑で様々な相を持つはずの「感情」はその言葉で表現できる範囲の「何か」に「定着させられてしまう」。自らの感情を表現空間の小さな「言葉」に押しこめてしまうのだ。 時おなじくして、おれはメガネ女子のことを考えていた。 おれはメガネ女子が好きだ。すごく好きだ。大好きだ。メガネ女子が好きという気持ちはほんとうに純粋な気持

    ブログに感情を吐露すると、本当はそんな感情じゃなかったのに最終的にある感情に収束する。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/05/30
    あるある
  • 「わたしのことどれくらい好き?」問題 -

    「わたしのことどれくらい好き?」 「そういうこと聞かないとこが好きだったんだけどな」 てきな、ぜーんぜん質問に答えていない回答をしていいのは一部のモテ男子だけの特権なわけです。実際、もしおれたちがそんな質問されたなら、ひやあせだっらだら流しながらひっしこいてベストアンサー探さなくっちゃいけないに決まっていて、いまんとこおれの考えたベストアンサーが 「わたしのことどれくらい好き?」 「『100万回生きたねこ』のくらい」 「え? どんな話だっけ?」 「じゃあ、今から屋に買いに行こう」 つってそのままカフェかどっかで並んでページめくる、っていうものなんですけどもちろん「どれくらい好き?」なんて聞かれたことないんだぜ!! 世界は闇だぜ!! 100万回生きたねこ (講談社の創作絵) 作者: 佐野洋子出版社/メーカー: 講談社発売日: 1977/10/19メディア: 単行購入: 36人 クリッ

    「わたしのことどれくらい好き?」問題 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/05/25
    ああ、私の好きな人が答えそうな答え方だ。今度聞いてみようかなあ。ただ、「私のことどれくらい好き?」って質問に頭の悪さを感じるのだ…。もっと上手い質問の仕方ありそう。
  • はてなキモい勢の居場所を考えていた。 -

    例えばはてなダイアリー上で「はてなキモい」と書いている方を見ると、「なんでキモいところにいるのかなぁ。他のサービスに行けばいいのに」と思ってしまい、また、はてな以外のウェブサービスで「はてなキモい」と書いている方を見ると、「なんでわざわざキモいところに近寄ってキモい思いをしたがるのかなぁ。近寄らなきゃいいのに」と思ってしまうのですけど、でもそんなこと言ったらはてな内にもはてな外にも「はてなキモい」と言える場所がなくなってしまってそれはそれで不健全な気がするので、じゃあどこなら安心して「はてなキモい」って言えるかなぁと考えに考えてみたものの、答えがでないのでそのうちカーズは考えるのをやめた。

    はてなキモい勢の居場所を考えていた。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/04/19
    ひょっとして、女子高生とかは、キモいって安心して言える人たちを探してるのかな? ですよ。キモーイとか、アンガールズキモーイとかみたいに…。
  • 環境に適応する生物と環境を適応させる生物のことを、ぼんやり考えてた。 -

    地球の生物ってヤツはどうも貧弱なせいか、環境に適応するしかなく、だからこそ変化だか進化だかしてきたってことらしいけど、逆に自分好みに環境を適応させることができるものっそい強い宇宙人とかいてもいいと思った。多分変化も進化もしません。すごい頑固。 そんで最近調子にのってる人間さんも《環境を適応させる》生物って呼ばれてるらしいので、そしたら人間とそんな宇宙人が出合ったとしても互いに自分好みに環境を適応させようとします。きっと共存できず、宇宙戦争になる。宇宙人さんと人間さんは共存できない。 あと、ちょう強い宇宙人というのは文字通りちょう強いので第三惑星を侵略してテラフォームするに留まらず、銀河を逆回転させたりグレートウォールを建て替えたり宇宙そのものを閉じたり開いたりできるに決まっていて、あれ、それって神じゃんと思った。なるほど神ってヤツぁ、環境に適応できない人格不適合者で力にまかせて自分好みの世

    環境に適応する生物と環境を適応させる生物のことを、ぼんやり考えてた。 -
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/03/04
    すごーいっ おもしろいです!
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