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  • 「カネを払えない企業は潰れちまえ」は「底辺労働者は野垂れ死ね」と同義

    今日のテーマは、「従業員にまともな給料を支払えない企業は潰れるべきか」だ。 先日、『そんな給料で働けるか、バーカ!』という記事が公開された。 内容はタイトルどおりで、人手不足だと嘆くなら給料を上げろ、それができない前時代的な企業は潰れてしまえばいい、というものだ。 そう、人を集めたいのであれば、カネを払えばいい。 十分な対価を用意できない企業に存在価値はない。競争力が低い企業が淘汰されるのは当然のこと。 わたしもそう思う。 働き方改革の際、「労働基準法を守っていたら仕事がまわらない」なんて経営者の声が紹介されていたが、そんな企業潰れちまえばいいのだ。 ……でもこの理論って、ともすれば労働者にきついブーメランとして返ってくるんじゃないだろうか。 「まともに稼げない人間には存在価値がない」と。 給料を上げたい、でもない袖は振れない どこもかしこも人手不足というのはよく聞く話で、『令和4年版 労

    「カネを払えない企業は潰れちまえ」は「底辺労働者は野垂れ死ね」と同義
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2024/06/14
    それを同じと見做す考え方は成立するが、その場合はかなり特殊なイデオロギーが前提。本邦を始め大抵の国家の法体系は自然人にのみ生存権を認め法人には認めないので「潰れても良し=失業も仕方なし」でしかない
  • 儲からない商売の「まちがった値決め」について。

    ラーメン店の潰れ方が、ちょっとシャレにならない。 「飲店ドットコム」の調査によると、1年以内の廃業率は30%、3年以内の廃業率では実に60%を超えるそうだ*1。 一般法人の起業5年後の生存率が80%を超えることに比べると*2、もはや特殊事情を疑うレベルである。 しかしなぜ、ラーメン店をはじめとした、一部外の廃業率はこんなに高いのだろう。 参入障壁が低いので、経営者の認識が甘い、ということなのだろうか。 あるいは、過当競争で店が多すぎるのか。もしくは新しさを出しづらいので、埋没が早いのか…。 中には、とても美味しいのにすぐに潰れてしまう店があるので、当に不思議な業界である。 そもそも論として、ラーメンは安すぎる。 あれだけの手間暇をかけた一杯が概ね1,000円以下でべられるなど、はじめから成功するわけがないというものだ。 そしてそれが定着してしまっているので、例えば1,500円以上の

    儲からない商売の「まちがった値決め」について。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2023/06/21
    「受け手の価値で値決め」は正しいが今やそれでも不十分。格差拡大で「これいい、の価値」に「百円出せる~一万出せる」という差があり一物一価の公平な商売自体が厳しい。ガチャゲーや転売ヤーが蔓延る所以
  • さびれた地方に住む人々の心理的充足感を供給する「アニメやゲームのキャラ」と「日の丸」の話

    「個人の自尊心やアイデンティティなんて自分で選ぶもの。自分で勝ち取るものだ。」 そう思っている人は日のインターネット、たとえばこのbooks&appsの読者のかたにも大勢いらっしゃるのではないかと思う。 でもって自尊心やアイデンティティは、自分自身の経済的・文化的・社会的成功と結び付けられがちだ。 いちばんわかりやすい個人主義者とは、自分の意志や能力をとおしてサクセスし、自尊心やアイデンティティをも充足させられる、そんな人物ではないだろうか。 経済的成功も心理的充足も個人化したというが しかし、誰もがいちばんわかりやすい個人主義者のように生きているわけではない。 もし、明確にサクセスした個人しか自尊心やアイデンティティが充足できないとしたら、世の中は心理的充足に飢えた、がらんどうの個人だらけになってしまうだろう。 もちろんインターネットでは何事につけ極端な人間が目立つので、がらんどうの個

    さびれた地方に住む人々の心理的充足感を供給する「アニメやゲームのキャラ」と「日の丸」の話
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2022/10/27
    60年代からヴォネガットか唱えていた「我々には拡大家族が必要」。明察と思うが中間共同体解体は進む一方。資本と市場の論理において価値を持たない以上、この重要な幸福要素は公的には無視かハックされ続けるだろう
  • 幸せなときは、口に出して言ったほうがいい。カート・ヴォネガットに学ぶこと

    カート・ヴォネガットあるいはジュニア おれはSFをそれなりに読む。それなりに読むだけなので、時代の最先端のSF(『三体』なら読んだが)を常に追いかけていたり、オールタイム・ベストの千冊をすべて読破していたり、ということはない。 そもそものおれのSFの始まりは、カート・ヴォネガットの『チャンピオンたちの朝』か、フィリップ・K・ディックの『ザップ・ガン』のどちらかということになっている。 「よく、その二冊でSFに足を踏み込んだな」と言われるかもしれない。『ザップ・ガン』は置いておくにしても、『チャンピオンたちの朝』がSFかどうかというのは、正直、今でもよくわからない。 よくわからないが、若いおれはヴォネガットを次々に読んだ。そのSFの奇想と、あまりにも地に足のついたヒューマニストとしての「声」にうたれた。 この「声」というのは、このたび読んだの訳者あとがきで円城塔が述べている言葉だった。

    幸せなときは、口に出して言ったほうがいい。カート・ヴォネガットに学ぶこと
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2022/06/27
    愛は負けても親切は勝つ。世界中がヴォネガットを読むだけでかなり世の中は良くなると思っている。十分名が売れてる米国ですら皆がヴォネガットを読んでるわけではない、なんて世界だから現状が関の山とも言えるが。
  • 社長の「やっとウチも、社員が自死するほどの会社になりましたね」という発言で、心が折れた。

    東日大震災の際、家族全員を津波で失いながらも任務を続けた自衛官がいることを、知っている人はいるだろうか。 その自衛官のお名前は、車両整備中隊長の佐々木清和・1等陸尉という。(当時。以下敬称略。) 陸上自衛隊における中隊長は特別なポストで、部下からは「オヤジ」とも呼ばれ、一人ひとりの隊員と膝詰めで付き合うポジションだ。 そんなこともあるのだろう、佐々木は海岸からわずか300mしか離れていない自宅にいた家族が心配ではあったが、一切顔に出さず、黙々と部下を統率し任務にあたり続けたそうだ。 そしてまさにその時、最愛のと14歳の一人娘、同居していた義父母の家族全員が、津波にのまれて命を落とされている。 佐々木がご家族のご遺体に対面できたのは、任務の合間を縫って遺体安置所に駆けつけた、実に10日も後のことであったそうだ。 当然のことながら佐々木は震災後、心に大きなダメージを負い酒量が増える。 体重

    社長の「やっとウチも、社員が自死するほどの会社になりましたね」という発言で、心が折れた。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2021/08/04
    桃野氏の辞任は正しく、この(元)社長は駄目な経営者であるが、そんな体制/意識の会社/社長が出現してしまう社会の仕組み自体に大きな欠陥がある。例えば労基のリソース/権限は一桁足りてないのではないか。
  • わずか10%の給与カットで「愛社精神」は跡形もなく破壊することができる。

    世の中の経営者、とりわけオーナー企業の経営トップは「愛社精神」にこだわる人が多い。 しかし誤解を恐れずに言うと、給与所得者として働く労働者に、経営者が考えているような「愛社精神」は存在しない。 にも関わらず、勘違いした会社経営者は的はずれな手段を使って、従業員から会社を愛してもらおうと努力する。 そしてその多くの場合、「愛社精神」を自分への愛と一体化して考え、理不尽極まりない願望を押し付ける。 従業員との“腹を割った”飲み会。 慰労旅行や社員運動会。 さすがに、令和の時代にこんなことで“愛社精神”が高まると勘違いしている経営者はいないと思いたいが、万が一似たようなことをしているのであれば今すぐやめたほうがいい。 従業員の立場から見れば、相当な迷惑だ。 ではなぜ、多くの会社経営者は「愛社精神」などという存在しないものを追いかけるのか。 それは、「それっぽいなにか」を都合よく誤認しているからだ

    わずか10%の給与カットで「愛社精神」は跡形もなく破壊することができる。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2021/06/25
    愛やら好悪やらと関係なく「こいつについておいた方が得だ」ということで成立している人間関係はままある。組織が人に期待できるのはせいぜいそのレベルなのが当たり前。それ以上は洗脳でもしないと達成できない話。
  • 「人殺しの顔をしていない、人殺し」が、怖くてならない。

    人間の悪意に絶望するのこと ある建築会社が手がけたアパートの階段が壊れて、人が亡くなったというニュースがあった。 さらにその会社が同じような手抜き建築でつくったアパートなどが二百件超あるという。 おれはそのニュースを読んで、とても嫌な気持ちになった。 おれは自分のソーシャル・ブックマーク・サービスに、次のようなメモを残した。 「殺人事件のニュースなんかより、こういう話のほうが人間の悪意に絶望して、すべてが嫌になってしまう。」 言いすぎじゃないかと思う。自分でもそう思う。 だいたい、どんな殺人事件と比べているんだ。そういう話になる。 もちろん殺人事件には殺された人という取り返しのつかない存在があって、その人を永遠に失う家族や友人たちだっているだろう。 もちろん、一度にたくさんの人を殺すような事件もあるし、許しがたいような動機の事件もある。 それでもなお、なにか、おれには欠陥住宅をつくりつづけ

    「人殺しの顔をしていない、人殺し」が、怖くてならない。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2021/06/10
    「殺人のような悪は特別なもので憎悪とか強欲とか特別な動機と結びついている筈」という前提を持つからそう感じる。実際にはそれは幻想で普通の人が状況次第で簡単に人を殺すのが現実。見たくない現実に直面する恐怖
  • 海外SF小説の超絶傑作「死者の代弁者」について、今から全力でお勧めします

    小説を読んでいて、 「この作品の作者さんは、どうしてこんな作品を書けたんだろう?」 「どんな脳をしていればこんな筋書きが思いつくんだ……?」 と思うことがたまにあるのですが、私にとって、その頻度が一番高い作家はオースン・スコット・カードかも知れません。 この記事で、私はオースン・スコット・カードの傑作中の傑作である「死者の代弁者」について、多少なりと未読の皆さんに興味を持ってもらえるようなお勧め記事を書きたいと思っているのですが、事前に二つ断らせてください。 ・この記事を読むと、「死者の代弁者」の前作「エンダーのゲーム」の終盤の展開について、否応なく推測出来てしまうこと ・「死者の代弁者」についてのネタバレは最低限に抑えるが、それでも多少は内容について触れない訳にはいかず、完璧にゼロの状態で「死者の代弁者」に触れた時の楽しさを若干は損なってしまうかも知れないこと 「ネタバレ注意、と書いた時

    海外SF小説の超絶傑作「死者の代弁者」について、今から全力でお勧めします
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2021/06/07
    しんざき氏が繰り返すならこちらも繰り返し書こう。「エンダーのゲームはオールタイムベスト常連なのも当然の傑作。そして死者の代弁者の前には、傑作エンダーのゲームすら良くできたプロローグでしかない」
  • 頭の良さで人をぶん殴っていた、ある同僚の話

    「間違った事をやった人をグーで殴ったら犯罪だけどさ、知識でもって他人を詰めたら、それは”正しさ”として処理されるのは何でなんだろう?」 かつてある人がこう言っていたのを聞いて、確かになぁと思った事がある。 知識の力で他人を殴る魅力に取り憑かれた人の話 以前、自分の同僚に非常に勤勉で情熱的な仕事をする人がいた。 その人は連日日夜、早朝から遅くまで働き、他を圧倒するパフォーマンスを出していた。 最初の頃はその人の仕事っぷりに尊敬の念を抱いていた。 だが、ある時、僕を含む様々な人に対して”正しい”知識でもって攻撃的な態度を示していたのをみて、ちょっとした違和感をおぼえるようになった。 その人の言っている事は、確かに科学的な意味において正しい。誤った事をしていたのは、その人の周囲の人だったのは、間違いなく事実ではある。 ただ…その正しさでもって他人を攻撃する様は暴力的であった。その人は僕を含む様々

    頭の良さで人をぶん殴っていた、ある同僚の話
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2020/12/07
    この気付きを一言で想起できるよう2500年前に孔子の弟子たちが「中庸こそ至善」とまとめたのが論語。己が理性を懐疑し、そういう風雪に耐えたミームを第一に信用しようとするのが保守主義(分類としての保守でなく思想)
  • 生きづらいのは「資本主義」や「自由主義」のせいなのか。

    つい先日、シロクマ先生からを頂いた。 タイトルは「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」。大変面白く読ませていただいた。Books&Appsの読者にはハマるのではないか。 の内容について、寄稿も頂いている。 ホワイトな勤務先・ホワイトな社会には、ホワイトな人間が求められる 記事では「ホワイトな社会は良いことづくめなのか?」という問題提起と、「ホワイトな人間でなければならない世の中は息苦しすぎてイヤだ」という主張が展開される。 先生の言う通り「素行の良い人々」で固められた世界に生きづらさを感じる方がいることは、私もよく分かる。 「明日は我が身」と考える先生の思惑も理解できる。 小学生の時「みんなに合わせなければならない」のが苦痛で、毎日小学校に行きたくなかった私は、規範に縛られる世界の堅苦しさも容易に想像がついた。 でも息苦しさは「資主義」のせいなのか? ただ、私が

    生きづらいのは「資本主義」や「自由主義」のせいなのか。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2020/06/26
    半世紀前にヴォネガットが看破し広めた筈の問題がこうして再発見されているのを見ると、原因を突止めても解決不可or世紀単位の時間をかけて改善するしかない問題かと。ちなヴォネガットの提唱した解決策は拡大大家族
  • 「健康は国民の義務」を描いたディストピアSF小説『ハーモニー』の話。

    新型コロナウイルス感染症がパンデミックとみなされるようになってからずっと、私は『ハーモニー』というSF小説のことを繰り返し思い出すようになった。 たぶん、『ハーモニー』を読んだことのある人はみんな、最近の世の流れから『ハーモニー』を連想せずにはいられないのではないかと思う。 そんなわけで、今日は『ハーモニー』の話をしてみたい。 パンデミック後の健康管理社会を描いたSF小説 『ハーモニー』はSF小説家の伊藤計劃が2008年に世に出した、パンデミック後の未来を描いた作品だ。 そこでは旧来の政府にかわって「生府」という組織が、健康や医療に重心を置いた施政を行っている。 「生府」は国民全員の体内にナノマシンを埋め込み、病気の兆候や不健康の兆候をたえずモニタリングしている。と同時に病気や不健康の兆候を見つけ次第、ナノマシンによって即座に治療をほどこす。 そうやって病気や不健康をすぐさま除去する『ハー

    「健康は国民の義務」を描いたディストピアSF小説『ハーモニー』の話。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2020/05/22
    ハーモニーの凄みは「リアルな健康管理ディストピアの見事な描写」すら「その先のビジョンを語るための効果的な舞台設定」でしかない点。SF小説の形式を取った思考拡張プラグインなので是非インストールしてほしい。
  • オースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」が超絶名作なので読んで欲しいという話

    そして、3人目がオースン・スコット・カード。 ただ、カードについては先の二人とはちょっと事情が異なっておりまして。 もちろん「無伴奏ソナタ」みたいな短編集や、「消えた少年たち」のような長編も面白いんですが、実のところしんざきが好きなカード小説は、ある一つのシリーズに偏っているのです。偏愛中の偏在です。 それは、「エンダーのゲーム」から始まる、いわゆる「エンダーシリーズ」。 その中でも特に二作目、「死者の代弁者」については名作中の名作と言ってしまってなんら過言ではない素晴らしい一作でして、SFとして読んでも、ミステリーとして読んでも、ヒューマンドラマとして読んでも、群像劇として読んでも、頭の先からつま先まで1ミリの隙もなく何から何まで面白いという傑作SFなのです。 正直「死者の代弁者」についてはどれほどハードルを上げても上げすぎということはないだろうと私は思っているのですが、しかしただ一つ注

    オースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」が超絶名作なので読んで欲しいという話
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2020/04/30
    SF警察です。しんざき氏を模範的SF市民と認定します。エンダーのゲームはオールタイムベスト常連もむべなるかな、の傑作です。そして死者の代弁者の前にはエンダーのゲームすら良くできたプロローグでしかありません
  • 高島屋の店長に話を聞いたら、地方で着々と「人口減少社会への適応」が進んでいて、驚いた。

    つい先日、高崎高島屋の中川徹社長に話を聞くため、群馬県の高崎市に行ってきた。 彼は中高の同級生で、再会するのは20年以上ぶりだ。 中川さんは、高崎に配属される以前は、神奈川県横浜市にある、港南台店の店長に店舗史上最年少で抜擢され、構造改革に力を尽くしてきた、やり手である。(参考:「港南台モデル」を 高島屋港南台店・最年少店長) 旧交を温める中で、仕事の話も出る。 そこで中川さんから、3つほど、面白い話を聞いた。 1.高崎高島屋は、7年連続増収 百貨店の不振が報じられることが多いが、高崎高島屋は「地方都市」という条件ながら、7年連続で増収だ。 「百貨店不振」の常識から外れている。 これは「高崎市」が北関東地区における企業の主要拠点になっており、特に活力がある場所だからだ。 数字で見る高崎の都市力2018(1)人口編 ここのところ高崎市の躍進がめざましい。「高崎市が全国から注目されるようになっ

    高島屋の店長に話を聞いたら、地方で着々と「人口減少社会への適応」が進んでいて、驚いた。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2019/07/05
    これを「人口減少への適応」とはいわない。人口微減レベルで/その地方密着なら、やりようはあるというだけ、人口減少地域や全国相手でやってる所、すなわち大半の産業には適応する術などない。絶望から目を逸らすな
  • 語彙力がとても重要なのは、検索が「知っていること」しか教えてくれないから。

    最近、テトリスが我が家ではブームになっています。 というのも、ニンテンドースイッチのオンラインサービスとして、『テトリス99』なる対戦テトリスゲームが遊べるようになったからです。 この対戦テトリスは合計99人で争われるバトルロワイヤル形式で、一見、とても難しそうにみえますが、最初はブロックの落下速度がゆっくりなので初心者でもそれなり遊べます。 上手な人同士が勝手に潰しあってくれたり、途中で嫌になってやめてくれる人もいるので、10位ぐらいまでならちょっと頑張れば入れるのではないかと思います。 ただ、残り10人ぐらいになるとさすがに難しいというか、ブロックの落下速度も速くなり、慣れやテクニックが求められてくるのですが。 でもって、子どもが「テトリスの良い動画が観たい」といってパソコンで動画検索をはじめていました。 さすがに今時の子どもというか、わからないことは文章で検索する前に動画検索で調べる

    語彙力がとても重要なのは、検索が「知っていること」しか教えてくれないから。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2019/03/11
    いやcider_kondo氏の方法論は人に勧めるべき王道の急がば回れ。imidasuに知らない記載がなくなって退屈になる辺りが学びの第一歩。今ならwikipediaでいい。但しリンクを踏むのはいいが興味ない項目も飛ばさず読み通すこと。
  • 「リスクゼロ以外、許容できない」という人たちに遭遇するけど、多分それは、みんな不幸になる考え方。

    今日書きたいことは、「世の中にはリスク管理の考え方が苦手な人が結構な数いて割と困る」という話です。よろしくお願いします。 「リスクアセスメント」って皆さん聞いたことありますか? なんかアセスメントっていうと小難しい感じの言葉になりますが、要はある物事についてのリスクの評価をする為の手順っていうかやり方みたいなもんでして、ざっくりと 「どんなリスクがあるかを考える」 「そのリスクの大きさや発生確率について考える」 「そのリスクに対してどう対応するか、あるいはしないかを考える」 というようなプロセスで進めるものなんです。 私が知っている限りだと、情報セキュリティマネジメントの一分野としてまとめられているものが一番分かりやすいです。 IPA(情報処理推進機構)のページで読めます。色々面白いです。 https://www.ipa.go.jp/security/manager/protect/pdc

    「リスクゼロ以外、許容できない」という人たちに遭遇するけど、多分それは、みんな不幸になる考え方。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2018/12/18
    リスクゼロ志向以前に、そもそもその問題の当事者かつ専門家でなければリスクとその回避コストを見積もれない。「リスクを許容せよ」以前に自分が門外漢である世の99%の出来事には沈黙するしかない事が理解されてない
  • 「最近の若いものは缶切り使えない」とお年寄りが言っていたけど、缶切り使うスキルって本当に必要?

    缶切り使うスキル別にいらねーかもな、と思ったんですよ。 いや、別に全然大した話ではないんです。ちょっとした話です。 町内会のお知り合いとお話をしていると、38歳の私が最年少という状況は別に全然珍しいものではなく、むしろすごく当たり前の風景です。38歳、62歳、68歳、74歳で平均年齢60.5歳カルテット、とかごく普通にあるわけです。偏差いくつだよっていう。 ただ私、お年寄りの話を聞くのはあんまり苦ではないというか、小学校の頃朝礼で校長先生の話聞くのとか割と好きだったっていうと変態扱いされたりすることもあるんですが、まあ2,30分くらいなら割と平気で世間話に付き合っちゃうわけです。 なので、お年寄りとの話題の引き出しは多い方だと自負しています。見てない大河ドラマの話についていくスキルもだいぶ高くなりました。 ただ、全体としては苦にならないといっても、やはり若干居心地が悪い瞬間というものはあり

    「最近の若いものは缶切り使えない」とお年寄りが言っていたけど、缶切り使うスキルって本当に必要?
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2017/11/27
    「必要スキルは変わる」はいいがそれは心配無用な話ではない。今の若者は50年前の若者より使えるスキルは増えてる。だが現代の必要スキルは激増した。80点→90点に伸びたのに今や合格点は200点で誰もがスキル不足な時代
  • 会話のうまい人とそうでない人の決定的な差がどこにあるか、ようやくわかった

    公私共に、会話のうまい人を、たくさん見てきた。会話はコミュニケーションの基礎であり、また終着点でもある。上手であることに越したことはない。 ではどうすれば、会話が上手い人、あの人と話すのが楽しいね、と言われる人になり得るのだろうか。 一説によれば「聞き上手となるべき」という人がいる。ウンウン、と相手の話をよく聞き、相手に気持ちよく喋ってもらうことに注力せよ、という。 しかし最近、それはどうも違う、と感じることもある。聞き上手であることは特定のシーンにおいては重要なのだが、必ずしもそうではない。 例えば私は普段「聞き上手」の人をあまり求めていない。 なにか観察されているのでは、と勘ぐってしまうからなのだが、むしろ話上手、と言われる人の方が与しやすく、会話も続くのだ。 また、世の中に散らばる「会話のしかた」は、いかにもマニュアル的で個別のシーンで使い勝手が悪い。だから最近まで私は「会話に王道な

    会話のうまい人とそうでない人の決定的な差がどこにあるか、ようやくわかった
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2016/12/22
    ちょっと待て。この程度は一対一ならお互いやってて当然であって、「会話が上手い」とはレベルや関心が一致しない複数人がいる場合に、いかにバランスを見極めて場を作れるか、とかその先のスキルの話じゃないのか?
  • 「ライトノベル」では読解力はトレーニング出来ないのだろうか。

    結論から先に書くと出来ます。(少なくともある段階までは) 先日、こんなTwitterまとめを読みました。 「ラノベを読んでも読解力は身につかない」について持論展開する人たち Twitterでの議論というものは、発言者の意図の内ごく一部を切り取るような構造になってしまっている為、このまとめを起点にして議論をするのはちょっと色々と難しいのですが。 ただ、「文章の読解力は電〇文庫を読んでいても全く向上しません。」「表現とか話の内容、展開とかがどう考えても頭よくなりそうにないんですよね。」というあたりについては、いやいやそれはちょっと乱暴なんじゃねえですかね、と思ったので若干のカウンターを試みてみます。 まず、「読解力」とか「読解力の向上」というのは、言ってみれば一種のマジックワードでして、ちゃんと定義を確認しないとまともな議論展開が出来ない類の言葉です。 「そもそも読解力って何よ?」という話をし

    「ライトノベル」では読解力はトレーニング出来ないのだろうか。
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2016/12/22
    大筋はおっしゃるとおり。ただライトノベルって電撃含め自分の知る限りまともな校正やって無い。もちろん一般小説でも校正ひどい所はあるがラノベに関しては集英社のコバルトが一応合格な程度で大半がひどいです…
  • 老人が尊敬される時代は終わった

    かつて、「老人は敬うもの」という価値観が日にはあった。いや、そういった価値観が残っている地域も残ってはいるけれども、老人への尊敬全般は目減りしているように思える。 “老人を敬う”という価値観が、前提ではなく限定へ、そして衰退へと向かっている背景にはどのようなものがあるのか?価値観の変容を促した要因にはどんなものがあるのか?この文章では、“老人が持つvalueの低下”という視点から、幾つかの要因を考えてみる。 老人一人あたりのvalueが低下している時代 私は人間にvalueという言葉をあてがう事には抵抗感があるが、かつて老人が尊敬されていた時代においては、老人は無条件に敬われる存在というより、共同体・家族などに大きな貢献をする存在とみなされていた。 キリスト教文化圏ではどうだか知らないが、儒教文化圏であれ、ポリネシア文化圏であれ、老人には老人ならではのvalueがあったし、平均寿命の短さ

    老人が尊敬される時代は終わった
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2016/12/08
    そうは言ってもまさにこの記事の通り老人のValue低下には合理的な裏付けがあるわけで価値観の変容は不可避。年を取る毎に自分が惨めな存在となる社会は基本的に不幸量産機だが、不可逆な以上諦めて受容するしかない。
  • 「問題文を読んでもそこに何が書かれているのかわからない」子を教えていた時のお話

    この記事を読んで、昔塾講師やら家庭教師やらを掛け持ちしていた頃のことを思い出しました。 AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか? これまでのところ、テストを受験した公立中学校生340人のうち、 約5割が、教科書の内容を読み取れておらず、 約2割は、基礎的な読解もできていない ことが明らかになってしまった。 以前Books&Appsさんに寄稿させて頂いた記事でも触れたんですが、塾講師を「出来る子をもっと伸ばす」人と「出来ない子をなるべく救い上げる」人に分けたとしたら、私はもっぱら後者でした。 で、私が塾講師をやっていた頃も、「問題文を読解する」という段階で苦戦する子は何人もいました。 手前みそですが、上記記事からの引用です。 塾講師時代、子どもの「勉強わからない」に対処するうちに学んだこと 国語で印象に残っているのは、「そもそも数行以上の文章を、意味を

    「問題文を読んでもそこに何が書かれているのかわからない」子を教えていた時のお話
    Shin-JPN
    Shin-JPN 2016/11/18
    結局のところ、ある程度抜本的に教育効果を高めようとしたら個別学習を徹底するしかないんだろう。初等教育予算を10倍にしなきゃならんが。