自分が嫌なことが実は相手の求めていたことだったり、 自分が良かれと思ったことが相手にとって物凄い辛いことだったりするかもしれないからです。 この言葉によって、多くのセクハラ・パワハラが生み出されてきたのではないでしょうか? 「彼/彼女が喜ぶと思って」「自分は嫌じゃない」という考えは想像力不足として批判されますが この相手の立場で考える想像力を失わせているのも、この言葉ではないでしょうか? ここまで考えて、子供にどう教えればいいのか悩んだのですが、代わりとなるような明快な一言は分かりませんでした。 「自分がされた嫌なことを相手にしてはいけない」という明快さが、この言葉を広めた大きな一因なのでしょうか。