タグ

印度と宗教に関するSriVidyutのブックマーク (47)

  • インドに今も残る恐ろしい慣習『女児殺し』 : 【2ch】コピペ情報局

    2012年02月13日00:38 海外ニュース 社会 コメント( 0 ) インドに今も残る恐ろしい慣習『女児殺し』 Tweet 1:七難八苦φ ★:2012/02/12(日) 15:00:12.03 ID:??? インド、女児殺しの慣習による危機 2012年02月11日 11:11 【2月11日 AFP】騒がしい22人の男子の中にいる唯1人の女子生徒。 パドマ・カンワール・バッティちゃん(15)は、ラジャスタン(Rajasthan)州ジャイサルメール(Jaisalmer)にある 人口2500人の村に両親と2人の兄と住む。 タール砂漠(Thar Desert)に囲まれたこの辺りは、インドの中でも男女比で圧倒的に女性が少ない地域のひとつだ。 「クラスには他に女子はいません。村にもほんの少ししかいません」。 それは何故なのかと尋ねると、パドマちゃんは社会科の教科書に目を落としなが

  • 《神秘の印度》・浪漫主義・宗教史

    @Rythir7 ラカンがドゥルーズの『意味の論理学』を褒めたのは、「経験論的因果律」の不完全性が論理的に要請せざるをえない「超越論的因果律」のダイナミズムが記述されており、「小文字の他者」と「出来事に内在する準ー原因」が、構造とふるまいの点においてアナロジカルだと看て取ったからでしょ 2010-11-02 04:28:32

    《神秘の印度》・浪漫主義・宗教史
  • インドのゴースト・ストーリー

    KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko 印度のゴースト・ストーリー希望です ぜひフィールドで採集をッ! GT @IkeruMuenbotoke: 姿かたちや性格が幽霊(bhuta)に近いヒンドゥー神。 @IkeruMuenbotoke あっ。なぜかそれが頭になかったです(笑)。カーリー(とシヴァ)の副神にあたるブートの存在を忘れてしまうなんて。これは僕の中の何かが・・・。 ともかく当に訊いてみます。@mittsko 印度のゴースト・ストーリー希望です ぜひフィールドで採集をッ! KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko よろしくですッ!印度幽霊は足首が逆向きについている、なんて話を聞いたこともありますし ゴースト・ストーリーは中華文明圏では盛んですが、ヒンドゥーとイスラームの土地では、どうなってるんでしょうかねぇ…? @IkeruMuenbotoke

    インドのゴースト・ストーリー
  • 般若心経が否定しなかった三十七菩提分法 - くまりんが見てた!Part III

    Buddhism | 23:47 | はじめに梅 −紅白− : Leica M6 + Elmarit M135mm F2.8 露光時間1/250sec. f/5.6 Kodak ULTRA COLOR 400UC 仏教はまた暫く書かないと宣言したはずだが id:ajita さんから2月10日の拙稿『初期大乗と小乗僧院の社会的活動との関係について』にトラックバックを戴き発信元である ajita さんのご論考『般若心経が否定しなかったもの』を拝見させていただいた。簡単なコメントのつもりで稿を書きだしたらコメントにしては長くなりすぎたので結局こちらのエントリにして仏教を語ることになってしまった。朝令暮改もまた縁起のなせる技なのかも知れぬ。わたしの「仏教を暫く書かない」は「サッティヤ」ではなかったのだ。ajita さんはその『般若心経が否定しなかったもの』で「通仏教」とは何かとあらためて考えはじ

  • 宗教学者近藤光博氏による宗教と戦争の諸ツイート。

    KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko まず確認です―― 「宗教紛争」と呼ばれるものは、大概かなり大規模な紛争です オウム事件も(その衝撃の大きさとは別に)規模だけで云えば、小さい方ですね だって、3カ月ぐらいで数千人が死んだりするわけですから、印度なんかだと 2010-12-07 03:22:13 KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko ここで考えるべきことがあります 現実に生じた「戦争」と呼ばれる大規模な武力衝突に、何か特定の接頭辞をつけることがあるでしょうか? 「民族戦争」とか「宗教戦争」とか…? なぜ、「宗教紛争」は「宗教」という接頭辞をつけて、それでよし としてしまうのでしょうか? 2010-12-07 03:24:11 KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko これとちょうどよく似ているのが、「民族紛争」です それが大規

    宗教学者近藤光博氏による宗教と戦争の諸ツイート。
  • したい - WikiDharma

    四諦 catvāri āryasatyāni、चत्वारि आर्यसत्यानि (S)、catu-sacca-dhamma,चतुसच्चधम्म (P) 四聖諦ともいわれる。聖諦とはサンスクリット語で「神聖なる真理」という意味である。パーリ語では「アリヤ・サッチャーニ」(ariya-saccāni)といわれる。 釈迦は成道の後、鹿野苑(ベナレス)において、初めて五比丘のために法を説かれた(初転法輪)。この時、釈迦はこの四諦を説かれたといわれ、四諦は仏陀の根教説であるといえる。 四つの真理とは、人生は苦であるという真理と、その苦の原因は人生の無常と人間の執着にあるという真理と、この苦を滅した境地が悟りであるという真理と、その悟りに到達する方法は八正道であるという真理との四であり、これを順次に苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦と呼ぶ。この四諦は仏陀が人間の苦を救うために説かれた教えで

  • せつしゅっせぶ - WikiDharma

    設出世部 Lokottaravādinaḥ 小乗20部の一つ。仏滅後200年に大衆部の中から分かれた。 一説部と混同されることがある。 この部の設の特徴は、世間の法は顛倒の惑業から生じる果であって、ことごとく仮名だけのものであり、実体があることはない、唯、出世の法は顛倒から起こるものではないので、道とその修行の果はすべて真実である、とする。 この設によって「設出世」と名づけている。 ブッダは真実には出世間なる性質。全知・無限の力、永遠の生命をそなえていると説いた。 また地上においてブッダがとった肉体的現れまたは行為は、いずれも単なるみせかけのもの、すなわち生き物を救うために演じられた幻影にすぎないという仮現論的教義をも説いた。 この学派の文献は「マハーヴァストゥ」と尼僧のための規則である「比丘尼律」を除いてほとんど現存しない。この学派のブッダ論の思想は、同様の大乗的概念の発展に影響した可能

  • きょうりょうぶ - WikiDharma

    経量部 Sautrāntika सौत्रान्तिक (skt.) 部派仏教の一派。経典を量(判断根拠)とする学派、という意味の名前である。部派の中でももっとも有力な説一切有部から仏滅後400年に分かれ、説一切有部が『発智論』などを中心とする論書を重視するのに対して、経典を重視する立場をとった。 紀元2世紀以降、クマーララータ(Kumāralāta 童受(どうじゅ))を祖とする説があるが、不明である。 説一切有部の説の幾つかを修正し、なかでも三世実有説に対して、現在有体・過未無体、つまり法は現在世のみ実在するという説などを主張した。4-5世紀の世親は、説一切有部によって『倶舎論』の偈を著し、のち経量部に移ってその注釈文にそれを反映させて、さらに大乗に転向し、唯識説を完成させたので、経量部は有部の批判者として、唯識説との近縁について、注目されている。 此師唯依レ経為2正量1。不レ依2律及対

  • せついっさいうぶ - WikiDharma

    説一切有部 小乗仏教の上座部から分派した一部派で、部派仏教のなかで最大勢力。サンスクリット語でサルバースティバーディン(Sarvāstivādin、सर्वास्तिवादिन्)といい、「有部」と略して呼ぶ。『異部宗輪論』によれば、成立は前2世紀の前半である。その後しばらくして迦多衍尼子(Kātyāyanīputra)が現れ『発智論』を著し、説一切有部の体系を大成したという。現在では、説一切有部の名の出る最古の碑文が1世紀初頭であることから、その成立はやや下って、前2世紀後半と考えられている。 三世実有説 説一切有部の基的立場は三世実有・法体恒有と古来いわれている。森羅万象を形成するための要素的存在として70ほどの法(ダルマ、dharma)を想定し、これらの法は過去・未来・現在の三世に常に実在するが、我々がそれらを経験・認識できるのは現在の一瞬間であるという。未来世の法が現在にあらわれ

  • ぶっだ - WikiDharma

    仏陀 ぶっだ、buddha 仏も参照。「佛陀」と書いていたが、略字と知られる「仏」を使って「仏陀」と表記されることが多い。 ( 「仏」は、唐以前でも、その使用が多くみられる ) 語義の変遷 仏陀とは、サンスクリット語の「buddha」の音写語である。この「buddha」は「知れる人」という意味であり、古代インドから「経験的に知る」ことをさす√budhという語根の動詞で示される。 また、「目覚めた人」という意味もあり、このように考えるときには、√budhを「眠りから目覚める」という意味でとる。この意味では、ジャイナ教でも仏陀という言葉を使っている。さらに発展させて「覚った人」というように理解され、「the enlightened one」と英訳され、漢訳でもしばしば「覚者」と訳されている。 仏教以前、さらに仏教の興起した時代における「さとり」については、特定の宗教に限定されるものではなかった

  • 説一切有部 - Wikipedia

    説一切有部の僧院、ガンダーラ遺跡タパ・シュトル寺院のアレキサンダー仏陀脇侍像 説一切有部(せついっさいうぶ、梵: Sarvāstivādin[1], 巴: Sabbatthivāda[1], Sabbatthavāda[1])は、部派仏教時代の部派の一つ[2]。略称は有部[3]。説因部[1](せついんぶ、梵: Hetuvādin[1])ともよばれる[1][2]。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという[2]。同じく上座部系とされる南伝の上座部大寺派と並んで、多くのアビダルマ文献が現存している[4]。 主体的な我(人我、アートマン)は空だが、現象世界を構成する要素(法、ダルマ)は三世に渡って実在するとした[2]。説一切有部は大衆部や経量部と対立し、大乗仏教からも批判されたが、大きな勢力を保った[2]。 Sarvāstivādaとは、サンスクリ

    説一切有部 - Wikipedia
  • 法 (仏教) - Wikipedia

    仏教における法(ほう、梵: dharma、巴: dhamma)とは、法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。 ダルマは「たもつ」「支持する」などの意味をもつ動詞 (dhṛ) からつくられた名詞であり、漢訳仏典では音写されて達磨(だつま)、達摩(だつま)、曇摩(どんま)、曇無(どんむ)などとなり、通常は「法」と訳されている。また、「存在」を意味する男性名詞「梵: bhāva」が、玄奘により法(『阿毘達磨倶舎論』)と、真諦により法有(『阿毘達磨倶舎釈論』)と、それぞれ訳されていた[1]。 また、この世に存在する有形・無形のすべての存在を一切法(諸法)と

    法 (仏教) - Wikipedia
  • 部派仏教 - Wikipedia

    部派仏教(ぶはぶっきょう、英: Early Buddhist schools[1])とは、釈尊の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団が分裂して成立した諸派の仏教[2]。アビダルマ仏教ともいう[2]。部派(ぶは)とはパーリ語のNikāya(ニカーヤ)に由来し、原義では集団を意味する[3]。仏教においては戒や仏典の伝承系統によって分岐した、出家者の集団を指す[3]。 紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根分裂)したのち、この2部派がさらに分裂して行った[2]。各部派は、釈尊が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した[2]。部派仏教は、釈尊と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる[2]。のちに興った大乗仏教はこれらの部派仏教を小乗仏教と貶称した[2]。 部派仏教は、欧米では Ea

  • 大衆部 - Wikipedia

    大衆部(だいしゅぶ、巴: Mahāsaṃgītika[1], マハーサンギーティカ, 梵: महासांघिक, Mahāsāṃghika, マハーサーンギカ)は、古代インド仏教の部派の1つ。音訳して摩訶僧祇部(まかそうぎぶ)とも呼ばれる。 釈迦の没後100年ほど後、十事の非法・大天の五事などの「律」の解釈で意見が対立し、教団は上座部と大衆部とに根分裂した(部派仏教時代)。 その後、それぞれの教団はさらに枝末分裂を繰り返し、大衆部からは下記のグループなどに分裂した。 一説部(いっせつぶ) 説出世部(せつしゅっせぶ) 鶏胤部(けいいんぶ) 多聞部(たもんぶ) 説仮部(せっけぶ) 制多山部(せいたせんぶ) 大衆部系は主として中インドから南インドに広まり、概して勢力は小さかった。大衆部は説一切有部から分裂した経量部(きょうりょうぶ)と共に「現在有体・過未無体」を主張し、説一切有部の「三世実有・

  • 上座部 - Wikipedia

    教団は更に枝末分裂を繰り返した[1]。 上座部系の代表的な部派は、 説一切有部 (せついっさいうぶ) - 北部および中央インドで最大であった[5]。 根説一切有部 (こんぽんせついっさいうぶ) 経量部(きょうりょうぶ) 化地部(けじぶ) 法蔵部(ほうぞうぶ) 犢子部(とくしぶ) 正量部(しょうりょうぶ) などである[6][7]。 ほかに、 上座部[8](じょうざぶ) - いくつかの北伝の唯識仏典[注 1]は、有分識(梵: bhavāṅga-vijñāna[11][9][注 2]、蔵: srid pa'i yan lag gi rnam par shes pa[11])を説く部派として上座部を挙げている[13][10][注 3]。この部派は義浄の時代には南インドで最大であった[5]。 飲光部(おんこうぶ) などの部派がある。

  • スッタニパータはアートマンを説く反仏教!

    2004年5月10日 <背景説明> この小論は、もともとは、木村清一さんという方の「アートマンとブラフマンは一致する」(04,4,9,)という御意見についてのやりとりに、後から加筆した部分だった。今、松史朗「仏教思想論 上」を読んでいるのだが、その一部を要約して付加したいと思うので、この際、小論集に移すことにした。 以下の思考錯誤の発端は、木村さんへのメールで、私が岩波文庫「ブッダの言葉」から無我を説いていると思われる部分を抜き出したことから始まっている。 ・・・・・・・・・・ 【 2004,4,22, 加筆 】 <まずいものを再発見> 超越的源を想定し、我々は皆それを分有しているという考え(その元が「梵我一如」)は仏教ではない、という小論を書こうと思い、松史朗「縁起と空」大蔵出版を読み返していたら、まずいものを再発見してしまった。「第五章 解脱と涅槃-この非仏教的なるもの」で

  • Monier-Williams Sanskrit-English Dictionary

    Important Notice: The files provided here are strictly for scholarly reference purposes. Any commercial use is explicitly excluded. The Copyright remains with the University of Cologne (Universität zu Köln).

  • http://www015.upp.so-net.ne.jp/sanskrit/agnisala.htm

  • Index 2

  • http://blog.livedoor.jp/iwatakanou/archives/64688779.html