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戦争と歴史に関するStack-O-Tracksのブックマーク (5)

  • 米軍基地は「ふるさと」 かつての敵国の職場で50年間働いた男性がつなぐ記憶 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

    米軍基地はふるさと――。戦後、べるために米軍基地で働き始め、施設も含めて約半世紀の間、「米軍一筋」で働いた神奈川県相模原市の山岸恒雄さん(94)はそう振り返る。海軍に所属していた山岸さんが身を置いたかつての敵国の職場は、貧しかった生活から抜け出させてくれたが、傷ついた兵士の姿も目の当たりにした。今年は戦後78年。あの頃を伝える風景は大きく変わるなか、米軍基地が山岸さんの記憶をつないでいる。 【写真】米軍の病院内の堂で働いていた頃の山岸さん。「働き者バニー」と呼ばれた 東京・浅草で生まれた山岸さんは姉が2人おり、早くに父を病気で亡くした。母の再婚で別の場所に引っ越したが、義父との折り合いが悪く、約5年後には神田に住む長姉の家へと身を寄せるなど、東京を転々とする生活だった。 しかし、長姉にも家族がいる。海軍の募集を知ると、「もう他に行くところはない。これはチャンスだ」と長姉には告げず志願し

    米軍基地は「ふるさと」 かつての敵国の職場で50年間働いた男性がつなぐ記憶 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
  • 「ピョートル大帝」を夢見て戦い続けるプーチン大統領の「憎悪の対象」(篠田 英朗) @moneygendai

    ロシアのプーチン大統領の自らをピョートル大帝に模した発言が話題だ。6月12日の「ロシアの日」の演説で、ロシアの大国化を進めたピョートル大帝にふれ、「軍事的勝利が重要」と訴えた。それ以前にも、ピョートル大帝のように「領土を奪還し、強固にすることは我々の任務だ」と述べていた。 ピョートル大帝といえば、17世紀末から18世紀初頭に、長期にわたる戦争を主導して、ロシアの領地を大幅に拡大した人物である。バルト海へのアクセスを求めて、スウェーデンとの間で大北方戦争を行った。現在のウクライナ領に面した黒海の内海であるアゾフ海に最初にロシア軍を進めたのも、ピョートル大帝だ。 プーチン大統領の拡張主義の野心は、特に最近になって生まれたものではない。ロシアウクライナ戦争の最中なので、ニュースになっただけだろう。もっとも、「悪いのはNATOを拡大させてロシアを追い詰めたアメリカだ」、とプーチン大統領を擁護し続

    「ピョートル大帝」を夢見て戦い続けるプーチン大統領の「憎悪の対象」(篠田 英朗) @moneygendai
  • 人間爆弾・桜花を発案した男の「あまりに過酷なその後の人生」(神立 尚紀) @gendai_biz

    「桜花」――まもなく満開となる桜のことではない。戦時中の日軍の非常さを象徴する、生還不能の特攻兵器につけられた名である。大型爆弾に操縦席と翼、ロケットをつけ、母機から放された瞬間に搭乗員の死が約束されるこの兵器は、敵の米軍にとって理解不能だったようで、彼らは「Baka Bomb(馬鹿爆弾)」と呼んでいた。 この兵器を発案した男は、終戦直後に死亡したとされたが、生存説もささやかれ、長らくその消息は謎に包まれていた。だが、5年前、遺族から神立さんへ一報があり、戦後、別人として生きてきた詳細な軌跡が判明する。 「特攻兵器『桜花』の生みの親」という過去を消し去って生きた男は、どのような後半生を送っていたのか? 特攻兵器「桜花」の初陣は全機撃墜された いまから74年前、昭和20(1945)年3月21日午前11時20分。鹿児島県の鹿屋海軍航空基地から、「神雷(じんらい)部隊」の異名をもつ第七二一海軍

    人間爆弾・桜花を発案した男の「あまりに過酷なその後の人生」(神立 尚紀) @gendai_biz
  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

    天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く
  • フランスから見た第二次世界大戦を、三十年戦争までさかのぼってみる | Drupal.cre.jp

    NHK-BSで放映された(未見)、シリーズ戦争と平和 よみがえる第二次世界大戦~カラー化された白黒フィルム~ をネタにしたチャットでの四方山話で、次のネタがでている。 ENOKINO フランスの視点から見た第二次世界大戦というのは、第一次世界大戦からの、というか、その前の普仏戦争当たりからの流れを知らないと なるほど。では、フランスから見た第二次世界大戦を、三十年戦争までさかのぼってみよう。 フランス視点での第二次世界大戦というのは、どう見てもぱっとしない。 負け戦という点では、イタリアもそうだ。日ドイツも最後はボロ雑巾のようになって無条件降伏だ。ドイツは首都のベルリンがソ連に占領されて廃墟になるまで戦い、日土爆撃で都市を焼け野原にされ、ソ連がついに牙をむき、おまけに広島と長崎に原爆を投下されるまで粘り続けた。 しかし、フランスはボロ雑巾のようになる機会すらなかった。 あか

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