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量子論と仏教に関するStatPhysのブックマーク (2)

  • 『仏教と量子力学をこじつける前に(科学と仏教の接点・第7回)』

    東京禅センター主催、花園大学・佐々木閑教授プレゼンツのセミナー 「科学と仏教の接点」第7回に行ってきた。 毎回、いろいろな科学分野の先生をゲストに招いてお話を聞くのだが、 今回のゲストは東工大・理学部物理学科の細谷暁夫教授。 ついに出たっ「量子力学」である。 というのは、「量子力学と仏教は似ている」という論調が一時期はやって、 量子力学によって仏教の正しさが証明された、ぐらいの勢いの人もいて、 個人的には、なんだか眉唾な論調だなあ、と思っていたのだった。 仏教だけでなく、老子関係の人からオカルトの人まで、 量子力学で「我が意を得たり」と盛り上がったようである。 でも、このセミナーは、そういう話ではない。 世界に対するさまざまな見方を知ることで、 私たちの”常識(または迷妄)フィルター”をいっぺん解除してみよう、 というストイックな態度で、9割は科学の話で終わる。 何年か前に、NHKで般若心

    『仏教と量子力学をこじつける前に(科学と仏教の接点・第7回)』
  • 仏教と量子力学 - Aquarian's Memorandum

    今さらという気もするのだが、現代科学技術の基理論である量子力学と、仏教の基的考え方に親和性があるという言説が一部で行われている。私はこのような主張をすることに疑問を感じてきた。まず、科学は科学、宗教あるいは宗教思想はそれ、それぞれの目的も方法も違う。無理にこじつけない方がいい、と思う。また仏教者が重視する量子論の意味合いと、科学技術の現場での量子理論の使い方、それは意味を棚上げして道具として使うということだが、その間に大きなずれがあることを指摘したい。 まず、仏教者が、どんなことを言っているか。一例を挙げると、玄侑宗久「現代語訳・般若心経」(筑摩新書、2006)では、しきりに量子力学の解釈が引用されている。一箇所を引いてみるとこうだ。 量子力学では物質の、ミクロの様態を、「粒子であり、また波である」とします。測定の仕方でどちらの結果も得られるというわけですが、端的に、それが「色」と「空

    仏教と量子力学 - Aquarian's Memorandum
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