<moku−go> アーミテージ元米国務副長官は、日本では「アメリカのアーさん」で通用するほど有名な知日派である。最近、ナイ元国防次官補と共同で「第3次アーミテージ・ナイ報告」をまとめた。そのなかで、米国は日韓関係の修復を仲介すべきだと提言している。とても韓国寄りの内容だ。アーさん、どうしたのか。 日経新聞の春原剛編集委員がアーミテージ氏にインタビューした記事がわかりやすい(8月25日付「日経」朝刊)。 韓国の李明博(イミョンバク)大統領が竹島に上陸したのは日本の「従軍慰安婦問題」の対応に不満があったから。そこで、この問題を解決するため日米韓3カ国の有識者で非政府間会合を積み重ね、その後、政府関係者を交えた準政府間会合に格上げするという。 日韓は歴史教科書問題で専門家の対話を試みたが、大きな成果はなかった。だが第三国の米国が加われば、議論がまとまるかもしれない。それには米国の中立性が前提だ
【ソウル澤田克己】韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領による竹島上陸(8月10日)に端を発する日韓関係悪化が、両国間の懸案である従軍慰安婦問題にまで飛び火している。李大統領の言動に反発した日本の政治家が、慰安婦問題で韓国側の反発を呼ぶ発言をし、韓国側の対応がさらにエスカレートしており、専門家の間には双方に自制を求める声も出ている。 李大統領は8月13日、竹島に行った理由と関連して「日本が内政的理由で(慰安婦問題に)消極的な態度を見せているので、行動で見せる必要を感じた」と述べた。ただ、この時点では、慰安婦問題が焦点となる気配は大きくなかった。 流れが変わったのは、韓国でも知名度が上昇している橋下徹大阪市長が21日、慰安婦の強制連行はなかったとして「証拠があったというのであれば韓国の皆さんに出してもらいたい」と述べたことだ。橋下氏は24日には、慰安婦の募集や移送などに強制性があったことを認め
<kin−gon> 竹島(韓国名・独島)問題での韓国に対する鬱屈した思いもあってか、一部の政治家から旧日本軍の従軍慰安婦問題について1993年の河野洋平官房長官談話を見直すべきだとの意見が出ている。しかし慰安婦問題で韓国との対立をこれ以上深めるべきでない。竹島問題で日本の主張の正当性を弱めかねない。 慰安婦問題について宮沢喜一内閣の官房長官談話は「総じて本人たちの意思に反し」「女性の名誉と尊厳を著しく傷つけた」として強制性を認め、「心からのおわびと反省の気持ち」を表明した。 安倍晋三元首相は28日、この談話を見直す必要があると述べた。松原仁国家公安委員長も閣僚間での見直し議論を提起する考えを示した。 保守系の政治家の間には「これまで韓国には一定の配慮をしてきた。なのに韓国大統領は竹島に上陸した。配慮はもう不要だ」との思いがある。それが今回の竹島問題の発端となった慰安婦問題に向けられている。
野田佳彦首相は24日夜、首相官邸で記者会見し、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸や、香港の活動家らの尖閣諸島への不法上陸事件について「誠に遺憾のきわみで、看過できない。毅然(きぜん)とした態度で冷静沈着に、不退転の覚悟で臨む」と強調した。また「いたずらに事態がエスカレートすることは、いずれの国の利益にもならない」と述べ、中韓両国に冷静な対応を求めた。 首相は竹島について韓国が戦後に「力をもって不法占拠した。歴史認識の文脈で論じる問題ではない」と批判。国際司法裁判所への共同提訴に応じるよう韓国側に求めた。 尖閣諸島に関しては「領有権の問題は存在しない。不法上陸を繰り返させないため、政府の総力を挙げて情報収集や警戒監視に当たる」と述べた。【松尾良】
従軍慰安婦問題について、大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長は24日、慰安婦の募集や移送などに強制性があったことを認めた93年の河野洋平官房長官(当時)の談話を「日韓関係をこじらせている元凶」と批判した。一方で、07年に安倍晋三内閣が強制連行の証拠はないと閣議決定をしたことを評価し、「河野談話は見直すべきだ」と述べた。 河野談話は慰安婦について旧日本軍の関与を認めた上で、「募集、移送、管理なども、甘言、強圧によるなど総じて本人たちの意思に反して行われた」として、「おわびと反省」を表明した。 橋下市長は「証拠がないのに、強制性があったと受けとられるような談話を出したのは大失態」と批判。また、慰安所の存在については「現代社会でも性を商売とする風俗業がある」として、一定程度は許容されるとの見解を示した。 橋下市長は21日にも「(強制連行の証拠があるなら)韓国の皆さんに出してもらいたい」などと述べて
国策により1932〜45年に日本の民間人約27万人が旧満州国(現中国東北部)に送り出された「満蒙(まんもう)開拓団」のうち、東京から出発した約1万1000人の全体像を市民団体が解明した。開拓民の多くは地方の貧しい農山村から出発したとされるが、首都・東京からも失業者や仕事が減った商工業者、空襲で家を失った人たちが「にわか農民」として送り出されていた。都市住民の「棄民」とも言える国策の実態が戦後67年を経て判明した。 東京発の満蒙開拓団の存在を知った大田区の元会社員、今井英男さん(67)が07年、仲間に呼び掛けて「東京の満蒙開拓団を知る会」を作り、調査を始めた。5年かけて公文書や新聞・雑誌記事を収集し、経験者十数人から証言を得た。
ソウルの日本大使館前に設置された元従軍慰安婦を象徴する「平和の碑」=2011年12月14日、澤田克己撮影 【ソウル西脇真一】旧日本軍のいわゆる元従軍慰安婦を支援する韓国の市民団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」が14日、ソウルの日本大使館前で、元慰安婦の少女時代を示すブロンズ像「平和の碑」を設置した。14日昼に除幕式を行う。日本政府は公館の尊厳を傷つけ、日韓関係に悪影響を及ぼしかねないとして韓国政府に中止を求めたが、韓国政府は関与できる問題ではないとして黙認した。 支援団体がソウルの日本大使館前で毎週水曜日に開いてきた「水曜デモ」の集会が14日、通算1000回目を迎えるのを記念して設置。水曜デモは92年1月から始まり、日本政府に公式謝罪や法的賠償などを求めている。 「平和の碑」はブロンズ製で高さ約120センチ。支援団体は慰安婦問題の象徴と説明している。大使館と道路を挟んだ歩道に設置
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く