2009年7月24日のブックマーク (3件)

  • 通知

    援発第3025号 昭和31年4月19日 厚生省引揚援護局長 靖国神社合祀事務に対する協力について 標記について、別冊「靖国神社合祀事務協力要綱」及び「昭和31年度における旧陸軍関係靖国神社合祀事務に協力するための都道府県事務要領」により処理せられたく通知します。 通知先  都道府県 写   復員連絡局 同支部 靖国神社 援発3025号別冊第1 靖国神社合祀事務協力要綱 (事務協力についての基理念) 一 復員業務関係諸機関は、法令に基づくその来の事務の限界において、かつ、なし得る限り好意的な配慮をもって、靖国神社(以下神社という。)合祀事務の推進に協力する。 (事務処理の時期的基準) 二 協力事務の処理にあたっては、今次戦争戦没者の大部の合祀が、昭和三十一年度以降、概ね、三年間に了るべきことを基準とする。 (協力事務の内容) 三 協力事務の主体は、戦没者の身上事項の調査に関する事務とする

    Sucker
    Sucker 2009/07/24
    昭和三十一年。
  • 辻潤 - Wikipedia

    辻 潤(つじ じゅん、1884年〈明治17年〉10月4日 - 1944年〈昭和19年〉11月24日)は、日の翻訳家、作家、思想家。 日におけるダダイスムの中心的人物として世に知られ、ダダイスト、エッセイスト、劇作家、詩人、哲学者、僧侶(虚無僧)、尺八奏者、俳優とも評される。「1920年代という日史の中で物議を醸す時代、作家にとって危険な言論統制の時期に、検閲や警察のハラスメントを経験し乍ら幅広く執筆翻訳した。現代日歴史的人物の中で最も興味深い人物」として現在も時代や国境を越えて注目、評価される。第二次世界大戦中の東京新宿に於いて、1944年(昭和19年)自宅アパートの一室で死亡しているのが見つかる。警察医は死因を狭心症として処理、餓死と言われる。長男辻一(まこと)画家・詩人、次男流二(後に養子、若松流二となる)。第二子誕生後に母親の伊藤野江と入籍。 生涯[編集] 1884年(明治

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  • 何かを受信 - Siesta - はてなハイク

    Sucker
    Sucker 2009/07/24
    "「おまえの苦しみはおれの苦しみ、おれの苦しみもおれの苦しみ」""「おまえの責任はおれの責任、おれの責任もおれの責任」 ""「おまえの闘いはおれの闘い、おれの闘いもおれの闘い」"