はじめのはじめに これから書かれることの結語としては、「結果として、他者というものは、不幸のもとでもあり、幸福のもとでもあるという認識だろう」という、極めて常識的なことしか述べていない。また、多くの点を大澤真幸が書いた新書『不可能性の時代』に書かれていることであり、またもう一つとして笠井潔の『テロルの現象学』を補助線に引いている。その延長上でしかない。もししっかりとした論考を読むならばこちらをお薦めする。それでも、読まれる方がいるならば、先に進んでほしい。 なお、この文章は今なお虚構の檻の中で叫ばざるを得ないK氏、および虚構性に対抗して傷ついた多くの人々に捧げられる。彼らがいなければ、この文章は書かれなかっただろう。はじめに 二〇〇七年から二〇〇八年にかけて、僕はヒッチハイクを繰り返しながら、ネットで行われる様々な事件には無頓着で、改めて実家に帰ってきて、ネット環境が整い、日々の雑務をこな