週刊ダイヤモンド編集部 【第75回】 2009年06月17日 社員用の託児所設立が参入のきっかけ 利用者無視の日本の保育事業を改革する JPホールディングス社長 山口 洋 大学在学中、山口洋はアルバイトで生活費を補いつつ法学の勉強に没頭した。朝はビラ配りのアルバイト、昼から夜10時前まで勉強という生活を続けた。大学院に進もうと考えていたのだが、アルバイトなしでは生活できない経済状態では無理と諦め、1985年証券会社に就職。バブル全盛時に法人営業を担当した。 実績も上げ、仕事は楽しかった。しかし、バブル崩壊が山口の転機となる。株価暴落で顧客とのトラブルが増え、部下の仕事の責任を背負うタイプの上司は出世コースからはずれ、顧客の利益を無視し、会社の利益を優先する人物が出世し始めた。自分にはそんなことはできない、サラリーマンを続けるのは無理だと山口は考え、起業するしかないと腹を固めた。92年