そもそも、「書かれるべき」というのが、単なるぼくのエゴでしかない。 偉そうに上段から構えてペダンティックにものを言うよりも冗談で笑わせるほうが、説得力があるように感じる。興味のないことについて長々と論じても、誰も読んでくれない。ぼくは斎藤環や東浩紀の論説を支持するのだが、これが一般的に広まらないのは、そこに笑いの要素がないからなのかなあ、なんて感じる。ブログに熱心なひとたちは、評論などの本を熱心に読む。だけど、一般的なひとたちは、そんな本など読まないし、そのような、評論のにおいが強いブログなど、読まない。そして、閉鎖された村内で「アルファブロガー」なんていう、くだらない優劣が生まれ、ますますブログ(評論界隈)は閉鎖的になっていく。 これまで人類は、論ではなく「なんとなく」生きながらえてきたのだし、なるようにしかならない。おたくや非モテが今後どうなるのか、淘汰され絶滅するのかは、ぼくが決めら