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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (9)

  • 牧野富太郎 植物一日一題

    ジャガタライモ、すなわちジャガイモ(Solanum tuberosum L.)を馬鈴薯ではないと明瞭に理解している人は極めて小数で、大抵の人、否な一流の学者でさえも馬鈴薯をジャガイモだと思っているのが普通であるから、この馬鈴薯の文字が都鄙を通じて氾濫している。が、しかしジャガイモに馬鈴薯の文字を用うるのは大変な間違いで、ジャガイモは断じて馬鈴薯そのものではないことは最も明白かつ確乎たる事実である。こんな間違った名を日常平気で使っているのはおろかな話で、これこそ日文化の恥辱でなくてなんであろう。 昔といっても文化五年(1808)の徳川時代に小野蘭山(おのらんざん)という草学者がいて、ジャガタライモを馬鈴薯であるといいはじめてから以来、今日にいたるまでほとんど誰もこれを否定する者がなく、ジャガタライモは馬鈴薯、馬鈴薯はジャガタライモだとしてこれを口にし、また書物や雑誌などに書き、これをそう

  • 芥川龍之介 恋愛と夫婦愛とを混同しては不可ぬ

    媒酌結婚で結構です 媒酌結婚と自由結婚との得失といふことは、結局、この二種の結婚様式が結婚後の生活の上に、如何なる幸福を導き出し、如何なる不幸を齎(もたら)すかといふことのやうに解せられる。併(しか)し結婚生活の幸福とは果して如何なることを意味するであらうか、それも考へなければならぬ。太く短く楽しむのか、細く長く楽しむのか、それとも又た夫婦間に衝突のある生活なのか、俄(には)かに決定することの出来ない問題である。又た恋愛といふもの、昔の人達の考へたやうな清浄高潔な恋愛といふものが、世の中にあるだらうか否かといふことについても、私は疑ひを懐いてゐるものである。 実際に於て、さういふ生活があり得るか否かは別問題として、一般の人たちが考へるやうに、太く長く且(か)つ平和に楽しめる夫婦生活といふものを、理想とし幸福として考へるならば、聡明な男女には自由結婚が適して居り、聡明でない男女には媒酌結婚

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2010/01/09
    芥川の意見("私は愛の恒久性や純潔さを疑ふ。愛の変化消滅といふことについては厭世的である。恋愛の陶酔といふものが永続するとは考へられない"
  • 魯迅 井上紅梅訳 故郷

    わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中(さなか)で故郷に近づくに従って天気は小闇(おぐら)くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村(あれむら)があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。 おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。 わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳(よ)いところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省は

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/08/11
    (むかし国語の授業で読んだのと訳が違う…
  • エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe 佐々木直次郎訳 モルグ街の殺人事件 THE MURDERS IN THE RUE MORGUE

    サイレーンがどんな歌を歌ったか、またアキリースが女たちの間に身を隠したときどんな名を名のったかは、難問ではあるが、みなみな推量しかねることではない。 [#改ページ] 分析的なものとして論じられている精神の諸作用は、実は、ほとんど分析を許さぬものなのである。ただ結果から見て、それらを感知するにすぎない。そのなかでもわかっていることは、精神の諸作用を過分に身につけている人にとっては、これこそなによりも生き生きとした楽しみの源泉である、ということだ。ちょうど、強健な人が筋肉を働かせる運動を喜んで自分の肉体的能力を誇るのと同じように、分析家はものごとを解き明かす知的活動に熱中する。彼は、この才能を発揮できることなら、どんなつまらない仕事でも楽しんでやるのだ。彼は、謎(なぞ)や、難問や、象形文字が好きで、凡人の理解力では超自然とも見えるほどの明敏さで、それらを解き明かす。しかも、彼がありとあらゆる方

  • 萩原朔太郎 純情小曲集

    萩原の今ゐる二階家から郷動坂あたりの町家の屋根が見え、木立を透いて赤い色の三角形の支那風な旗が、いつも行くごとに閃めいて見えた。このごろ木立の若葉が茂り合つたので風でも吹いて樹や莖が動かないとその赤色の旗が見られなかつた。 「惜しいことをしたね。」 しかし萩原はわたしのこの言葉にも例によつて無關心な顏貌をした。 或る朝、萩原は一帖の原稿紙をわたしに見せてくれた。いまから十三四年前に始めてわたしが萩原の詩をよんだときの、その原稿の綴りであつた。わたしは讀み終へてから何か言はうとしたが、それよりもわたしが受けた感銘はかなりに纖く鋭どかつたので、もう一度默つて原稿を繰りかへして讀んで見た。そしてやはり頭につうんと來る感銘が深かつた。いいフイルムを見たときにつうんとくる涙つぽい種類の快よさであつた。わたしはすぐ自分のむかしの詩を思ひ返して、萩原もいい詩をかいて永い間世に出さなかつたものだと、無關

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/10/21
    萩原朔太郎「こころ」所収
  • 青空文庫 : 作家別作品リスト : 寺田 寅彦

    地球物理学者。漱石の門下生でもあり、吉村冬彦の筆名で作品を書いた。数多くの随筆があり、いまでも多数の読者に愛読されている。 「寺田寅彦」 公開中の作品 アインシュタイン (新字新仮名、作品ID:43074) アインシュタインの教育観 (新字新仮名、作品ID:43075) 赤 (新字新仮名、作品ID:60972) 秋の歌 (新字新仮名、作品ID:24389) 浅草紙 (新字新仮名、作品ID:42218) 浅間山麓より (新字新仮名、作品ID:42255) あひると猿 (新字新仮名、作品ID:2341) 天河と星の数 (新字新仮名、作品ID:60973) 雨の上高地 (新字旧仮名、作品ID:4625) 雨の上高地 (新字新仮名、作品ID:49596) 嵐 (新字新仮名、作品ID:24390) ある幻想曲の序 (新字新仮名、作品ID:24391) ある探偵事件 (新字新仮名、作品ID:42160

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/08/15
    寺田寅彦随筆(青空文庫)
  • 寺田寅彦 科学者とあたま

    私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。 「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧(あいまい)不鮮明から生まれることはもちろんである。 論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密(ちみつ)な頭脳を要する。紛糾した可能性の岐路に立ったときに、

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/08/15
    "つまり、〔科学者は〕頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。"
  • 著作権の消滅した作家名一覧 : 青空文庫

    ここでは、青空文庫で作業対象となる、著作権の消滅した作家名の一部を、簡易的な一覧にしています。 このリストになければ、その作家の著作権はまだ切れていないおそれがありますが、この資料はあくまで目安であって、情報を網羅しているわけでも、完璧なものでもありません。このリストにない作家でも、青空文庫の「登録全作家インデックス」に記載されている場合があります。また情報の確認には、各種事典や Web NDL Authorities のほか、Wikipedia なども参照してください。 また、作業したい作品が着手されていないか、「作業中の作品」も必ず確認してください。 【あ】 会津八一(1881年8月1日~1956年11月21日) 饗庭篁村 あえば・こうそん(1855年8月15日~1922年6月20日) 青木月斗 あおき・げっと(1879年11月20日~1949年3月17日) 青木健作(1883年~19

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/07/24
    死後50年以上経過した作家一覧(そのうち無効にされるかも知れんな
  • 中島敦 山月記

    隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。李徴は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。この頃(ころ)からその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい)として、曾(かつ)て進士に登

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