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ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (9)

  • 平成の米騒動について - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    トンガの火山大爆発は、ほんとにすさまじい。被害の様子もまだよくわからないというのが、不気味だ。現地の人々の無事を祈るとして、ここにきて何やら話題になっているのがいわゆる平成の米騒動、1993年の冷害による不作に端を発した米不足だ。なぜなら、この不作が1991年のピナツボ火山大爆発の影響であることはほぼ間違いないので、「火山の大爆発→寒冷化→米不足」と連想が及んだのだろう。 農業は自然に依存するから、今回の大爆発でも農業への影響は避けられない。けれど、1993年のような米不足が再来するかといえば、それはないだろう。未来のことだから断言することはできないけれど、少なくとも物理的には米の供給不足が発生するとは考えにくい。 なによりも、1993年から94年にかけての騒動は、いい教訓になった。米は蓄えておくものだという農家伝来の常識が改めて見直されるようになったわけだ。あの騒動の頃でさえ、「ウチは農

    平成の米騒動について - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2022/01/18
    よく半導体のことを「産業のコメ」なんて言ったりするが、昨今の半導体不足とか考えると、歴史は繰り返すのだなと思う。
  • 「有機農業」についての7つのよくある勘違い - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    はじめに 現実がどうかとかいうことはさておいて、理念として有機農業に一定の価値があることはいまさらどうこういう必要のないことだと思っていた。小学校の教科書にさえ有機農業や無農薬、省農薬の概念が記載されるようになって久しい。世の中の全員が認めるものでなくとも、大多数の人はその価値を認めているものだと思っていた。ちょうど、「暴力はいけない」という考え方が大多数の人に共有されているのと同じ程度のものだと思っていた。ちなみに、世の中には「いや、暴力(と当人はいわないけれど、物理的な力)こそが重要だ」みたいな価値観の人は一定数いるし、「暴力はいけない」という理念を正しいと認めていても「とはいえ現実にはそういうのが必要になる」と考えている人も少なくないだろう。「非暴力」はキレイゴトであるのかもしれない。有機農業も同じようなもので、理念としてはわかるけど、「現実には無理だよ」「現実はそうなってないじゃな

    「有機農業」についての7つのよくある勘違い - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2021/12/08
    何じゃこりゃ。根拠や文献のない妄想「充填された語」「論点先取」等々詭弁を多用し「誤解を解く」と言って印象操作し誤解に導く。歴史等は主観的事実としても、持続可能性に関する部分酷すぎ。専門でないなら黙れと
  • 「9月始業」は目的ではない - 手段と目的を取り違えることの危険 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    突然のように学校の「9月入学・始業」が取り沙汰されるようになった。私はほぼ1ヶ月前から「9月始業」を唱えてきたので、来これを喜ぶべきなのだろう。もちろん、「今頃になって遅すぎる」という不満はある。けれど、議論の初動が遅れるのはやむを得ないとも言える。ということで、4月1日以来、3つの記事を書いて、これについて論じてきた。 mazmot.hatenablog.com mazmot.hatenablog.com mazmot.hatenablog.com だから議論の盛り上がりは歓迎すべきなのだろうが、かえって危機感をいだいている。というのは、議論が「9月入学・始業」にフォーカスされているからだ。そこ、質じゃないから。 最も重要なことは、ボールドで書こう。こういうことだ。 子どもの教育機会は奪われてはならないし、子どものいのちも失われてはならない。 しかし、COVID-19は、どちらも損な

    「9月始業」は目的ではない - 手段と目的を取り違えることの危険 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2020/05/01
    全く同感。日本はある程度経済規模はあるので、他国基準に合わせ同化する必要性は言うほど無い。この目的なら不急だし。時期を早く固定して決めることが大事で、その結果9月、再開に向けて逆算できるようにしないと
  • 「9月新学期」について再々考 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    4月1日のエントリと前回のエントリで、「COVID-19による学校閉鎖問題のひとつの解決策としての9月新学期への制度変更」について書いた。この問題に関しては緊急に議論を深める必要があると思う。その議論はもちろん、こんな片隅の雑記ブログなどではなく、国政レベルで行われるべきだとは思うのだが、ここのところ検索で(このブログにしては比較的)多くの人が読んでくれているようでもあるし、さらに話を進めてみようと思う。 というのも、Yahoo!ニュースで、次のような記事を見かけたからだ。 news.yahoo.co.jp 9月入学・新学期は進めるべきではない ― 子どもたちと社会への影響を重く見るべき4つの理由(妹尾昌俊) - 個人 - Yahoo!ニュース これは私の主張とはちがって「この時期に制度の変更は行うべきではない」というものだ。主張はちがうのだが、それなりに説得力のある論だと思ったので、そこ

    「9月新学期」について再々考 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2020/04/29
    同感。というかあの記事、すでにダメージが発生している前提でそれをどう最小限にするかという話に対して、ダメージが発生していない状態と比較しててずれてると思う。たとえば2の潜在的給与論とか典型だけど。
  • なぜいま9月新学期を検討すべきなのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    4月は学校新年度、というのはもう日では明治以来常識であって、それを前提にした文化も定着している。入学式には桜の花吹雪だし(最近は温暖化と流行歌のせいで桜はすっかり卒業式に前倒しになったが)、教科書も春から始まる。たとえば小学校の理科では春に種子を播いて育てていくパターンが定着している。中学校の新入生が着る制服も、春先のまだ暑くなる前だからこそサマになったりもする。 世界を見渡せば、決してそうばかりではないことがわかる。よく知られているのは、アメリカやイギリスの新学期が9月だということだ。とはいいながら、日だけが特別かというとそうでもない。シンガポールは1月、フィリピンは6月など、各国それぞれの事情に応じてそれぞれにちがう。欧米に9月が多いことからそれが世界標準のように錯覚してしまうが、決してそこまで標準化されているわけでもない(この辺を参考にした)。 だから、「世界が9月始まりなのだか

    なぜいま9月新学期を検討すべきなのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2020/04/22
    色々あるけど同意。個人的には、行政の期末4月と、学校の開始をずらすだけでいろいろな効率化ができると思っている。一方で一斉にやる意味をあんまり感じてない。会計が楽程度ならやめてしまえと
  • 「安心」は安心じゃない - 定訳の厄介さ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    専門的な文書、論文であるとか専門書であるとかを翻訳する場合には、まずはその分野の基礎知識がなければならない。とはいえ、依頼が来てからきっちり勉強していたのでは間に合わないから、だいたいは参考文献リストとかから見当をつけて、周辺の文献を大急ぎで斜め読みすることになる。それをやっておかないと、文脈を読み違えてクライアント(たいていはその道の専門家)からお叱りを受けることになる。それでは次の仕事につながらないので、ここは手を抜けないところだ。 周辺の文献を調査するのは、既に存在する訳語を押さえておくためでもある。特に英文和訳の仕事では、たいていの分野で既に先行する何らかの翻訳が存在する。特定の単語についてそういった先行訳を無視すると学問の世界ではまずいことになる。とはいえ、先行訳が必ずしも適切とは限らない。そういう場合にはきちんと先行訳の存在とそれがなぜ依頼の文献に適切ではないのかのコメントを添

    「安心」は安心じゃない - 定訳の厄介さ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2020/04/16
    本論は同意だけど「知らないはずがない」から「専門用語以外で使っている」が良くわからん。それって学術的に定義された用法や定義知っててあえて誤用して煽っているって事だけど、そこまで不誠実な人ではないでしょ
  • 「うちで踊ろう」の一件について - わかっちゃいない大人たち - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    星野源の「うちで踊ろう」動画を官邸ツイートに利用した件で、ネットは今日もにぎやかだ。来なら私はこの件になにか一言はさむ資格はない。というのは、テレビを見ない私は星野源というシンガー(一応、さっきからあえて「さん」は付けずに書いてる。そのぐらいにはアイコンであろうという認識はある)のことはほとんど知らないからだ。もちろん、この時代、テレビなんか見なくても動画を探せばいくらでも出てくる。たとえば www.youtube.com トップアーティストであることが十分わかる歌唱力、曲作りだろう。好みかどうかはおいておいて、実力は申し分ない。 今回の騒動は、彼がカバーやダンスで多くの人に乗っかってくるのを呼びかけた「うちで踊ろう」に、なんと官邸オフィシャルのTwitterが反応して首相が家でくつろぐ動画をアップしたことによるものだ。日曜の朝、これを見たとき、私は「あ、これは確実に炎上案件」と思った。

    「うちで踊ろう」の一件について - わかっちゃいない大人たち - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2020/04/14
    政治利用になるのだから自由の範囲には入らないと考えて先に内々に聞くべきだし、やることはつたなくても、歌うだけで良かったと思うんだよなあ…。個人的にはメディア戦略の専門家がいないのかよと愕然とした。
  • なぜ学校はワープロを受け入れない? - 「現実」に過適応していると未来が失われる - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    私の観測範囲だけのことではあるのだけれど、現代の小学校、中学校、一部の高校においては、パソコンを使用した提出物を受け入れない。もちろん細かいことをいえば例外はあって、たとえば小学校の夏休みの自由課題なんかでパソコンを使った研究みたいなのはあり得る。けれど、パソコンで制作されたもの、たとえば読書感想文であるとか自由作文とか、ワープロ打ちしたものは、受け付けない。もちろん、「ノートまとめ」とか、「自主勉帳」みたいなのをワープロ打ちすることも許されない。 「なんで?」と思うのだけれど、これにはちゃんと理由がある。まずひとつには、「パソコン使ったら漢字を覚えないでしょう」というものだ。それから、「人が書いたのか筆跡でわからない」というのもある。人の代わりに親が書いたのかもしれないし、ネットから拾ってきてコピペしたものかもしれない。そういう不正を防ぐために、ワープロ打ちは認められない、というもの

    なぜ学校はワープロを受け入れない? - 「現実」に過適応していると未来が失われる - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2020/01/09
    基本的に賛成なんだけど、国語以外の教科も手書き前提で教育が成立しているとすると、他で手書きを廃止した分、国語教科で手書きで漢字等を覚えさせる時間増やさないといけなさそうとかあって、単純には難しいと思う
  • PTAの義務的参加は教育上よろしくない - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    PTAの問題は、巨大すぎてちょっと正面からは触れない。けれど同時に、子どもをもったら避けて通れない。PTA改革は地域差が大きくてそこそこに進んでいるところでは進んでいるようなので一概に批判ばっかりしているのもなんなのだけれど、少なくとも私の身近では、「入学したら原則全世帯加入、クラス役員は義務」というのがふつうなので、それがふつうになっている世界に対しては批判はしてもいいのじゃないかと思う。ちなみに、「原則」は原則で民法上は強制加入できないから、「PTA入りません」というひともなかにはいる。けれど、それはPTAの内部では「会費の未払い問題」的な扱いでしかなく、それがPTAの内部改革を促すものにはなっていない。そのあたりもなんだかなあ、という感じなんだが、あまり踏み込むのはやめておこう。 私は「そもそも論」が好きなので、そもそもPTAって何なのかというところに少しだけ触れておくと、これは2つ

    PTAの義務的参加は教育上よろしくない - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    TakamoriTarou
    TakamoriTarou 2017/04/05
    先生は忙しいと言われ仕事はあるかと。しかし負荷かけると批判が出る、軽くすると仕事が無いから無駄だと言われる流れか。しかし金無いのでPTA廃止しても解決しないわけで、先生から仕事を移管するしかないでしょ
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