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増田と人間に関するTomosugiのブックマーク (5)

  • スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ

    【240407編集しました】 当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。 今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。 スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。 私もスポーツ推薦で高校に行った。 中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。 私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張っ

    スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ
  • まず人間絵師が何をやってきたのか考えた方がいいのでは

    人間って学習素材にお金払ってないよねhate_flag 結局「AIは既存のイラストを模倣するが、学習元が多すぎるので個々のアーティストには対価を支払わなくていいよね」っていう泥棒の点だけが問題なので、学習素材にしたのなら支払いなさいな 人間は参考にした絵の著者にお金払ってますか? 特徴の抽出と分類ですpuhu208n 反AIという表現に寄せたがる輩は多いんだが、学習データの劣化圧縮と伸張である画像生成利用は翻案的ではなく違法であり反発されてるってだけなんだわ。クリエイターはAI研究者じゃないからそう言語化しないだけ。 言葉を変えて画像の大部分をそのまま利用しているかのように表現されてますけど学習は特徴の抽出と分類です つまりは抽象化です 犬とオオカミの違いを観察して絵に落とし込むようなものです 人間も「参考にした絵」に対して行っている行為ですよね 法的に対応しようともしてないtikani_

    まず人間絵師が何をやってきたのか考えた方がいいのでは
  • たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、

    たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、 はっきり言って、あなた、それ、何も心配しなくていいよ。超大丈夫。 一応、いろんな、修士の学生さんみてきたけれども、 特に文系は大概の人が、6月ごろにプチになるから。 だって、学部の頃とぜんぜん違う能力が求められるってことに気づくのが、 だいたいみんなそのぐらいのタイミングなんだよね。 学部の時はすごく優秀だったけれど、修士に行って憂になって、 でやめてしまう人、たくさんいます。 大学院の制度にも、あなたにも問題がないわけじゃないだろうけど それは、無能だった訳じゃなくて「相性が悪かった」んです。 学究の道、そのものと相性が悪かった可能性もあるけど、 単に、設定したテーマや、環境の掛け違いだった可能性も大きい。 大学院って、そういう場所なんです。 そうならない人のほうが珍しい。そう思って下さい。 そういう人、たくさん見てき

    たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、
  • 「趣味は読書」じゃダメですか。

    読書」は無趣味な人が履歴書の趣味欄に書くものの代表その1のように扱われる。読書趣味はそんなにダメか。 就活をする上で、趣味欄に読書と書くなと何度も就職課の人間に言われた。 改めて自分の生活を振り返ってみるが、完全に読書が生活の主軸になっているように思う。 屋でアルバイトをしているし、そのバイト代のほとんどを屋に還元している。大学の図書館の蔵書もかなりの数を読んだ。 古いより最近ののほうが肌にあうので古屋にはほとんど行かないが、絶版が読みたくて足を運んだことも少なからずある。 蒐集癖はないので読んだそばから売っている。もういちど読みたくなったら、新しく買いなおすか図書館で借りるかする。 どのくらい読んだかを競うゲームではないので自分がどのくらいのを読んだのか正確にはわからないが、同年代ではトップクラスじゃないかと思う。 金銭の多寡だけが偉さを決める数値ではないと思うが、趣味

    「趣味は読書」じゃダメですか。
  • 人は何のために生きているのか。

    なんとなくwebをぶらぶらしてたら、以下の記事を見つけた。 人は何のために生きているのか。 - 自省log 小学校だったか、高校だったか、いつからか「何のために生きてるのか」って事をずっと考えてた。 いつ答えがはっきりしたかは忘れたけど、今の自分には自分なりの答えがなんとなくあるので、増田。 以下あくまで個人的な考えです。 「何のために生きてるのか」に対して、いろんな角度から見る事ができると思う。 そんな中で私がよく考えたのは客観的視点。 きっかけになった記事もタイトルが「人は何のために生きているのか。」なので、主観・客観なら、客観的視点よりかと思われる。 客観的視点が強く問われるカテゴリの一つが科学だと思われる。 大学時代、物理を専攻していたのだけれど、その研究対象の中に宇宙がある。 宇宙の大きさは半径約450億光年の球状。(ちなみに地球と太陽の間は9兆4600億kmで、0.000015

    人は何のために生きているのか。
    Tomosugi
    Tomosugi 2014/02/13
    いいんじゃない?素直でさ
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