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2015年7月29日のブックマーク (4件)

  • TRAINING MENU~イルカになるまで泳げ~

    ここでは、「プールでの水泳練習」というシチュエーションに限定して、スイムトレーニングするにあたってのヒントを紹介したいと思います。 INTRODUCTION・・・スイムトレーニングで鍛えられるものは。 BASIC・・・スイムトレーニングの前提。 ADVANCED・・・実際に、メニューを考えてみる。 INTRODUCTION 水泳の能力=「泳力」を高めるためには、主に次のようなものの向上が必要不可欠であると思われます。 「筋力」‥‥筋繊維肥大、柔軟性など 「生理的順応」‥‥心肺機能、乳酸処理能力など 「技術」‥‥そのまま。 ※柔軟性が高いとは、(勘違いされやすいが)特に関節付近の筋肉・腱のスムーズな連動がいかにできるかということであり、実は物質的な"やわらかさ"とはほぼ無関係である。つまり、脳の信号が筋肉に行き届いている程度・具合=柔軟性。 このうち、スイムトレーニングによって鍛えられるもの

    Tomosugi
    Tomosugi 2015/07/29
  • 久米宏が民間放送に捧げた祈りとは

    2004年3月26日。ひとつのニュース番組が最終回を迎えた。 ニュースステーション 日の報道番組の在り方を良くも悪くも変え、様々な毀誉褒貶を浴び、時の政権すらこの番組の論調を気にかけ、時には過剰とも言える反応を示し、時には番組への圧力とも言える行動に出たことがあった。 そんな存在感を持った番組。なぜ、それほどまでにこの番組は存在感を得たのか。豪華なオープニング、綺麗で都会的な美しいセット、CGや模型を使ったわかりやすい解説。様々な要素が絡み合って番組が成立しているのは当然のことだが、ニュースステーションをニュースステーションたらしめていたのはたったひとりの男だったと思う。 久米宏。ニュースステーションのメイン司会者である。 通常、報道番組のメイン出演者は「キャスター」と呼ばれるが久米は自らの番組での立場を聞かれると必ずこう答えた。「私はニュース番組の司会者です」。 あくまでも司会者として

    久米宏が民間放送に捧げた祈りとは
    Tomosugi
    Tomosugi 2015/07/29
  • 神西清 飜訳のむずかしさ

    飜訳(ほんやく)文芸が繁昌だそうである。一応は結構なことだ。あの五十年という制限の網の目がだいぶ緩められて、生きのいい魚がこっちの海へも泳いできて、わが文化膳にのぼせられる。悪かろうはずはないが、物事には必ず善悪の両面がある。水から揚がるのは、いい魚ばかりとは限らない。お客さんは腹が空(す)いているから何でもう。そこで料理人は転手古舞(てんてこまい)で、材料の吟味はもとより、ろくろく庖丁(ほうちょう)も研ぐひまがないという景気になる。つまり濫訳(らんやく)の弊が生じるわけだ。もっともこれは、何も飜訳文芸に限った話ではない。需要の盛大が粗製濫造の弊を伴(とも)なわないで済むのは、よほど文化の根づきの深い国のことだろう。 まあそんな騒ぎの飛ばっちりで、僕にも一つ板前の苦心談をやれという話になったが、実をいうとこれはちょっと困る。苦心談は要するに自慢ばなしだ。お座敷天婦羅(てんぷら)にした

    Tomosugi
    Tomosugi 2015/07/29
  • 三木清 軽蔑された飜訳

    我々は我々の書いたものを互にもっと読むようにしたいと思う。私は必ずしもそれを尊重せよというのではない。正直に云って、日の学界の水準は西洋の学界の水準よりも低いことを認めねばならぬ。そしてものがそれの質的な価値に相応して尊重されるということは正しいことであり、善いことである。私の求めているのは親切である。日人は日人の書いたものを互にもっと親切に読むようにしたいと思う。我々は互に他の人のものをもっと率直に理解し、もっと親切に批評するようにしなければならぬ。そうしてこそ我々の間に文化の共通な、広い地盤が作られ、その上に初めて我々の独自な文化が花を開くことも出来るのである。然るに我が国の学者は少くとも同国人のものをあまり読まなさ過ぎるのではないか。 これには色々な理由があろう。しかしその一つが日の学者の多くは自分の国の言葉を愛しないというところにあるのは確かなように見える。言葉を愛するこ

    Tomosugi
    Tomosugi 2015/07/29