『公研』2019年8月号「めいん・すとりいと」 呉座 勇一 私は最近、井沢元彦氏の『逆説の日本史』や百田尚樹氏の『日本国紀』など、歴史学の成果を無視した「俗流歴史本」の弊害をあちこちで書いている。 念のため断っておくが、私は「小説家が歴史を語るな」「専門家以外は黙っていろ」と主張しているわけではない。「歴史ノンフィクション」「歴史書」「通史の決定版」などと謳うなら、歴史学の研究手法・研究内容をきちんと学んでほしいだけだ。 別に歴史学界の通説を全面的に受け入れ、それ以外の説を唱えるな、と言うつもりはない。だが「俗流歴史本」の書き手は、通説を一知半解で糾弾したり、通説を意図的に矮小化して不当な攻撃を行ったりする。通説を批判する前に、ちゃんと通説を学び、正しく理解すべきだ。 歴史学の研究手法を修得した者の研究であれば、その人が在野・民間の研究者であろうと、歴史学界が差別することはない。実際、歴史