エステルハージ侯爵ニコラウス1世 新しいご主人さまも名君 ハイドンがエステルハージ侯爵家の宮廷楽団副楽長として雇用され、さっそくに〝チームハイドン〟ともいうべき新オーケストラを編成し、宮廷の音楽活動の総監督として八面六臂の活躍を始めて1年足らず。 彼を抜擢したエステルハージ・パウル・アントン侯爵(1711-1762)が急逝してしまいます。 もっと長生きしてハイドンの音楽を堪能してもらいたかったのに、惜しいことです。 代わりに、弟のエステルハージ・ニコラウス・ヨーゼフ侯爵(1714-1790)が跡を継ぎましたが、これが、前代を上回る英主でした。 ニコラウス1世とも呼ばれます。 〝島津にバカ殿なし〟といいますが、エステルハージ家も代々名君揃いなのです。 ニコラウス1世は次男として生まれましたので、最初から跡継ぎとされていたわけではありませんでした。 そのため、オランダのライデン大学やウィーン大
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