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ブックマーク / tenyard.hatenadiary.jp (2)

  • 明治時代のガイドブックで熱海観光すると、熱海が今人気な理由がわかった - 足跡を辿る

    文明が花開いた明治時代は、どのようなスポットが人気だったのだろう。 今回は、116年前のガイドブックを使って熱海の観光をしてみよう。 実際に回って見えてきたのは、熱海が今でも人気の理由だった。 熱海、人を楽しませようとする熱量がすごい。 ※この散策は2023年2月に行ったものです。 116年前に書かれた観光の 以前、伊豆について書かれている「明治時代のガイドブック」を見つけた。 誰でも読むことができる。ありがとうインターネット。 これを使って伊東の街を観光したところ、違った時代の人と一緒に歩いているような普通の観光で味わえない体験ができた。 dailyportalz.jpとなると再びやってみたくなるもの。お次は、伊東と同じように温泉町で有名な熱海に行ってみよう。 印刷していざ出発! 熱海といえば温泉 『伊豆新誌』の熱海の章は、このような文章から始まっている。 いきなり「温泉」が出てきた。

    明治時代のガイドブックで熱海観光すると、熱海が今人気な理由がわかった - 足跡を辿る
    Tomosugi
    Tomosugi 2024/05/05
  • 中野に大正時代の刑務所の跡が残っていた - 足跡を辿る

    何となく古地図を見ているときのことだった。中野駅の近くに大きな建物を見つけた。調べるとかつてそこには大正時代からの刑務所があったらしい。しかもウィキペディアによると、跡地には今でもレンガ片や土塁が残っているらしい! ところが、レンガや土塁の跡について調べても何も情報が出てこない。ならば自分で調べてみよう。 実際に行ってみたところ、思った以上にいろいろな跡が残っていることがわかってきた。 謎の施設発見 はじまりは古地図だった。 まずはこれを見てほしい。左が大正5年、右が現在の地図だ。東京の中野駅あたりを表している。(今昔マップより) 南にある横線が中野駅だ。北側と南側に大きな施設がある。南側はかつての日軍の用地。スパイ活動で有名な「陸軍中野学校」があったのもこの場所だ。 そして注目したいのは北側。左側の大正の地図に書いてあるのは「豊多摩監獄」。 監獄。つまり刑務所だ。まさか中野にあったとは

    中野に大正時代の刑務所の跡が残っていた - 足跡を辿る
    Tomosugi
    Tomosugi 2020/09/27
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