撮影地:伊賀市高倉大橋 撮影日:2023.1.1
![2023初日の出(伊賀上野) - PONYの写真缶](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/53916d26f6e5934c9247fc6ecb2c30d26db16470/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fp%2Fpony3%2F20230101%2F20230101124659.jpg)
2023年あけましておめでとうございます。 みなさまにとって、世界中の人たちにとって、より良き年になりますように。 年新たすべて新たに世界中 写真はわが家の近くで撮った初日の出です。神戸の日の出は7時6分のはずでしたが雲に隠れて見えず。7時10分過ぎ、雲の隙間からようやく太陽が顔をのぞかせました。 今年の詠み始めです。 今回は11月28日から12月2日までのtweet句です。 どうぞよろしくお願いします。 葉を散らせ寒さうな月曜の朝 通勤の道すがら、いつも歩く川沿いの歩道に立つ木々には、鳥たちが集いさえずり、出会い共に暮らし、雛たちが生まれ巣立っていきます。木々は花を咲かせ実を実らせ、木の葉は色を変え散っていきます。落葉の時季、次第に葉を散らせていく木々の枝は震えています。裸木となった木の枝にとまる鳥たちは少し寂し気です。月曜日でも火曜日でも水曜日でも葉は散っていくのに、月曜の朝だけは違い
昨日のブログに書き忘れてた事、それは「後遺症」。 わたしのコロナ、12月24日に発症して、25日にお医者様に検査してもらって陽性だとされ、その日を1日目として31日が7日目。これまで熱もほとんどなく、咳が少し出て、身体がしんどい程度。何しろ、相方にうつさないようにと、そちらにばかり気が行ってた。だから、7日目の夜もこれで彼に移さずにすんだと言う思いの方が強かった。 で、昨日のブログに書いたように1月1日、解除したらすぐシーツや枕カバーを変えて洗濯、布団類は干して、寝室の掃除をするつもりだった。 でも、相方が用意してくれた心尽くしのお祝いの料理も美味しいと感じないし、ひたすらしんどくてまたベッドに逆戻りした。 コロナになってから、ずっと相談に乗ってくれていた自宅療養者専用ダイヤルへ電話した。 昨日、書いたように、その時によって、いろんな方が相談に乗って下さる。みなさん看護師さんらしい。 「あ
こんばんは。 昨日LAに戻ってきました。 (前回投稿した写真はロサンゼルス国際空港から日本に向かう飛行機で、こちらは伊丹空港です。) 31日の夜に飛行機に乗って、すぐに年が明けたのですが、LAに戻ってきた時には1日巻き戻されているので、再び31日。 結局2日続けて年を越し、今朝起きたら10時という時間に驚いて、戻ってきてからの整理でバタバタとして、もうすっかりロサンゼルスのリズムです。 いつものことなのですが、日本から戻ってきた後はものすごい時差ボケになり、今日も10時に起きたのに2~3時頃に猛烈な睡魔に襲われ、必死に堪えました。 久しぶりの日本は超過密スケジュールで、いろんなことがありました。 昨年の出来事もまだブログに書かずに残っている事が沢山あるのに、一体どうしましょう。 遅い書き手はこういう時ほんとに困ります。 今年も今までと同じようなゆっくりペースで更新になると思いますが、日本滞
お正月休みも今日で終わり、明日から会社だと思うと少し寂しいものがあります。 やはりクリスマスからお正月休みが終わるまで、あっという間に過ぎてしまいますね。 めげずに頑張ってお仕事にも取り組みたいと思います。 さて、最近熱心に取り組んでいる丸底付巾着ですが、小さいものも作ってみました。まだ試作の段階ですが、まさに小物を入れるにはちょうどいいサイズだと思います。 以前作っていたものは、36号の碁石が丁度入るくらい(たぶん38号くらいまではOK)でしたので、小物を入れるには少し大きいサイズだったと思います。 ウリボウが入るにはやや小さすぎるかもしれませんね。碁石もそれほどたくさん入りません。 サイズが小さくなると底の縫い付けも、直線ミシンだと結構しんどいです。綺麗な円を描くように縫ったつもりでも、波うってしまいますね。 このサイズ、小さなものを入れる巾着としては、限界に近い小ささだと思いますが、
京浜急行線の子安駅(横浜市)の改札は、京浜急行線線路とJR東日本の線路(東海道線と横須賀線と京浜東北線が通る線路)に挟まれていて、国道一号、今日であればそこは箱根駅伝が通過したはずだ、その一号に出るには京浜急行線の踏切を渡る必要があるし、JRの線路の向こう側に、JR横浜線の大口駅の方に続く商店街に行くには、JR線路を地下道でくぐる必要がある。踏切か地下道か、どちらも使わずに行けるのは、下の写真の蕎麦屋さんの先に続く路地だが、ここは線路と線路に挟まれた「中州」のような街区で、路地の京浜急行線側には住宅が一列だけあるが、JR側は倉庫などが主のようだ。そして百メートルかもう少し行けば、京急とJRの線路が並走するように接近し、すなわち中洲のスペースが無くなるため、この中州は行き止まりになる。これは自分でも正しく覚えていることだという自信がないんだけど、村上春樹がデビューして数年の頃に、どこかの出版
少し整理が進んだ自室は、それでもPC作業のための椅子の上に雑誌等が高さ20cmくらいの高さに重ねられている「ひとかたまり」をベッドの上に置き直さないと椅子に座れない。そうすると、ブログを書いたり写真を画像処理しているときに眠くなって、即、横のベッドにごろりと出来ない。出来ないから、椅子の背もたれに寄りかかってぼーっとしていると10分か20分か眠ってしまうことがある。眠ってしまうと言えば、風呂に浸かっていても、浅い夢を見てしまうこともあるから、これは危ない。酔って浴槽に浸かり眠って溺死してしまう人がいるとどこかで読んだことがある。自室にはこまごましたものをとりあえず整理退避のためと思い適当に放り込んだ紙袋が三つか四つ、これは三回前のとりあえず、二回前のとりあえず、一回前のとりあえず・・・・の結果、紙袋をそのあとなにもせずに置きっぱなしにしてきた結果なのだが、そこから慌ててなにかを探し出したこ
今年も茅ケ崎海岸まで初日の出を見物に行く。いままでと違う写真を撮ってみようと思って、レンズを変えてみたり、立つ位置を変えてみたりと、写欲にしたがってあれこれ試していた頃もあったけれど、もういいや、そんなことをしても、結局毎年変わりばえしない写真を撮っているから今年もそういうことだ。海や空を背景にしてシルエットに写る人々の写真。 だけど、今年は、上の写真のように日が昇ってしばらくすると、海面に霧が立った。こんなことは今までなかった。今年は35mmの準広角レンズをカメラに付けてきただけで交換レンズは持ってこなかった、霧を見てもう少し望遠が欲しいと思ってもその選択肢がなかった。まぁでもそれもしょうがないことだ。 冬は昼の時間が進むのが早い。ちょっとお正月のテレビ番組を観ているうちに午後になり日がもう傾いていく。地球がくるくると回っている。ひとつしかない地球。 誰かの妄想が誰かの命を勝手に奪うよう
たぶんこの写真は十四年もこのブログを続けてきたどこかで使ったことがあるような気がします。1982年か83年頃に昨日のブログに載せた七里ヶ浜駐車場を砂浜側から見上げて撮った写真です。昨日のブログに書いたように、この写真は、今見るとたいした写真ではないんだけど(笑)、当時の20代の私はこの写真を撮ったことがとても嬉しくて、自分のなかでお気に入りの一枚となり、以降、この駐車場に、せいぜい年い三回か四回くらいだろうけれど、自分にとっての写真を撮る定番スポットのひとつとして四十年に亘り通ってきた。すなわちそのきっかけとなった最初の頃の一枚というわけです。写真を見て思い出したのは、そうそう満月が見えたんだった、ということ。月を挟んでシンメトリーに海を眺める男と女がいるという光景がたまたま眼の前に現れて、いいじゃん!と思ったんだろう。今見ると女性も顔をあげて海を見ていて欲しいところだが、それを待つような
あけまして おめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。 昨夜の紅白はほぼ、知らない人ばかりで「いよいよそういう年代になってきたか」と眺めるばかりだった。 「いまは踊りが上手いと、歌はそうでもなくても人気がでるんだね」 「こらっ。歌は」 「見てて楽しいもんね。かっこいいから」 「あ、この子は歌もうまい。かわいいね、なんていう人」 「俺も知らん」 家族三人、異文化に興味津々、合間合間に入ってくるディズニーやゆずに、ホッとする。 個人的には坂本冬美さんがよかった。 「これでこそ紅白よ」 10代の頃は演歌歌手の出番が続くタイミングで大急ぎでお風呂に入って戻ってきた。 それが50代になると、お節を詰めたりお雑煮の準備をしながら夕方から「年忘れ日本の歌」をつけっぱなしで、やっぱり北島三郎はいいなあなどと、今更ながら沁み入るのだ。 司会の女の子の衣装が変わるたびに「あら、きれい」と目を細
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