コンスタンチン・ソモフ(1869~1939)は、ペテルブルクのエルミタージュ美術館の学芸員の家に生まれた。少年がすべての幼少期を芸術に囲まれて過ごし、美術アカデミーに入学したのは自然なことだった。
(写真左・「アジア女性基金」オランダ事業の担当者・ハーマー女史とアムステルダムで、右・「慰安婦」とう強制連行問題で日本政府を提訴している「対日同義請求在団」事務所で会メンバーと) 「『BC級(オランダ)裁判関係』バタビア裁判のワープロ化資料」(ワープロ筆耕&注:須磨明 2014.3.29編集・小林久公)は、スマラン(インドネシア:吉川注)事件における多数のオランダ女性への強制連行と強姦の生々しい、膨大な裁判記録である。一部を転載する。 被害者本人が語る強制連行と生々しい慰安所での強姦 <A09>被害者E・L(22歳)の証言(注:ハルマヘラ⇒スマランクラブ⇒日ノ丸) 戦前は看護婦。1942年10月母、姉とともに「スラバヤ」に抑留され後に「ハルマヘラ」キャンプに移された。(原文は“カタカナ”、吉川が“ひらがな”に直した) 問 慰安所に入れられた経緯を詳細に述べよ 答 1944年2月22日「
1944年10月。三重県・明野教導飛行師団にて。ラッキーセブン隊の一員で、陸軍初の特攻隊「丹心隊」の一員に選ばれた佐々田眞三郎少尉(左)と談笑する大貫少尉この記事の写真をすべて見る 河北省石家荘にて。前から4列目右から6人目が大貫見習士官。ここに並ぶ第28教育飛行隊隊員の、およそ7割が戦没した 太平洋戦争末期に、特攻帰還者を幽閉する「振武寮」という施設があった。そこでは上官が帰還兵を殴打し、怒声を浴びせ、再び生きて戻ることは許されない、と思わせる精神教育が行われた。2009年に出版された『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』は、元特攻隊員が知られざる内幕を明かした、驚愕のノンフィクションだ。 【およそ7割が戦没した第28教育飛行隊隊員…】 鴻上尚史さんのベストセラー『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』は、実はこの『特攻隊振武寮』からヒントを得て書かれたのだという。鴻上さんが本書から
GFBさんのツイート(https://twitter.com/MC_sashiba/status/918463407363260416)で、トキやコウノトリの野生復帰をめざす事業が行政の後押しも受けてやや前のめりになっていることを知りました。ツイートにリンクされている行政文書を斜め読みして、とりあえず以下のツイートを書いておきました。 「関東でトキやコウノトリの野生復帰を目標にする計画は、「自然再生事業指針」にまとめた原則(下記)に照らして、再検討が必要だと思います。まず、「基本認識の明確化」が不十分。」 この手の野生復帰事業は、植物の移植と一緒で、復帰先(移植先)の環境を整えずに、放鳥(移植)をやろうとしています。復帰先(移植先)の環境を整えて、自然に分布を広げてくれるようにするのが基本です。復帰先(移植先)の環境を整えずに放鳥(移植)しても、うまくいきません。これは生態学的な復元事業の
環境史とは何か (シリーズ日本列島の三万五千年―人と自然の環境史) 作者: 湯本貴和,矢原徹一,松田裕之出版社/メーカー: 文一総合出版発売日: 2011/01/29メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 47回この商品を含むブログ (5件) を見る 本書はシリーズ「日本列島の三万五千年ー人と自然の環境史」の第一巻である.このシリーズは日本列島へのホモ・サピエンス渡来以降,つまり後期旧石器時代以降どのような自然環境の変化があったのかが主題であるが,特に「近代化以前には「賢明な利用」があったとされることが多いがそれは本当か」という問題を事実に即して見ていこう,そしてその中で今後の教訓となるものは何かという問題意識に沿って編集されている.第一巻である本書では総説的な問題が取り上げられている. 序章では「生物文化多様性」「賢明な利用」「伝統的生態知識」「コモンズ」「ガバナンス」などの基礎概念
米ボストン美術館には大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)出土とされる古代の鏡や大刀などが収蔵されている。「1872(明治5)年、堺県(現堺市)の県令(知事)が立場を悪用して仁徳陵を発掘した際に持ち出した品」。こんな説が小説などを通じて広まっている。確かにこの年、堺県が「墳丘を清掃して石を取り払ったら穴が開き、石室を見つけた」との文書を国に提出している。これが意図的な発掘だったというのだ。出土した
中世以来、つい200年ほど前まで、ヨーロッパ―アジア間の貿易は、一貫してヨーロッパ側の赤字でした。ヨーロッパではアジアの香辛料が大変珍重されていましたが、アジアではヨーロッパの品物で特にニーズの高いものはなかったのです。そのためヨーロッパは長い間、香辛料の対価として銀を充てるしかありませんでした。 18世紀になると、ヨーロッパでは香辛料以上に珍重されたものが登場しました。綿織物と茶です。綿織物はインドから、茶は清国から輸入されました。 「紅茶ブーム」で対中貿易が大幅赤字になったイギリス インドの綿織物はヨーロッパで大ブームになりますが、やがてヨーロッパが産業革命を迎えると関係は逆転します。安価に綿織物を作れるようになったヨーロッパからインドが輸入するようになってしまうのです。 一方のお茶ですが、これは輸入するしかありませんでした。特にイギリスでは、18世紀末に紅茶を飲む習慣が大ブームとなり
ブラスコウ/秋友克也 @sjxqr393 文芸翻訳家(主にアメコミ)で模型作例ライター。大阪市在住。著書『リビングで塗れるプラモ 水溶きアクリル筆塗りテクニック』(新紀元社)発売中! フォロー、解除ご自由に。ブログ始めました。お仕事のご相談はメッセージでお願いします。 modelograd.blog.fc2.com ブラスコウ/秋友克也 @sjxqr393 近世から近代の日本で、都市近郊の山岳がほとんど禿げ山だったことはあまり知られていない。燃料を薪に依存していたためであり、大規模火災が多くて定期的に建築ラッシュが起こったためでもある。当然ながら山の保水力は低く、激甚な水害を招いた。 pic.twitter.com/jD9VsPnyV4 2019-03-22 04:43:48
民政局(みんせいきょく、Government Section、通称:GS)は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)内部の組織。GHQのなかで占領政策の中心を担った。 概要[編集] 1945年10月2日、GHQ設置とともに発足[1]。 局長はダグラス・マッカーサー司令官の分身と呼ばれたコートニー・ホイットニー准将。その部下に局長代理のチャールズ・ケーディス大佐(1948年に次長に昇格)、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策に参画したニューディーラーをはじめ、太平洋問題調査会(IPR)系の日本研究家トーマス・ビッソン[2] 、ミネソタ大学のクィグリー教授、ノースウェスタン大学のケネス・コールグローブ[3]教授ら、日本研究の専門家が多数所属しており、社会民主主義志向であった。 日本占領の目的である軍閥・財閥の解体、軍国主義集団の解散、軍国主義思想の破壊を遂行し、日本の民
蔵春閣(ぞうしゅんかく)は、新潟県新発田市諏訪町にある建造物。大倉喜八郎の向島別邸(東京都)の一部を成していた接待用の建物[1]を移築したもので、2023年4月[2]より公開されている。 大倉別邸としての蔵春閣[編集] 大倉喜八郎は、1879年に向島の隅田川に面した場所(後の東京都墨田区堤通1丁目1番地)に別邸を構えた[3]。特に、賓客の接待用として日露戦争後の1912年に隅田川に面して建てられた建物、蔵春閣として広く知られ[1]、伊藤博文や渋沢栄一もここを訪れた事があるという[4]。また、単に「御殿」とも称されていた[5]。蔵春閣は、建築面積254.50平方メートル、延床面積398.50平方メートルの2階建てで[3]、唐破風入母屋造りの屋根に避雷針が設けられていた[1]。 戦後の占領期に、大倉別邸は「大倉別荘」[6]ないし、「料亭大倉」として、占領軍将校の慰安所とされた[1]。特殊慰安施
ミハエル・コーガン[注釈 1](ウクライナ語: Михайло Коган, 英語: Michael Kogan、1920年1月1日 - 1984年2月5日)は、ユダヤ系ウクライナ人の実業家、タイトー創業者[1]。 1920年1月、ウクライナのオデッサにて、建設会社の経営者の6人兄弟の末子として生まれる[1]。1932年、ロシア革命の混乱を避けるため満洲のハルビンに移住し、地元の商業高校を卒業する[1]。 1938年にハルビンで開催された「第2回極東ユダヤ人大会」では、シオニスト青年団の1人として参加し、ハルビン特務機関長・樋口季一郎、大連特務機関長・安江仙弘に出会う。 「極東のユダヤ人保護」に奮戦する安江大佐に感銘を受け、親日家となったコーガンは、翌1939年(19歳の時)に来日し、東京の「早稲田経済学院」で貿易実業を学んだ[1]。5年間の日本滞在中、ロシア文学者の米川正夫の家に下宿し、
歴史上の人物の評価というものは難しい。新たな史料の発見や再解釈、研究の進展によって、従来の見方が大きく変わることもある。かつて「革命児」「破壊者」と呼ばれた織田信長が、実は保守的な人物であったという近年の再評価は、その最たるものだろう。 星海社から7月に刊行された広中一成『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたか』(星海社新書)もそうした再評価の試みの一つかもしれない。盧溝橋事件で日中の戦端を開き、太平洋戦争で日本陸軍史上最悪の作戦とも言われたインパール作戦を主導した牟田口は、「愚将」といった評価がつきまとう人物だ。本書で著者の広中氏は、牟田口個人への攻撃に帰せられがちなインパール作戦について、牟田口個人の軍歴や日本陸軍の置かれた環境を辿り、牟田口個人でなく「愚将」を生んだ日本陸軍という組織の問題を、牟田口個人の評伝という形で明らかにしようとしている。 『牟田口廉也「愚将」はいかにし
様々なアート作品がアーカイブされているスミソニアン・ライブラリーでとっても嬉しいデータが無料ダウンロードできることを知りました!アートやデザイン、ファッションに携わる方は絶対にダウンロードし手元に置いておいて損はありません。 以前「浮世絵や日本画も!博物館所蔵の4万超の画像を無料ダウンロードできるコレクションが素晴らしい!」という記事で無料ダウンロードできるコレクションを紹介しましたが、今回紹介するデータもすごいです。 それは明治時代にシリーズもので刊行されていた図案集「美術海」。当時のデザインの流行が反映された図案から古典的な文様、はたまたとてもオリジナリティ溢れる美しい図案まで素晴らしい図案集なんです。 新美術海は神坂雪佳と古谷紅麟 が携わった図案集で、彩り豊かで動きのあるデザインが盛りだくさん。古谷紅麟は神坂雪佳の後継者として期待された当時のデザイナーです。 当時のアート感覚を垣間見
Online ISSN : 1884-7080 Print ISSN : 1342-3363 ISSN-L : 1342-3363
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