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2012年3月11日のブックマーク (4件)

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/03/11
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/03/11
  • "クールジャパン"はなぜ恥ずかしいのか

    第2回世界メディア芸術コンベンション「想像力の共有地(コモンズ)」が終わった。今回は京都精華大学のジャクリーヌ・ベルント教授に協力を仰ぎ、欧米、韓国、インドネシアからもマンガ・アニメーション関係の研究者を招き、限られた時間にはちょっともったいないくらいの多様な議論が提供された。 前の記事「想像力を共有するとは?」の冒頭でも述べたが、昨年の第1回世界メディア芸術コンベンションは「メディア芸術の地域性と普遍性」というテーマで、その副題には「"クールジャパン"を越えて」とあった。さらに今回の開催趣旨の冒頭にも次のように書いた。「マンガとアニメーションはいわゆる「クールジャパン」の中心的分野とされています。けれども日文化をユニークで卓越したものとして産業的な関心からプロモートする言葉は、ちっとも「クール」ではない。」と。この「世界メディア芸術コンベンション」という国際会議は、国(文化庁)の催しな

    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/03/11
    "クールジャパン"という語の意味を支えているのは、こうした「内面化された植民地主義」にほかならない。
  • 批評の原理《2》

    私たちは今どんな世界に生きているのだろうか? それはひと言でいうなら、あらゆるものが「営業活動」になってしまうような世界である。商業行為はいうまでもなく、政治も、宗教も、教育も、研究も、文化も、そして個々人の人生そのものすら、ムダを省き、費用対効果を高め、利益を最大化するという目標、つまり「システムを最適化せよ」という至上命令の支配下にあるのである。 あらゆる事柄がひとつの原理で動く世界——シンプルでいいじゃないか!と思う人もいるだろう。たしかに人間性の中には、そうした単純化を好む、愚かしい性向も存在する。ニーチェはそれを「ニヒリズム」と名付けた。ニーチェが教えたのは、生きるとはそうした自然的性向に逆らう闘争にほかならないということだ(しかし『超訳・ニーチェの言葉』では倒錯的なことに、ニーチェ思想自体が営業指針集に変えられている。) すべてが「営業」になってしまった世界。そこではあらゆる行

    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/03/11
    ニヒリズムを超えて。必読。必読。必読