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ブックマーク / chez-nous.typepad.jp (23)

  • 「芸術か猥褻か」というダミー問題

    もちろん「自称」ではなく、多くの人からマンガ家でありアーティストでもあると認知されてきた「ろくでなし子」さんが、自分の性器の3次元データをネットで配布したという容疑で逮捕された。彼女はもともと、近代社会において女性器が「見せてはならないもの」「その名で呼んではならないもの」とされてきたことに対して強い問題意識を持ち、女性器は手足と同じ現実的な身体の一部であり、ちゃんと視覚的に表象し、またその唯一の呼び名である「まんこ」を、男の性的好奇心に汚された語感から解放して、もっと明るく普通に使おう!という方向で、表現活動をしてきた人である。 女性身体の表象や言語表現をめぐるこうした抵抗運動自体は、けっして今にはじまったことではない。ぼくが大学に入った頃、中山千夏さんが『からだノート』というの中で、女性は恥ずかしがらずに自分の性器をちゃんと見よう、そして抵抗はあるかもしれないけれども、女性器を呼ぶ普

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    Yamakatsu 2014/07/15
  • 大学の溶解、文化の自殺

    昨日帰宅して郵便受けを確認したら、入試問題集の『赤』を出している教学社から著作物使用願が届いていた。昔『朝日新聞』に書いた論説とか、この間紹介した「スタイルと情報」、1997年に講談社から出した『〈思想〉の現在形』の一部は、これまでにも何度か問題や教材に使われて来たので何気なく封筒を開いて、当に驚いた。 なんとそれは、日記号学会が毎年刊行している新記号論叢書[セミオトポス]の第3号『溶解する〈大学〉』の巻頭に書いた「大学の溶解、文化の自殺」というテキストだったのである。明海大学の今年度の入試問題として出題された。『溶解する〈大学〉』は、2005年に東京富士大学で開催された日記号学会第25回大会「〈大学〉はどこへ行くのか? 」をもとに編集されたもので、この大会には西垣通さんや内田樹さんにも来ていただいた。この時ぼくはまだIAMAS(情報科学芸術大学院大学)に勤めていた。テキストの内容

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    Yamakatsu 2014/05/14
  • 「芸術」とはひとつのものの見方にすぎない

    「メディア芸術祭」最終日のシンポジウム「想像力の共有地(コモンズ)」に行ってきた。いま、京都に帰る新幹線の中で書いている。 大澤真幸さんと話すのは面白く、化学反応みたいになって暴走する。そのため、聴いている人のことを考えられなくなってしまった瞬間が何回かあった。もうしわけなかったが、その方がかえって面白かったという感想もあった。 ぼくたちのセッションは最後の第3部で、その前の第2部では、美術家の村上隆、ヤノベケンジ、中原浩大が、22年前の『美術手帳』での鼎談以来(その当時彼らはその後の美術文化の行く先を予見していた?)というような、かなり怪しげな企画ではあったが、個々の発言は面白かった。村上さんの「日の現代美術オーディエンスはバカ」キャンペーンは、かえって彼が日の美術状況をどれほど真剣に気にしているかを露見するし、ヤノベさんの「村上さんはぼくの作品どう思ってるの?」とか、中原さんが「な

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    Yamakatsu 2014/04/26
  • 恐れるな。私はあなたとともにいる。

    「共通番号制度」、いわゆる「マイナンバー」の導入に向けた法案が、先月はじめ政府で閣議決定された。表向きには納税や年金の情報などを管理するための「便宜」がうたわれている。もちろん、ふつうの意味では便利にはなることは間違いない。だが同時に、国家による個人情報の一元的な管理を心配する人もいる。また、そうした情報が第三者に悪用される危険を指摘する人もいる。 そうした懸念は、もちろん現実的な状況を考えれば理由のあることである。だが、そうした危険があるからといって情報の統合的管理という流れそのものを止められるのかというと、それはできない。なぜなら、原理的に考えてみると、すべての人間を情報として一元的に管理するという趨勢は、私たちが現在の文明の基的な方向性を維持しているかぎり、絶対に避けることのできないものだからである。 とはいえオーウェルの『1984』のような、国家による個人の徹底的な管理・支配とい

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    Yamakatsu 2013/04/17
    最近考えていることと恐ろしく一致してた。
  • 英語と国際化をめぐる大きな誤解

    いまさら言うまでもないことであるが、日語の世界というのは、かなりデカいのである。日語を母語とする話者の人口は1億2500万人であり、言語の中では世界第9位である。それなのに日人の多くは実感として、日語は世界のごく一部でしか通用しない特殊な言語であるかのように感じている。それは、英語スペイン語の場合と異なって、日語の母語話者が日という特定国家の中に集中しているからである。 これだけの数の母語話者がいるということは、日語で書いたものを読んでくれる十分な数の読者がおり、日語だけを話す人にとっても、ちゃんとそれなりの仕事が供給されているということである。これが、日人が英語を話さない最大の理由である。能力の問題でも、シャイネスのためでもない。話せないのではなく、話す必要がないのである。ほとんどの人にとって英語とは、話せればカッコいいが話せなくてもそれほど困らない、いわばアクセサリ

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    Yamakatsu 2013/02/24
  • 教室は白熱などしなくてよろしい

    メディアの視聴者はおしなべて「熱い」ものが好きである。マクルーハンはメディアに「ホット」と「クール」を区別したらしいが、こんなのたんなる思いつきで、一度も説得力を感じたことがない。メディアに熱いも冷たいもないだろう。でも、メディアに接続された人間はおしなべて、「ホット」を欲望する。このことだけは確かなように思える。熱さがこうじて時々「炎上」したりもするらしい。それはたぶん、テレビやパソコンの前に座っている現実の身体が、心底冷え切っているからではないだろうか。ぼくはそう思う。 かくも「お熱いのがお好き」なメディアの視聴者は、政治討論やスポーツ実況中継が好きなのはもちろんだが、それだけでは飽き足らず、来熱くないものまで、熱くしようする。業の深いことである。そのひとつが大学の講義である。「世界一受けたい授業」などという番組があるらしいが、こんな言葉を口にする人にかぎって、授業などには何の興味も

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    Yamakatsu 2013/02/06
    教室しかりメディアしかり
  • 窓ガラスのこちら側

    自分よりも若いある友人が昨年秋、神経にかかわる重篤な病に突然倒れた。入院後2ヶ月を越える検査にもかかわらず、いまだ原因も治療法も確定せず、リハビリ病棟で悶々とした日々を送っている。見舞いに行って話をするのだが、やり切れないのは持続する痛みである。腹部を中心とする激しい痛みが、数秒という周期で一日中継続し、休まるひまもないという。もしもこの痛みがこの先も改善しないなら、それでも生き続ける自信はないと彼は言う。それはそうだとぼくも感じた。 その痛みは、身体が何かの異常を知らせるためのメッセージではない。たんなる神経伝達の「エラー」なのである。つまり彼の身体は、痛みを感じねばならない必要は来まったくないのだ。ところがそんな無意味なエラーに、現代の最先端の医学はまったく対処できないらしい。処方された鎮痛剤はまったく効かない。原因が判明しないので手術もできない。彼が個人的に頼んでいる施術師によるマ

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    Yamakatsu 2013/01/23
    生きることは、つねに窓ガラスのこちら側にある。たとえ年老いて健康を失っても、窓の外を希求しているかぎりそれは見えない。
  • 自愛について

    直接親しい間柄でなかったといえ、自分より二十歳以上も若い知人がおそらくは自死したという報せは、命に応える。しばらくの間そのことを考えると世界から意味がボロボロと剥落し、あらゆる事物が空洞に感じられる。いわば自死の感情が伝染してくるのである。 少し前の教授会でも学生の自殺がとりあげられた。自殺を防止するにはどうすればいいかという問題である。もちろん大学だけの話ではない。日全体では1998年以来、年間自殺者数はずっと3万人を越えたままである。巨大な自然災害の犠牲者よりも多い数の人々が、毎年みずから命を絶っているのである。 だがそうした数字が問題なのではない。数字は自殺を現象として外から眺めた時にだけ意味を持つ。その数字を減らすことが目標だとすれば、そのために立てうる対策は限られている。自殺者の数はその時の社会や経済の状態に大きく影響されているからである。自殺者を減らすには社会が変わるしかない

  • 本質的には、アートと政治は同一である

    これは、前回の記事のいわば続きというか補足である。最後の段落でぼくは、アートとは政治によってやっと存在することを許されるような従属的存在ではない、という意味のことを書いた。それはどういう意味か。たんなる理想論を言っているのか。現に、新しい美術大学の開学が、一大臣の発言によって危機にさらされたではないか。そもそも芸術分野に配分される予算を決めるのは政治の判断であって、芸術自身には決められないではないか。そうした問いに対してお答えしたい。 質的な意味で考えるならば、アートにとって政治とは、アートを外から支配する何らかの力ではない。むしろ、アートとは政治そのものなのである。けれどもこのことを理解するには、政治とは何か、「政治的である」とはそもそもどのようなことなのかを、考えてみなければならない。というのも、私たちが常識的に理解している「政治」は、政治的なものの質を何も語っていないと思うからで

    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/11/12
    政治的なるもの
  • 講義「現代アートと共に考える」

    来年度、京都大学の全学共通科目というものの担当が回ってきて、仕方がないので「現代アートと共に考える」という講義を準備した。現代アート「について」ではなく「と共に」という部分がミソなのであるが、具体的内容はまだぜんぜん考えていない。考えていないのに、シラバスを書けという。Webで書かなければだめだという。もう入力の締切は過ぎているという。智恵子は東京に空が無いと言う。 当の空が見たいので、仕方なく書くことにする。シラバスってどうやって書くんだっけ?と思いつつ、教員用の入力ページにログインすると、最初の項目は「授業の概要・目的」という欄である。何をどう書けばいいのだろうと思っていると、なんと親切なことに「記入例はこちら」というリンクがあった。ありがたい。最初の記入例を見てみる。 【記入例1】 現代生活と環境に関わる化学のうちで、主として化学物質に関連する分野をテーマとする。具体的には、自動車

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    Yamakatsu 2012/11/02
    good
  • tanukinohirune

    2024年6月1日、東洋大学で行われる藝術学関連学会連合のシンポジウムで発表する要旨です。http://geiren.org/news/2024/generative-ai.html タイトル「人間とは何かとAIは問う」 生成系人工知能が生み出す文書やイメージを、熟練した人間が制作したそれらから、結果を見ただけで区別することはできるだろうか? 言い換えれば、機械による出力を知識や経験に基づく人間の手作業から決定的に見分ける「眼力」や「鑑識眼」といったものは、存在するのだろうか? もしそれが客観的なテストという意味なら、この問いに対する私の答えはノーである。 だがこのことは、人工知能が人類やその文明にとって深刻な危機だといったこととは、何の関係もない。AIがやがて人類に取って代わるという予言、あるいはそれが人類文明に深刻な脅威をもたらすことを懸念したり、その開発をしばらく中止すべきだといった

    tanukinohirune
    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/11/01
  • アートにおける政治的なもの

    アートにおける「政治的なもの」には、2つのレベルがある。 ひとつは、作品が特定の政治的立場を表明していたり、ある政治的メッセージを明示的に伝えているというようなレベルである。多くの場合作品が「政治的」と呼ばれるのはこのレベルにおいてである。そのメッセージは現政権への批判、マイノリティーの権利主張、社会的暴力の告発、反グローバリズム、エコロジー、フェミニズム等々さまざまであるが、それらのいくつかを組み合わせたり、そこに作家の個人的体験を織り込んだりしていくらでも複雑化することができ、それによって単純な政治的発話ではないもの、つまり「アート作品」らしいものにすることができる。 こうしたレベルの「政治的なもの」は、いわば社交のために必要なのである。それはちょうど、たくさんの人々が集まるパーティのような場所でお互いにおしゃべりをするためには、その人の所属や肩書きが必要なのと同じことだ。もちろん所属

    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/10/03
  • 学問のキビシさ

    「学問のキビシさ」などといったものはない、とぼくは思っている。あるのはただ、この世界の謎であり、それをいくらかでも解きほぐすことの、気の遠くなるような困難さである。ぼくは広い意味での哲学者のはしくれなので、この世界がどのようにあるかという謎だけではなく、この世界がそもそもなぜあるのかという存在論的な謎(何も無かった方がよっぽど単純ですっきりしていたのに、なぜ?)にも直面している。これは、およそ世界に関わる謎のなかでも最難関の問いなのである。 けれど、そんなふうに考えるのは、学者・研究者と言われる人々の中でもかなりマイナーな部類であることを、ぼくは自分が研究者になってみてはじめて実感した。多くの研究者たちは、もっぱら研究生活の困難さ、学問の厳しさといった事柄を配慮している。そして自分がどれだけ古典に通じているか、語学に堪能か、最新情報をキャッチしているか、といったことを競い合って、そうした諸

    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/09/20
    だからぼくが注意を喚起したいのは、<略>この世界が容赦なく私たちに突きつけてくる「謎」の、恐るべき困難さについてである。
  • クールジャパンと炭坑節(2)

    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/08/02
    「アートという活動の核心は、そうした意味での「正しい感情」の探究であると、ぼくは理解している。」
  • クールジャパンと炭坑節(1)

    「クールジャパンと炭坑節」というのは、7月21日に水戸芸術館のトークイベントでした話のタイトルである。 どうしてこんな組み合わせを思いついたのか、自分でもよく分からない。この催しはそもそも、美術家の高嶺格さんが12月に同館で行う展示「高嶺格のクールジャパン」に先だって、彼が社会学者の小熊英二さんとぼくを招いて、「クールジャパン」をめぐって自分の思うところを公開でいろいろ質問するという趣向だった。 3月の「世界メディア芸術コンベンション」の後に、このブログで「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか」という記事を書いた。それが予想外にたくさんの人に読まれたこともあって、水戸の学芸員の高橋瑞木さんはぼくを招待したと思うのだが、ぼくとしては「クールジャパン」について考えいてることはだいたいあの文章で言ってしまったので、もうそれ以上言うことはないと最初はお断りしたのである。 しかしそれに対する高橋さんの

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    Yamakatsu 2012/08/02
  • 偏差値に還元されない知性

    語学(英語)が堪能で、グローバルな視点を備え、日のために国際的に活躍するリーダーとなりうる人材を育てる、というようなことが、いま文部科学省が大学にいちばん求めている教育目標らしいのである。けれどもそんな「人材」は、たとえ育成できたとしても、まず人間的魅力が乏しいし、道徳的・人格的に尊敬できないし、だからあんまり関わり合いになりたくないし、そしてたぶん日のためには働いてくれない。 だからそんなクズのような人間を育てるという目標を掲げるなど、「妄念」としか言いようかないのだが、しかしこれは自分の国の教育担当部局の方針であり、ただ悪口を言っているだけではどうにもならない。文科省の中には優秀な人もいることを個人的に知っているが、それにもかかわらずなぜ組織全体がこのような愚かな方向にしか動かないのかという理由を考えてみなければならない(役所や官僚だけを悪者にしておけばいいという構図も、もうとっく

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    Yamakatsu 2012/06/24
    鮮やか
  • 何でもないことの幸せ

    これは数年前に書いたテキストですが、今朝書いた「ジルは誰を誘惑しているのか?」を読んだ何人かの人から、掲載すべきだと言われたのでここにも載せておきます。 ------------------------------------------------------ 「BL(ボーイズラブ)」と総称される小説やマンガが、ここ約十年くらいの間、女性読者向け書籍売場においてめざましい快進撃を続けてきた。今やちょっと大きな書店に行くと、長い書架の二面あるいはそれ以上がすべてこのジャンルの読み物で満たされており、すこぶる壮観である。 BLというのは、様々なシチュエーションで演じられる「男性」どうしの「恋愛」の物語である。「男性」と括弧に入れたのは、物語に登場する男性たちがけっして現実の男性を描写したものではなく、むしろ女性読者のファンタジーに訴えるような、かなり特別な人物像として描かれているからである。

    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/06/20
    わたしにとってBLの本質的テーマはセックスではなく、純愛ですらなく、「何でもないことの幸せ」なのである。
  • 「快適な暮らし」

    原発を推進する人たちは、原発を止めたら今までのような「快適な暮らし」はできなくなるよ、と脅す。それによって不安を感じてしまった若い人たちもいるかもしれない。しかし「快適な暮らし」とは、いったい何なのだろう? 私事になるが、先週母がまた入院した。彼女は昭和5年生まれである。物心ついてから思春期までをずっと戦時下で過ごした。「快適な暮らし」とは、もちろんほど遠い。数日前、母の担当である若い看護師が、お母さんは楽しいときに何となく口ずさむ歌は何ですか?と聞くので、母は、そうやねぇ、たとえば「兵隊さんよありがとう」とか、と答えた。 その歌は、ぼくもうたうことができる。ぼくは昭和31年生まれで、小・中学校は戦後民主主義教育、社会は高度経済成長という時代に育った。そのぼくが十代のある時、戦時中に流行った軍歌の多くを自分が歌えることに気がついて、愕然としたことがあるのである。 理由は簡単だ。母は子供から

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    Yamakatsu 2012/06/13
    揺り戻し
  • 「国」という衣服を脱ぐ?

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    Yamakatsu 2012/05/21
    ずらし続けるか、多数参照しまくるか
  • 〈脱〉の思想

    Yamakatsu
    Yamakatsu 2012/03/26
    これは気になる!脱ぐとはどういうことか。