飛鳥資料館(明日香村)で、村内の遺跡で出土した縄文~古墳時代の土器や石器などを集めた企画展「飛鳥の考古学2014」が開かれている。村内の遺跡調査では飛鳥時代の遺構や遺物に注目が集まるが、今回はさらに古い時期に焦点をあてており、ひと味違う視点で飛鳥の歴史に触れることができる。 展示されている計313点のうち、初公開は天香具山の南にある大官大寺跡の下層で見つかった縄文時代中期~後期の土器類。直線や曲線、渦巻きなどで多彩な文様が施されており、装飾性豊かな出土資料だ。 また、川原寺の下層で見つかった古墳時代の器台(きだい)は細長い造りで、高さ約60センチ。脚部がラッパ状に開き、最上部が壺形という珍しい遺物で、全体が一体としてつくられている。 蘇我氏の邸宅があったと考えられている島庄遺跡や、飛鳥池工房遺跡で出土した古墳時代の甕(かめ)や壺などの土器類のほか、平成25年度に飛鳥京跡苑池など村内の遺跡で
飛鳥地域でこれまで知られていない巨大な古墳の一部の可能性がある掘割(7世紀半ば)が見つかった奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で18日、現地説明会があった。被葬者像に舒明(じょめい)天皇や大豪族・蘇我蝦夷(そがのえみし)ら歴史上著名な権力者の名前が挙がる中、約8千人の古代史ファンらが列を作った。 県立橿原考古学研究所の調査で、約48メートルにわたって石材を張ったり板石を積み上げたりした掘割が確認され、研究所は一辺50~80メートル程度の方形の古墳があった可能性が高いとみている。 説明会は午前10時の開始を1時間以上早めてスタート。見学者は担当者の説明を聞いた後、斜面に丁寧に張られた石張りや積み上げられた板石を熱心に見学した。兵庫県西宮市の大学3年、杉原早紀さん(22)は「飛鳥時代の実物が残っていることに感動した。将来、一部でも公開する形で残して欲しい」と話した。(塚本和人)
奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)のひとつ「飛鳥美人」(西壁女子群像)に、「臙脂(えんじ)」とみられる濃い赤色の染料が使われた可能性のあることがわかった。奈良文化財研究所などが「奈文研紀要2014」で報告した。臙脂は東南アジアなど原産の昆虫ラックカイガラムシの分泌物が材料とされ、当時の国際交流を物語る研究として注目される。 壁画の修復を進める奈文研と東京文化財研究所、文化庁が、「飛鳥美人」の赤色の着衣の女性がはくスカート(裳(も))の彩色について、可視分光分析と呼ばれる手法で解析。スカートのひだが、青色と、赤みを帯びて紫がかった色のしま模様であると判明。青色は銅が強く検出されたため鉱物の顔料とみられる一方、赤みを帯びた色は臙脂の可能性が浮上した。 百橋(どのはし)明穂・神戸大名誉教授(美術史)によると、臙脂は唐代の壁画に使われたほか、日本には綿
奈良県明日香村にある国内最古の本格的な庭園跡「飛鳥京跡苑池」で、池を望む小高い場所に2つの建物跡が見つかり、専門家は豪華な庭園だったことを示す貴重な資料として注目しています。 飛鳥京跡苑池は、飛鳥時代の天皇の宮殿のそばに設けられた初めての本格的な庭園の跡です。 奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査で、池の跡から20メートルほど離れた小高い場所で2つの建物跡が見つかりました。 建物跡の1つは南北に15メートル、東西に12メートル、もう1つは南北に7メートル、東西に20メートルの大きさで、研究所は、池を眺めるための施設だったとみています。 一方、2つある池の跡のうちの1つで、木の柱が2本見つかり、研究所は池にせり出した木造の施設の跡とみて調査するとともに、柱の変色の状況から池の水深が浅く保たれ底に敷き詰めた石を美しく見せるよう工夫されていたとみています。 平成11年度から始まった発掘調査は今年度
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