aimeileicaのブックマーク (925)

  • 東京大学には入ったけれど・・・ああ無常 人生の失敗を始める頭の“良すぎる”学生たち | JBpress (ジェイビープレス)

    世の中で「高学歴」とされる学生たちを見ていて思うことがあります。「正解のない問題」にぶち当たったとき、必ずしも答えを出すのが得意でない、という人を見かけるのです。 ある東大生のケース 東大教養学部で全学必修の授業を受け持っていた頃の話です。僕は頻繁に学生アンケートの類を取るのですが、その中で 「伊東教官は大変に怠惰な授業をする」という意見がありました。 僕が講義の準備などに一定以上時間や手間をかけるのは周知のことで、その授業もティーチングアシスタントたちと進めていたのですが、あまりに重症な病の回答でスタッフ一同「へぇ」と感心するやらあきれるやら。どんな回答かというと 「そもそも、授業というのは、教師が黒板に一つひとつ、問題と模範解答を板書するのが正しいのである・・・」 あたりに始まって、この子が経験してきた、主としてペーパーテストで○がつく受験勉強の1つのタイプを絶対化する趣旨のものでした

    東京大学には入ったけれど・・・ああ無常 人生の失敗を始める頭の“良すぎる”学生たち | JBpress (ジェイビープレス)
    aimeileica
    aimeileica 2012/06/30
    この文章の恐ろしいほどの単純さ、安易さにこそ理物に入る秘訣がある気がする
  • Project Gutenberg

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  • 鉱床と鉱山

  • MIYADAI.com宮台・東対談 動物化するポストモダン

    【東】それは別の視点で言えば、人文科学的な言説が今後必要かどうかっていう問題ですね。必要かどうかは難しい問題ですが、サステナブルかどうかといえば、結果は見えているような気がする。人文科学は、これからも凋落の一途をたどるんじゃないかな。私たちの社会は、人文科学的な質論なしで動くようにデザインされ始めている。というか、それしかないんですよ。 【宮台】その点について、東さんのを読んで最後に残る困惑がある。つまり動物でいいんじゃないかという思いと、いや動物でいいのかなという思いの狭間に突き落とされるんですね。確かに質論はいらないというのは、事実的水準でテロリズムを抑止するための智恵です。でも智恵は学問とは違う。単なるテクネーで、ピアノの弾き方と同じ水準です。 【東】でも学問と智恵とどちらが重要なのかは難しい。別の観点を導入しますとね、僕はすべての根幹には「工学的な知」の問題があると思うんです

  • アブラブログ

    あなたたちは、やめようと思えばやめられることを、なぜそんなに毎日毎日続けられるのだろう。 あなたたちは、何もする気がないときにも、なぜ次の朝、疲れ顔で出かけられるのだろう。 あなたたちは、なぜ自分は自分をコントロールできると思えるのだろう。 殺してやるから、殺しにおいでよ。 世界を引き裂いてあげる。

  • なぜ認知科学は「リアル」なのか? スラヴォイ・ジジェク「ジジェク自身によるジジェク」 <収束するポストモダン その4> - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「ジジェク自身によるジジェク」 スラヴォイ・ジジェク「ジジェク自身によるジジェク」(2005/2)ISBN:4309243312。その題名のようにインタビュー形式でジジェク思想のダイジェスト版であり、ラカン思想をもとに、政治、社会、文化、サブカルまでを軽快に?語られ、なかなかおもしろいものになっている。しかしラカンの主体像はすでに古いモノになっているとも言われる。ポストモダンにおいて、人々に共有された「正しさ」を支えていた「象徴界」が不安定になり、もはや欲望の方程式は時代遅れだ、と言うことである。 「認知科学的な私」 現在の主体像を支えているのが、認知科学ではないだろうか。生物としての私、遺伝子としての私、脳としての私など、「認知科学的な私」が、TV番組であり、であり、「利己的遺伝子」から、「馬鹿の壁」、クオリアなど、その手のものが巷にあふれている。そして、なかなかおもしろい。 科学的言

    なぜ認知科学は「リアル」なのか? スラヴォイ・ジジェク「ジジェク自身によるジジェク」 <収束するポストモダン その4> - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • ロラン・バルトと蓮實重彦の「快感原則の彼岸」 : Toward the Sea

    《快楽/悦楽。用語はまだ確定していない。私も間違え、混乱する。》――バルトはそう語る(『テクストの快楽』)。快楽plaisir/悦楽jouissance。...《快楽/悦楽。用語はまだ確定していない。私も間違え、混乱する。》――バルトはそう語る(『テクストの快楽』)。 快楽plaisir/悦楽jouissance。後者は、ラカン用語としては、「享楽」と訳されている。 そして”jouissance is ‘the path towards death” (Lacan S17)であった。 ※アラン・シェリダン訳Ecritsの序文(セミネールXI英訳にも収録)より。「享楽 juissance」 英語にはこの語を訳すのにぴったりの言葉はない。「楽しむこと enjoyment」は、「享楽 juissance」にも含まれる、権利を享受したり所有物などを享有する〔つまり、権利や所有物に恵まれていること〕

  • 足尾鉱毒事件 - Wikipedia

    鉱毒ガスやそれによる酸性雨により、日光市足尾町(旧・上都賀郡足尾町)近辺の山は禿山となったのである。木を失い土壌を喪失した土地は、次々と崩れていったが、この崩壊は21世紀となった現在も続いている[注釈 1]。崩れた土砂は渡良瀬川を流れ、下流で堆積した。このため、渡良瀬川は足利市付近で天井川となり、足尾の山林の荒廃とともにカスリーン台風襲来時は洪水の主原因となった。 鉱毒による被害はまず、1878年と1885年に、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。ただし、当時は原因が分かっておらず、これを8月12日に最初に報じた朝野新聞[2] も、足尾銅山が原因かもしれないというような、あいまいな書き方をしている。1885年10月31日、下野新聞が前年ごろから足尾の木が枯れ始めていることを報じ、これら2つが足尾銅山と公害を結びつける最初期の報道と考えられる。なお、古河鉱業は1884年、精銅の輸出拡大等の

    足尾鉱毒事件 - Wikipedia
  • 鉱床学 - Wikipedia

    人類が初めて金属を利用したのは、紀元前4000年頃のメソポタミア北部アナトリア高原で自然銅が道具に加工された。その後銅の鉱石からの精錬も行われるようになった。銅に続いて錫が銅との合金青銅を作るために使用された[2]。青銅は銅より硬くて強いため武器や道具や容器に一般的に使用されるようになった(青銅器時代)。その後砂金から金製品が作られるようになり、古代エジプトでは多くの金製の装飾品が作られた。 中国で発見された隕鉄、最初期の鉄器は隕鉄から作られた鉄の使用は紀元前1400年頃から始まったが、当時まだ鉄鉱石から鉄を精錬する技術はなく、組成分析から鉄を主成分とする隕石(隕鉄)を精錬したものと推定されている[6]。鉄器は武器や工具として青銅よりも優秀であるため青銅に代わって金属の主流となり、精錬法も確立・改良された。中世以後の研究に伴い多くの金属元素が発見され19世紀末にはほとんどの金属元素が発見さ

  • 足尾銅山とその周辺の景観 / レッドデータブックとちぎ

  • CiNii Research

    JaLC IRDB Crossref DataCite NDL NDL-Digital RUDA JDCat NINJAL CiNii Articles CiNii Books CiNii Dissertations DBpedia Nikkei BP KAKEN Integbio MDR PubMed LSDB Archive 極地研ADS 極地研学術DB 公共データカタログ ムーンショット型研究開発事業

  • J-批評の系譜学(1) - 肉離れ

    それなりの年月を実体験しなければ見えない風景や俯瞰できない全体像がある。現在、広く定着しており、慣れ親しんだ自明性を持って受け入れられている思考の枠組みや語の用法が、ともすればそのようになっていなかった「もしも」の可能性を見通せてしまうゆえに、現在の風潮に対して「どうしてこうなった」と嘆息せざるをえないような状況が。 昨今の批評が社会学に漸近するのはなぜか?いや、そもそも社会批評と社会学は何が違うのか?作品や社会問題について論ずるに際して「批評」なる言語行為が準拠する価値基準や作法はいかなるものか?ここで「漸近」と表現したのは、昨今の「批評」を自称する言論のスタイルが、社会科学や人文科学のタームを織り交ぜつつ、それでいて学術誌に掲載可能な実証度を必ずしも必要としないスタイル、言い換えれば好事家の語りとアカデミズムの中間に広がる真空を漂うことで、現代的な事象を分析する言論スタイルを維持してい

    J-批評の系譜学(1) - 肉離れ
  • 宮台真司、東浩紀を語る!

    98年の秋に、ある出版社の編集者に対して、東浩紀『存在論的、郵便的』と社会システム理論との関係について語ったものです。 宮台、東浩紀の〒(郵便を語る その1 僕に言わせると、僕の言説の内部に意味にも強度にも還元できない両義的なものを探すというのは、非常に反動的な身振りです。僕の語ったことの内部にそれを見い出さなくてはいけないという必然性は全くなくて、世界の中に見い出せばいいわけですから。 つまり、僕のしゃべっていることが重要だという前提になっちゃうじゃないですか。僕のしゃべっていることは別に重要でも何でもないし、もうちょっと厳密に言えば、それが一貫しているかしてないかというのは、さして問題ではない。僕にとっては問題です、一貫したものを提示しようとする僕の個人的なオリエンテーションや目的はありますけども、それと全く無関係に、僕のを読む人が、「宮台が言っているから」とか、「宮台の言ってい

  • 【二校】渡邉大輔_クボキ0613.indd

  • Index of /

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  • 認知科学年表(解説付) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    認知科学における重要な著作や論文の年表 注:適当に和訳しています。訳があるのに気づいたものは、それに従っていますが、すべての邦訳を見つけ出したわけではありません。訳の間違いがあったら、指摘してください。 1930年代以前:先駆的研究 1930 子供による世界の概念形成 ピアジェ 1932 想起の心理学:実験社会心理学の研究 バートレット 1934 思考と言語 ヴィゴツキー 1935 ゲシュタルト心理学の原理 コフカ 1935 連続的な言語反応における干渉の研究 ストループ 1940年代:潜在期 1943 神経活動に内在する観念の論理計算 マカロック,ピッツ 1944 コミュニケーションの数学的理論 シャノン 1945 行動の構造 ヘッブ 1948 ラットと人における認知地図 トールマン 1948 サイバネティクス ウィーナー 1949 心の概念 ライル 1950年代:初期の研究 1950

    認知科学年表(解説付) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 無人島 ~俺の10枚~|HMV&BOOKS online

    音楽好きには、超定番の企画“無人島 ~俺の10枚~” !!なんとも潔いタイトルで、内容もそのまんま、無人島に持って行きたいCDを10枚チョイスしてもらい、それぞれの作品に込められた思い入れを思いっきり語ってもらいます!ミュージシャンとしてルーツとなるもの、人生を変えた一枚、甘い記憶がよみがえる一枚、チョイスの理由にはそれぞれのアーティストごとに千差万別です!

  • 「NEWラブプラス」更新データ配信につきまして 2012年4月21日

    KONAMI(コナミ)の商品・サービスの最新情報をお伝えする公式サイトです。KONAMI(コナミ)では、人気コンテンツを様々な分野で多面的に展開し、IT技術を活用した独自性の高いエンタテインメントコンテンツを創出し続けることで、お客さまのあらゆる生活場面でお楽しみ頂ける商品・サービスを提供いたします。

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  • 2009/08/31(月) テーマ 「認知的コンフリクト」 数学理解の認知科学 白井康智 1.はじめに 認知的コンフリクトとは、コンフリクト( 「互いに打ち合うこと」 「相反する原理・言明・議論��