昨日の補足込みの続きです。 人生の意味なんて本質的に存在しないと昨日断言してしまったのですが、些か誤解を孕みそうなので幾つか補正を。 まず、physさんから同日のコメント欄にて、このようなコメントを頂きました(一部抜粋)。 自分がいろいろな偶然の重なりでこの世に生まれ落ちて、そしてなんだかいろいろなことを考えたりしているらしい。そういう一応事実と呼んで差し支えのなさそうなことがあって、そこから自分が何をすべきなのか、何ができるのかを考えるのは自然なことだと考えます。そして、それを考えるために根っこをたどっていくと、やっぱり生と死の問題は避けられないのです。 人間が物に意味を与え、出来事に名前を与える他に情報を理解・把握する術を持たない以上、人生という事項に対しても意味を与えようとすることは極めて自然なことです。寧ろ私達は、「意味の無いもの」に対して潜在的に恐怖を感じるといっても良いのですか