▼日本近現代史の中で逆立された人物と学問 戦後1970年ごろ、政治的には「平和主義」と「小日本主義」を後生大事に唱えながら高度経済成長を続ける列島国家は日本人論ブームに覆われた。この国は「大日本」となる時代、自分自身を問いたくなる。戦前の大東亜共栄圏の夢は軍事政治的には潰え去ったけれど、経済的覇権としてそのイメージが甦ったのだ。なぜ私たちは「大日本主義」の時代になると「日本」「日本人」を問いたくなるのだろうか、外部より内部に目を向けたがるのだろうか。この問いに筆者はいま簡単には答えられない。だが、この思考の原型を創ったのは柳田国男であるとだけは言える。この小論ではその柳田国男と彼が樹立した日本民俗学を、波乱の日本近現代史の中にしかと位置づけて考えてみたい。 あらかじめ見通しを述べておくと、日本民俗学の祖・柳田国男という人物像も、彼が見出した常民としての日本人像も、日本近現代史の中で逆立され
ふとしたきっかけで「山人考」という書き物があることを知った。柳田國男による日本の先住民族についての論考なそうだ。ちょうど私は「鬼」をテーマにした本を読み終えたばかりで、自分の中でそもそもの根源の時代、「鬼=人」ではなかったろうか、山を拠点として生きた人々。また鬼は原初魔物というよりも、かえって今に言う神に近いものではなかったろうかなどと徒然に考えていたところだったので、無性にその本が読みたくなってしまった。そこで先日図書館に行って初めて柳田國男全集を紐解いたのだった。 日本民族学の父と呼ばれた柳田國男(1875~1962)は、民俗関係のみならず詩や小説なども含め、生涯に亙って幅広い分野についての著作を残しているが、その活動の前半では殊にサンカや山人など希少で特殊な生活様式を持つとみなされていた人々について研究している。彼の有名な著述「遠野物語」は1910年35才の時に書かれたもので、これは
昔噺の一つ。桃の中から生まれた桃太郎が、犬・猿・雉を供につれて鬼ケ島の鬼を退治し、金銀財宝を持ち帰るというもの。また、この噺の主人公。[初出の実例]「桃(モモ)太郎を拾ひ上し嫗が実なる昔咄に」(出典:談義本・華鳥百談(1748)序) 昔話。英雄が悪者を退治することを主題にした異常誕生譚(たん)の一つ。婆(ばば)が川を流れてくる桃の実を拾う。桃から男子が生まれる。桃太郎と名をつける。桃太郎が一人前になると、鬼が島へ黍団子(きびだんご)を持って鬼征伐に行く。途中、犬が黍団子をもらって家来になる。猿、雉子(きじ)も同様に家来になる。鬼を降参させ、宝物をもらって帰る。 江戸中期の赤本『むかしむかしの桃太郎』をはじめ、多くの文献にみえている江戸時代の五大童話の一つであるが、とくに日本を代表する昔話になっている。明治以後は、絵本や読み物でも親しまれている。「桃太郎」というと、桃から生まれたということが
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