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日本近代史の中の日本民俗学-柳田国男小論
▼日本近現代史の中で逆立された人物と学問 戦後1970年ごろ、政治的には「平和主義」と「小日本主義」を... ▼日本近現代史の中で逆立された人物と学問 戦後1970年ごろ、政治的には「平和主義」と「小日本主義」を後生大事に唱えながら高度経済成長を続ける列島国家は日本人論ブームに覆われた。この国は「大日本」となる時代、自分自身を問いたくなる。戦前の大東亜共栄圏の夢は軍事政治的には潰え去ったけれど、経済的覇権としてそのイメージが甦ったのだ。なぜ私たちは「大日本主義」の時代になると「日本」「日本人」を問いたくなるのだろうか、外部より内部に目を向けたがるのだろうか。この問いに筆者はいま簡単には答えられない。だが、この思考の原型を創ったのは柳田国男であるとだけは言える。この小論ではその柳田国男と彼が樹立した日本民俗学を、波乱の日本近現代史の中にしかと位置づけて考えてみたい。 あらかじめ見通しを述べておくと、日本民俗学の祖・柳田国男という人物像も、彼が見出した常民としての日本人像も、日本近現代史の中で逆立され