鶴見俊輔さんは私がもっとも尊敬する評論家、哲学者だった。雑誌「思想の科学」を創刊したことでも知られる。手の届くところには、いつも鶴見さんの本がある。 私が京都に住みたいと思うよう… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。
![(永江朗のときどき京都人)素直な天才、鶴見俊輔さん:朝日新聞デジタル](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4a85c125276a43acdfe646463fa338af7a912332/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.asahicom.jp%2Farticles%2Fimages%2FAS20150804001871_comm.jpg)
鶴見俊輔さんは私がもっとも尊敬する評論家、哲学者だった。雑誌「思想の科学」を創刊したことでも知られる。手の届くところには、いつも鶴見さんの本がある。 私が京都に住みたいと思うよう… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。
■日本人の感性を劣化させる紋切型 国会で憲法学者がそろって「戦争法案」を違憲だと断じて、政権幹部たちの慌てふためきようが笑える。憲法学者の権威を否定しようと躍起になって、そのうち「オレがオキテだ」と言い出しかねない勢いだ。 政治家のオツムが劣化しているが、それへのマスメディアの反応、世間の反応は鈍い。なんでこんなことに?と思いながら、武田砂鉄の評論『紋切型社会』を読んで納得した。日本中でオツムが、感性が劣化している。劣化しているところにはびこるのが紋切型の言葉であり、紋切型の思考だ。 著者は昨年秋まで河出書房新社の編集者だった人で、今年33歳。これが初めての著書である。結婚披露宴で新婦から両親に告げられる「育ててくれてありがとう」だの、老害論客がしたり顔で言う「若い人は、本当の貧しさを知らない」だの、ドキュメント番組でインタビュアーが得意気に言う「あなたにとって、演じるとは?」など、20の
「送別会で『へへやか』に生きて、『ほたえじにたい』と挨拶したら、一同『だあ』って感じでしたよ」 日本で生まれ育ち30年以上経つが、「へへやか」など使ったことがない。へへやかは「のんびりと時日をすごすさま」、「ほたえじに」とは「遊び暮らして死ぬこと。酔生夢死すること」。「だあ」は「あきれたりして二の句が継げないこと」や「死ぬときの叫び声。また死ぬこと」である。とりあえず作文してみたものの、「だあ」の使い方があっているのかどうか、わからない。だって、著者も言っている。現代人にとって「だあ」は「ダア!」であり、アントニオ猪木である。 このような言葉を知って、意味があるのかと言われれば、意味はない。役に立つかと言われれば役に立たない。得意になって使ったところで、ドン引きされるのは目に見えている。 著者は辞書を「引く」のと「読む」違いを指摘する。辞書を「読む」ことで、言葉との意図しなかった出会いがあ
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