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ブックマーク / hskhinoto.com (18)

  • 僕は子どもらに選んでもらったから、こうして父親になれたんだ。

    僕は子どもらに選んでもらって父親になれた。 職場で子どもが生まれて父親になった男性社員がいた。 嬉しそうに出産の報告をする彼の姿に、初めて僕が父親になった日のことを、ふと思い出した。 第一子出産のときに、産婦人科の分娩室前の廊下で、落ち着きなくうろうろしながら、赤ちゃんが無事生れてくるそのときを待ち望んでいた。 そして分娩室から響いてきた長女の泣き声に、父親になれた自分を感じていた。 もしかしたら、初めて父親になった彼もそんな時間を過ごしたのかも知れない。 【わたしがあなたを選びました】 僕は、僕がこの子らの父親になれたのは、子どもらが僕を父親に選んで生れてきてくれたからだと思っている。 果たしてその選択が、子供らにとって正解だったかどうかはわからないけれど、それでも僕の子どもらは、僕のことを父親として選んで生れてきたのだと強く思っている。 わたしがあなたを選びました。 「わたしがお父さん

    僕は子どもらに選んでもらったから、こうして父親になれたんだ。
  • ひでじ典 第十一巻

  • 心の距離はお互いに縮まっていたけれど、地理的な距離は思いのほか大きかった。

    僕の告白に疑りの気持ちを抱えつつも、あっさりと返事は返ってきた。 相手のことを何も知らないのに、気持ちが傾いていた僕。 それはかなり不思議なことだった。 変な誤解が解けた僕は、職場の上司や同僚に何人かの女性を紹介をされたこともあったが、そんな感情に傾くようなことはなかった。もしかしたら、ネットで繋がった非現実的な環境や相手を知らないが故の妄想、或いは想像力が彼女(トピ主)を僕の理想に育て上げてしまっていたのかも知れない。 【変な誤解】

    心の距離はお互いに縮まっていたけれど、地理的な距離は思いのほか大きかった。
  • ひでじ典 第八巻

    【逃げるか、家事】 読み:にげるか、かじ 意味:日常の家事から逃げ出したいと言う、素直な気持ちを表す言葉。一般的に家事の担い手である専業主婦や専業主夫などによく使われる言葉であると思われがちであるが、休日にいつもはやらない家事を押し付けられる夫が逃げる際の捨て台詞として使われることの方が多い。 家庭を持っていた頃、我が家の家事は僕ととで分担されていた。 きっちりと役割が決まっているわけではないが、概ね六対四の割合。は専業主婦だったので六割、残り四割は僕の役目だった。 毎日の事や洗濯はほぼが担当。僕は休みの日やの体調が優れないときに代行する。事の後片付けは、もちろん僕だった。 洗濯物の取り込みや風呂掃除は、その日その日で仕事の疲れや家事の疲れが残ってない方が主でやることになっていて、二人とも疲れているときは子供らが担当する。掃除は高性能お掃除ロボットとまで評される僕の担当だった。

    ひでじ典 第八巻
  • もしかしたら僕は、彼女の特別な存在になてたのかも知れないと思い込んで、つい告白。

    そこは、慌ただしい日常から離れた、僕の心地好い場所だった。 久しぶりに掲示板に顔を出すと、メンバーが僕を心配していてくれた。体調崩したんじゃないかとか、子供が病気でもしたんじゃないかとか。みんなに変な心配を掛けて申し訳なかったけれど、何だかとても嬉しかった。仲間がいるっていいものだと実感した僕だった。一人じゃないんだと。 直接のメールも(PCのフリーメールのことです)何通か届いていて、他の誰よりも彼女(トピ主)が一番僕ことを心配してくれていたようだった。だからなのか他のメンバーからは、 「ひでじさんが顔を出さなかったから、トピ主さんが寂しそうでしたよ」 なんての皮肉めいたコメントも飛び出した。 僕の勝手な思い込みでみんなに、そして彼女(トピ主)に心配を掛けたことを、僕は少し恥ずかしく感じた。 やはり掲示板のそのトピは僕にとって和む場所だった。そして何よりも彼女(トピ主)がいるその場所が、慌

    もしかしたら僕は、彼女の特別な存在になてたのかも知れないと思い込んで、つい告白。
  • ひでじ典 第六巻

  • 僕は子供らにとって、今でもヒーローでいられているのだろうか?

    僕の息子が小さい頃から大切にしていた絵。 この前息子の部屋に入ったときに、彼の部屋の棚の隅にある絵に気が付いた。カバーも破れかけて、表紙の色もかすれた絵だったけれど、大切に棚に立ててあった。確かこの絵は、彼がまだ3歳くらいのときに僕の父親が誕生日のプレゼントか何かに息子に買ってあげたものだ。 今ではもうぼろぼろになった絵。 息子がまだ小さかった頃、彼を膝に乗せて、何度も何度も読み聞かせさせられた記憶がある。 まだ小さかった彼は、絵の内容よりも挿絵の方に興味があって、僕がそのページを読むより先に、次のページ、次のページと絵をめくっていた。 寝る前に「今日は何のごを読んであげようか?」そう聞くと、何冊もある絵の中から。意気揚々と必ずこの絵を持参してきて僕の膝に座った。 その絵はこれ。 【おとうさんはウルトラマン】 【帰ってきたおとうさんはウルトラマン】 何度も何度

    僕は子供らにとって、今でもヒーローでいられているのだろうか?
  • 女は子供を身籠った時に母親になるけれど、男は子供に育てられて父親になっていくんだ。

    その子は当はあなたの子じゃない。 もし自分が大切に育ててきた子が、当は自分の子ではなかったとしたら、あなたはどうしますか? 女性は自分のお腹を痛めた子供だから、その子が自分の子ではないということはありえないでしょう。もしそんなことが起こったとしたら、出産した病院のミスでしかありません。 でも父親の場合は、その子が当に自分の子だなんてわかりません。愛する相手が産んだ子だから自分の子だと信じることでしかわからない曖昧な関係だったりします。もちろん血液型で概ね繋がりが確認できることはできますが、果たして当に自分の子なのか。 父子家庭になった頃に僕の不安をかき立てていたことがあります。 それは、別れたが僕に家を追い出されたときに、捨て台詞のように最後に僕に吐いた言葉。 「あなたもおめでたい男だよね」 「自分の子でもないのに子供たちを引き取るなんて」 何の意図があって言ったのか、僕に追い出

    女は子供を身籠った時に母親になるけれど、男は子供に育てられて父親になっていくんだ。
  • 伝えたい想いがあるから、身を焦がしながらも、それでも僕は鳴くんだ。

    「鳴かぬ蛍が身を焦がす」 好きな人への想いをあなたはどういう風に伝えますか? 「鳴かぬ蛍が身を焦がす」 という言葉を聞いたことがあります。 相手への熱い想いは軽々しく言葉で表すのではなく、静かに心に秘めておく方がよい。 奥ゆかしい日人としてはこういうことが比較的好まれるのかも知れない。 少し前までは僕もそう思っていた。 自分の気持ちは軽はずみに言葉に表すものではないと。 でも今は違う。 たぶん言葉にしなければ、身を焦がすどころか、その想いで焼け死んでしまうこともある。 だから僕は相手に伝える。 「大好きだよ」 人はいつ何があるかわからない。 明日にはこの命が尽きるかも知れない。 例えば、今日仕事に出掛け、出勤途中に交通事故でこの世を去るかも知れない。 例えば、急に体調を崩し、そのまま帰らぬ人となるかも知れない 例えば、今日は逢えた君に、明日は逢えないかも知れない。 だから僕は伝える。 だ

    伝えたい想いがあるから、身を焦がしながらも、それでも僕は鳴くんだ。
  • 父子家庭の父親に再婚話しが出たとき、子供のことと自分のこととどっちを優先する?

    意外に充実してきていた父子家庭の僕。 周囲が僕の離婚に気付き始め、僕がその理由や原因に口を閉ざし、理由を聞かれても、 「僕が悪いことしたからじゃないの」 くらいの発言しかなかったことから、この離婚が僕の責にあるのではないかと事実と異なる噂が飛び交っていたが、人の噂も75日である。 3ヶ月もすると噂の賞味期限も切れはじめ、その頃には僕は、子育てを頑張る男親としか見られないようになっていた。 僕の地元は田舎だったこともあり(一応市でしたが)、離婚の際に子供らを父親が引き取るということは極めて少なかったのかも知れないが、いつも子供を連れている僕は、次第に子育てに積極的な父親というような、当時はそんな言葉もなかったが、今でいう「イクメン」みたいに好印象で受け取られるようになった。 休みの日にはベビーカーに幹を乗せ、桜の手を取り歩く親子3人連れ。 たぶん子供らが僕といていつも楽しそうに笑っていてくれ

    父子家庭の父親に再婚話しが出たとき、子供のことと自分のこととどっちを優先する?
  • 人生における三つの試練をスウェーデンの諺から学んでみよう。

  • 絵本って子供のためだけのものじゃないから、大人になっても読みたいんだ。

    100万回生きたねこ。 僕がこの絵に出会ったのは、もう20年以上も前になると思う。 まだ社会人になりたての若い青年だった時期だ。 お酒が好きだった僕は、何軒かの行きつけの店があって、この絵は、その行きつけのショットバーのカウンターの片隅のブックスタンドに数冊のと一緒に置いてあった。 普段は絵なんて開くこともなかったが、その日の僕は何気にその絵を手に取った。 ジンベースのカクテルを飲みながら開いた絵。 頁をめくる毎になぜか僕はその絵に強く魅入られてしまった。 絵は子供のものという概念が、どこかに飛んで行ってしまったような、そんな感じだった。 翌日、屋へと出向いた僕は、その絵「100万回生きたねこ」を買った。 それから僕は、この絵だけじゃなく絵そのものが好きになってしまったのだけれど、そのきっかけを作ったののは間違いなくこの絵なのだ。 絵は子供たちのために描かれてい

    絵本って子供のためだけのものじゃないから、大人になっても読みたいんだ。
  • 風任せの人生ではいけないことをマーフィーの残した言葉から学ぼう。

    「あなたの運命を決めるのは、あなたの心に張られた帆であって風ではない」 これはアイルランド出身の宗教者であるジョセフ・マーフィーの残した言葉。 彼は米国で活躍したアイルランド出身の宗教家で、牧師としての活動も行ってきた人物です。 彼は宗教家というよりも「マーフィーの法則」などの自己啓発書の著者としての方が、皆さんにも馴染みがあるのではなかろうか。 「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」という落としたトーストの法則、など多数のユーモラスに満ち、ウィットに富んだ、しかも哀愁を感じさせるような数々の経験則をまとめた、彼の著書のページをめくったことのある方は少なくないだろう。 その彼が残した、「あなたの運命を決めるのは、あなたの心に張られた帆であって風ではない」という言葉がある。 素敵な言葉です。 さすがは、自己啓発の第一人者です。 僕も若かりし

    風任せの人生ではいけないことをマーフィーの残した言葉から学ぼう。
  • 離婚した父親が子育てに一所懸命になる姿は、変な誤解を生むから気を付けろ。

    僕が離婚したときの友人たちの反応。 僕は離婚したことについて自分からはあまり大っぴらに話すようなことはなかったが、徐々にそれも自然に周囲に周知されていった。 僕の離婚を知った職場の人や友人たちはかなりびっくりしていた。 「何で?」 「どうして?」 僕ら夫婦は周りからすると以外に理想的な家庭に見えていたようだ。別れる2年ほど前から夫婦の関係性は崩れていたけれど、見事な仮面夫婦ぶりだったのかも知れない。 離婚の原因を聞かれると僕は決まって、 「僕が悪いことでもしたからなんじゃない」 と理由をはぐらかすような返事を繰り返した。 職場の人はどうだったのか知らないが、結婚する前の軟派な僕を知る友人はそんな僕の返事に、離婚の原因は当然「僕の浮気」だと思ったようだ。僕も特に弁明もしなかったので、たぶん今でも友人らの中ではあの離婚は、僕の浮気が原因で離婚に至ったという間違った原因説が定着している。 それに

    離婚した父親が子育てに一所懸命になる姿は、変な誤解を生むから気を付けろ。
  • 夢に劣らない現実があることをチャップリンの残した言葉から学んでみよう。

    「下を向いていたら虹を見つけることは出来ないよ」 これはかの有名な喜劇王であるチャールズ・チャップリンの言葉。 皆さんもよくご存知であろう、彼はイギリス出身の映画俳優であり、映画監督でもあり、コメディアンでもある。 数々のコメディ映画を作り上げ、「世界の喜劇王」という異名を手に入れた人物でです。 けれど、彼のそのコメディ映画作品は、ユーモアの裏に鋭い社会諷刺が描かれており、単純にお笑いのみで作られたコメディ映画とは一線を画しているものが少なくない。 彼の代表的な作品「モダンタイム」では資主義への批判を繰り広げ、「独裁者」ではナチスドイツへの批判を描き、コメディ映画を通した社会批判或いは政治批判をも行うものであり、「殺人狂時代」という作品に至っては、当時の非難の的ともなっている。 クリスマスの日に亡くなったということも、喜劇王としての彼にふさわしい最後であったのだろうと僕は思う。 果たして

    夢に劣らない現実があることをチャップリンの残した言葉から学んでみよう。
  • 覚悟を決めていたはずなのに、いざとなったらやっぱり狼狽えてしまう。

    風呂上りに僕が感じた、頭頂部の違和感。 風呂上がりに髪を乾かしていたら、頭頂部に変な違和感を感じた。 恐る恐る鏡に頭頂部を洗面台の鏡に映してみたところ、 「な、なんじゃこりゃ!!(松田優作風)」 鏡に映った頭頂部は薄く、地肌がはっきりくっきり見えていた。 「こ、これはまるで、あ、あるしんど?!」 まるで落武者のように、まるで河童のように、まるで逆ラーメンマンのように、頭頂部のみ薄くなったハゲパターン。 俗にいうフランシスコザビエルハゲではないか。 親父がハゲていたから遺伝の法則に逆らうことは出来ないものだろうと、僕は将来自分がハゲるであろうことは若い頃から覚悟していた。 だから、どうせハゲるなら、バーコードスタイルで女々しく薄くなった頭を隠したりするよりも、サンプラザ中野氏や松山千春氏のように、キレイに剃り上げて潔くスキンヘッドにしてやろうと決めていた。 ところが、いきなりのハゲ具合に僕は

    覚悟を決めていたはずなのに、いざとなったらやっぱり狼狽えてしまう。
  • 母親がいないという理由だけで、子供らを可哀相なんて言わないで欲しい。

  • 別れたことは、子供らにとって悪い選択じゃなかったのかも知れない。

    僕は学校での長女の様子が気になっていた。 父子家庭になっても子供らの様子はそれほど変わらなかった。相変わらず僕の前では「母親」のことは話題にしない桜と幹だったけど、学校での様子が気になった。 櫻の通う小学校には、学期ごとに希望者のみ担任の先生との2者面談が予定されていた。運動会が終わって、つまりは僕が子供らの母親を追い出してから、暫く立った頃に、僕は2者面談の申し込みをしてみた。 僕は登校する桜に茶封筒に入れた面談申込書を渡し、担任の先生に出すようにお願いした。 数日すると、桜は先生からの返事を持って帰ってきて、2者面談の日取りが決まった。僕は担任の先生に放課後に1時間ほどの時間を取って頂いた。 学校での様子を聞いてみたが、桜は全く変わりなく過ごしているという。 宿題も忘れずに提出するし、お友達とも仲良く過ごしていて、これといった問題もない様子だと担任の先生は学校での出来事を話してくれた。

    別れたことは、子供らにとって悪い選択じゃなかったのかも知れない。
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