応仁二年(1468年)11月13日、足利義視が比叡山に逃走しました。 ・・・・・・・・・・・ 応仁元年(1467年)1月17日の御霊合戦により、幕開けとなった応仁の乱・・・(1月17日参照>>) 何度か書いております通り、そもそもは、早く将軍職を隠居して趣味に没頭したい第8代室町幕府将軍=足利義政(よしまさ)が、奥さんの日野富子(ひのとみこ)との間に子供がいなかった事で、仏門に入っていた自らの弟=足利義視(よしみ)を還俗(げんぞく=僧になっていた人が一般人に戻る事)させて、次期将軍を譲る事にします。 ところが、その直後に嫁=富子が男の子=義尚(よしひさ)を出産・・・我が子を次期将軍にしたい富子は、実力者の山名宗全(やまなそうぜん・持豊)(3月18日参照>>)に近づきます。 一方の義視も、一刻も早く隠居したがっていた兄が、いつまでたっても将軍を辞めない現状を見て、子供が生まれて気が変わったん
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